第96回 美しき花の村
霧が辺りを包み込んだ。
一面真っ白で、時折射し込む日の光が優しくフォン達を包み込んだ。
そんな霧の中でも足を休めず、進み続けるフォン達はただ、足元に見える茶色の道を見つめていた。時折声をかわしながら、ちゃんと皆がいる事を確認しながら。そのくらい濃い霧の中を抜けると、目の前に広がったのは綺麗な花木に囲まれた町だった。いや、町と言うよりも村と言う方が正しい。
その村の中央には、美しい白い花を満開にさせた大きな木があり、それを中心に点々と家が建ち並んでいた。どの家の周りにも無数の花壇があり、美しい花が咲き誇っている。優しく風が花達を揺らせば、その花の香りが村中に漂い、何だか心地よい気分になれた。
花木に見惚れる一行は暫しその場を動く事が出来ず、花の香りと花木がザワメク音を体中に感じていた。
「何か、凄い村に着ちゃったな……」
少々引き攣った笑いをウィンスは浮べ、ぎこちない動きで横にいるカインに視線を送る。いつもと変わらない調子で微笑むカインは、ゆっくりと花の香りを嗅ぐ。優しく甘酸っぱい花の香りに、カインは嬉しそうに笑みを浮かべた。見た事の無い花や木に興味を示すフォンは、そんなカインに視線を送るとなにやら興奮気味に訊く。
「なぁなぁ、あの木何て言うんだ? 物凄く綺麗だぞ」
「う〜ん。僕も見たのは初めてだから、ちょっとわかんないよ。でも、本当綺麗だよね」
白い花びらを輝かせる大きな木を見上げるフォンとカインは、目をキラキラと輝かしている。ティルやワノールは落ち着いた様子で村の中を観察していた。村の人々に変わった様子も無く、皆花の手入れや畑の手入れなどいたって普通で、村に人が来ているのも気付いているのかすらわからない。
渋い表情を浮かべるワノールは、暫し村のレンガの道を歩み「う〜ん」と、唸り声をあげた。それに気付いたカインは、冷静さを取り戻したのかキョロキョロと村を見回し、ワノールの方に体をむけ不思議そうに問う。
「どうしたんですか? ワノールさん」
「いや。少し変だと思ってな」
「変? どこら辺がですか?」
「いや。ただの直感だ。何処が変かは俺には分からん」
自信満々にそう答えるワノールに、右肩を落とし呆れた様にウィンスが苦笑いした。その時、幼い子供がフォン達の方に走ってきた。黒髪が綺麗な男の子が。
その少年を見たティルは、目を見開き驚いた様で二・三歩後退し、ゆっくり首を左右に振った。ティルがそんな行動を取った事を見ていたのはルナ一人だけで、他の皆はその黒髪の男の子に視線を送っていた。何か不安に胸が苦しくなるルナは、ここで何かが起きると感じていた。何が起こるのか、本当に何か起こるのか、それはルナには分からないが、そんな気がするのだ。
一方、黒髪の男の子を見つめるフォン・カイン・ワノール・ウィンスは、その男の子の顔に見覚えがあった。だが、それが誰なのか思い出す間も無く、男の子は楽しげに四人の横を過ぎ外へと出て行った。軽く首を傾げるフォンは、腕を組み「ムムムムッ」と、眉間にシワを寄せながら唸り声をあげた。
それから暫くしてだった。急に周りの風景が変わった。村を囲む木々は炎に包まれ、花は無残に踏み潰され、人々の悲鳴がこだまする。どの家からも火の手が上がり、数体の魔獣が村の人々を襲う。急に変わった風景に、ティル以外の皆は顔色を変えた。
「な、なんだ! 急に――」
「そんな事より、村の人達を助けるのが先だ!」
フォンがワノールの言葉を遮りそう言うと、後ろから愕然とした表情のティルが弱弱しい声で言う。
「無駄だ。お前達にこの村は救えない」
そのティルの言葉にフォンは戸惑った。が、同時に怒りがこみ上げてくる。ティルが、そんな事を言うなんて、そう思うフォンは、怒りに拳を震わせながら座り込んだティルの襟首を掴み上げ睨み付ける。だが、いつもと違い少し悲しげな目付きのティルに気付いたフォンは、先程の幼い男の子の顔が一瞬頭の中に過ぎった。まさかと、思いながらフォンはゆっくり襟首から手を放し静かに口を開く。
「ティル。お前、この村を知ってるのか? 何でお前とあの男の子が――」
「俺は、この村で生まれ育った」
「それじゃあ、なおさら助けないと!」
カインが二人の間に入り、そう言うがティルは表情を変えずただフォンを見据えたまま言葉を続けた。
「俺の村はもう地図上に存在しない」
「待て待て! どう言う事だ! 現に今ここに!」
不満そうな表情を見せるウィンスが、目の前に広がる光景を見据えたままそう言う。すると、ティルは目を閉じゆっくりとした口調で言う。
「これは幻想だ。さっき村をでた子供は七歳の頃の俺だ」
「そうか。俺の感じた違和感はこれか。通りで俺達の存在に気付かんわけか」
「でも、誰がこんな事をするんですか!」
少々怒りの篭った目でカインはティルを見た。その時、村に男の子が戻ってきた。手にはこの村には咲いていない綺麗な花が握られていたが、村の変わり果てた姿に呆然とし自然と手から花が落ちる。花びらが舞い宙に散る。そして、男の子は走り出す。
すると、また風景が変わった。一軒の家の前の風景に。その周りには多くの魔獣達が集まり、一人の男の姿が映し出される。蒼い髪に背中に大きな剣を担いだ男の姿が。その男を見た瞬間、ティルが頭を抱え叫ぶ。
「止めろ! 止めろオオオオオッ!」
声は虚しく響くだけで目の前に映る光景は何も変わらない。幼いティルが短剣を抜き、男に向って叫ぶ。何を叫んだかは聞こえないが、その目には涙が浮んでいた。この光景を目の当たりにしたフォン達は、怒りがこみ上げてきた。なぜ、こんな辛い過去を見せるのかと。母の傍で泣き崩れるティルの姿の後、目の前の風景がまた変わった。変わったというより実際の場所に戻されたのだ。
黒くこげた大きな木、崩れ草が伸びる家々の跡。もうそこにあの頃の綺麗な花など無く、雑草だけが辺りに包み込んでいた。拳を振るわせるフォンは歯を食い縛り、俯いたまま怒りを堪える。力なくその場に蹲るティルは、子供のように体を震わせ何かにおびえているようだった。
「ティルに、こんな過去があったなんて……」
「他人の過去に興味などない。だが、辛い過去を思い出させる様なマネをする奴は許せんな」
「俺も、その意見に同感だ」
怒りを目に浮かべるワノールとウィンスは、黒焦げた大きな木の上に座る一人の男を睨み付ける。真っ赤なツンツン頭の船で出会ったあの男を。
ガゼルは、蹲るティルの姿を見て不適に笑みを浮かべると、ゆっくりと拍手を送る。黒い刃の剣、黒苑を抜いたワノールはそれを低く構え、少々重みのある刀を抜いたウィンスは、それを顔の前に構える。少しティルの事を気に掛けるカインも、刃と鞘を擦り合わせながら蒼い刃の剣、青空天を抜くと確りと柄を握りそれを構える。
一方、俯いたまま拳を震わせるフォンは、手から点々と血を流していた。それを見ていたルナは、恐る恐るフォンに声を掛けた。
「フォンさん?」
「……ない! ゆるさないぞ!」
その言葉と同時にフォンは地を蹴った。大きな爆音と共に、フォンの踏み込んだ足の下にあった土は抉れ大量の土が宙を舞う。フォンの足が地面を蹴るたびに聞こえる地面の砕ける音が徐々にガゼルに近付き、鋭くフォンの右拳が振り抜かれた。