第93回 苦痛の叫び
甲板の上に横たわるカインとウィンスは、無数の魔獣に囲まれ何度もその体を殴られていた。
意識はなくなっていたカインだが、その痛みに自然の意識が戻り薄らと目を開く。体が甲板の上に寝かされ、遠くの方にウィンスの姿が見える。相当血を流したのか、それとも元々その場に広がってた血が付いたのか分からないが、体中血だらけなのに気付いた。
その時、急に髪を掴み上げられ、体が宙に浮く。魔獣の一匹がカインの髪を掴み体を起き上がらせたのだ。その魔獣とカインは目が合う。ニコッと弱弱しく笑みを浮かべたカインに、目の色を変えた魔獣は、カインの髪から手を放し、崩れ落ちるカインの体に蹴りを入れ叫んだ。
「コイツ! ふざけやがって!」
「どうかしたのか?」
「自分が、やられているのに笑いやがったんだ!」
「なら、笑えなくなるくらい殴れ」
カインを蹴飛ばした魔獣に対し、ウィンスを踏みつける魔獣は冷静な言葉を返していた。魔物クラスの二体は着実にカインとウィンスの体に、ダメージを与えていた。壁にもたれこみ動かないカインの顔を、何度も何度も殴りつける魔獣の両拳には、カインの血がこびり付いていた。それを、確認したカインはニッコリと笑みを浮かべる。
「まだ、笑うか! この――!」
拳をカインに振り下ろそうとした瞬間、両拳に焼ける様な熱い感覚を感じる。あまりの熱さに、後退する魔獣は両拳を広げその甲を見た。手の甲に付いたカインの血が皮膚を溶かすかの様に異様な臭いを漂わせながら、小さくジュゥゥゥゥッと音をたてる。その音は次第に、船の甲板一帯から聞こえ始め、辺りから白煙が立ち上る。その音に周りを囲んでいた魔獣達は戸惑い慌て始めた。
ぐったりとしていたカインは、軽く首の骨を鳴らしてゆっくりと立ち上がり、口元からながれる血を右手の親指で拭った。朦朧としていた意識も、もうはっきりとしており、金髪のその髪からは白煙が上がり、色が赤く変色してゆく。
「き、貴様! まさか!」
「僕の血――燃えるよ」
ニコッとカインが微笑むと同時に、散らばったカインの血が火の手をあげる。もちろん、魔獣の手に付いた血も燃え上がった。甲板に居た魔獣達はその炎に体を焼かれまいと、次々と海に飛び込むが、炎は水の中でも激しく燃え上がり続けた。魔物クラスの魔獣は、徐々に腕を上ってくる炎を何とかして消そうとするが、その皮膚が熱でドロドロと溶け始め、感覚がなくなり始めた。
「グオオオオッ! う! 腕が!」
「くっ! 貴様! ここで、殺してやる!」
ウィンスを踏みつけていた足をどけた魔獣は、カインに向って走り出す。だが、カインはピクリともせず、ただ魔獣を真っ直ぐに見据える。走る魔獣は、急に足が軽くなり背中に激痛が走る。そのまま、体は勢いよく前方に吹き飛び甲板の上を転げた。その魔獣の後ろには、ボロボロの姿のウィンスが立っていて、右腕を真っ直ぐ伸ばし息を荒げていた。
「ハァ…ハァ……。これで、貸一つだ」
「貸? さっきのでチャラでしょ? 君の上においてあった足をどけたんだから」
「あれくらい……。俺の力で……何とかできたさ……」
「それじゃあ、そう言う事にしておくよ」
カインはまたニコッと笑った。その時、カインとウィンスの間に倒れている魔物クラスの魔獣の体が光を放ち、その体に亀裂が走った。その亀裂からは何か殺気が漂い、とても嫌な感じがする。そして、それは的中した。
体から放たれた光は柱となり、天にまで上りその光が消えると同時に、カインとウィンスの体は何か強烈な力に弾き飛ばされた。カインは壁に背中を打ちつけ、ウィンスは手摺に腰を強打した。
苦痛に表情を歪めるカインとウィンスは、目の前に立ちはだかる二体の魔獣の変わり果てた姿に、険しい表情を浮かべる。先程、ある程度まで溶けていた両腕は完全に治り、その頭には鋭い角が一本生え、拳には棘が突き出ている。図体も先程より大きくなっていた。もう一体の魔獣も、大きくなった体と膝から飛び出る大きく鋭い刃物。そして、口が裂け大きな牙が何本もむき出しになっている。
そんな魔獣達の姿を見て、カインとウィンスは愕然とし俯いたまま肩で息をしていた。
「ハァ…なんだよ…ハァ……。さっきまで……ハァ……本気じゃねぇのか……」
苦しそうにそう呟いたウィンスは、ゆっくりと魔獣の方を見上げる。その瞬間、目の前の魔獣が姿を消し、ウィンスの上空に姿を現し、そのままウィンスの顔を甲板に叩き付けた。ウィンスは、全く何が起こったか分からず、そのまま動かなくなった。そんなウィンスの姿を見たカインは、苦痛に表情を歪めながら、立ち上がり真っ直ぐ魔獣達を見据える。だが、魔獣の一体が視界から消え、一瞬でカインの前に現れた。驚愕するカインに微かに笑ってみせる魔獣は、上半身を捻り右腕を思いっきり振り抜いた。
振り出された拳をカインはかわせなかった。いや、かわす事が出来なかった。なぜなら、それが一瞬の出来事だったから。気付いた時には背中に激痛を感じながら、幾枚もの壁を突き破っていた。そして、それが止まったのは、ルナの居る部屋の中でだった。真っ赤だった髪もすでに、元の金髪の髪に戻っていて力などもう残っていなかった。
「カインさん! どうしたんですか!」
「ル…ナ……」
「今、治療しますから!」
「駄目……だ……。僕…じゃ……勝て……無い……」
そこまで言って、カインは意識を失った。瓦礫を踏み鳴らす音が徐々に近付いてくる。その音は次第に大きくなるが、突如その音が止まり呻き声の様なものが響く。何かに苦しむ様なその声は、フォンの抜けていった穴の方からも聞こえた。耳を塞ぎたくなるような呻き声に、ルナは俯き目を閉じた。魔獣達の悲痛の声がヒシヒシと伝わってくるからだ。
苦しむルナだが、その耳に微かに聞こえた。優しくて少し怒りの篭った様なフォンの声が、「圧衝」と、言うのが。その声から遅れて穴の向うから突風が瓦礫を吹き飛ばしながらぬけだしてきた。風が収まると、床が軋む音が響き壁の向うからフォンが姿を現した。
全身ボロボロで、額から流れた血が少しずつだが凝血し、褐色に変わっている。服にも血が滲み出し、薄らと黒ずんでおり、両足を伝って血が床に流れ出ている。傷が酷いのだろうか、表情を微かにゆがめるが、その目は何か悲しげで怒りが篭っていた。
「フォン……さん?」
「大丈夫。あいつらを苦しみから解き放つだけだから」
静かにルナにそう返すと、振り向きもせず、カインがあけた穴を真っ直ぐに歩み進んでいった。そして、呻き声が消え風が穴を吹き抜けてくる。瓦礫が風で吹き飛ばされ部屋中に散らばった。呻き声が聞こえなくなると、また瓦礫を踏みしめる足音が近付いてくる。それが、ティルの足音であると分かっていたルナは、カインをその場に寝かせ右手を翳していた。
穴から出てきたフォンは、小柄な体にウィンスと青空天と刀を抱えていた。弱弱しい息のウィンスをベッドに寝かせ、青空天と刀を鞘に戻す。傷が痛むのかそのまま座り込むと、俯き「ゼェ…ゼェ……」と、苦しそうに呼吸を繰り返し、ジッと動かない。服を着ているため分からないが、その小さな体にはきっと酷い傷を負っているはずなのだ。だが、ルナには声を掛ける事が出来ない。と、言うよりこの時、フォンが少し怖かった。いつもの優しい顔ではなかったから。