第87回 呪われた力
巨大な竜巻の立ち上る競技場では、突風が全てを飲み込むかの勢いで吹き荒れ、観客は髪や服を乱しながらその場を逃げ出そうとしていた。今までのブーイングがいつしか悲鳴に変わり、大混乱を起こしていた。全ての原因は自分達にあるとも知らず逃げ惑う観客は、我先にと前に居るものをなぎ倒していた。その光景をモニターで見ていたティルは、小さな声でぼやいた。
「醜いな」
「まぁ、仕方ないさ。誰だって命は大切だからな」
「どちらかと言えば、自業自得だと俺は思うけどな」
まるで自分にそう言い聞かせる様な口調でティルはワノールにそう言った。何と無くその事が気になったワノールだが、その事は聞かなかった。人には聞かれたくない事もあると思ったからだ。そんな落ち着いた様子の二人に対し、カインは慌てながら言い放つ。
「ど、どどどどうしましょう! フォンとウィンス君が!」
「お前が慌ててもしょうがないだろ?」
「でも、何かあったらどうするんですか!」
落ち着き払うティルに向って、何故か噛み付いてくるカイン。呆れた様に首を横に振りティルはワノールの方を見る。ため息を吐くワノールは、渋々といった感じの口調で言う。
「仕方あるまい。カインはまともには動けんだろうからな」
「俺らが行くしかないか」
ティルは天翔姫を手に取り、ワノールは黒苑を手に取った。そして、ゆっくりとリングの方に向って歩みだした。
竜巻の中では、フォンとフォルトが睨み合っていた。激しい風で靡く茶色の髪と服の裾がバタバタと騒いでいた。先程の一撃が足に来ているため、膝がガクガクと振るえ、立っているだけでも精一杯のフォンは、ふとウィンスの方を見た。ウィンスはゆっくりと顔を上げ、目の前に居る姿を変えたフォルトの方を見る。二人の視線がぶつかりあった。そして、フォルトの方が先に口を開く。先程までの幼い声ではなく、魔物の様な恐ろしい声で。
「邪魔をするな! 奴らを、人間を一人残らず切り裂いてやる!」
「……」
フォルトの言葉にウィンスは何も言わずただ、真っ直ぐフォルトを見据えるだけだった。威嚇を繰り返すフォルトは、何も言わないウィンスに遂に牙をむいた。地面を蹴りウィンスに向って左拳を振り抜く。だが、風が壁となりフォルトの左拳を弾き返した。驚いた表情のフォルトは、次は右拳を振り抜く。しかし、風が壁となり右拳までも弾き返す。何度も拳をぶつけるが、風はその拳を何度も弾き返す。
「お前の拳は俺には届かん」
「ぐうっ! なら、これならどうだ!」
また、フォルトが右腕を振り抜く。目を閉じ首を振るウィンスだが、右腕に痛みを感じた。目を開くと右腕を何か斬られた様に傷があり、血が少しばかり出てきていた。左手で傷口を押さえるウィンスは、何をしたと言った目でフォルトを睨む。牙をむき出しにして笑みを浮かべるフォルトは、ゆっくりと体勢を整えるとウィンスを見て言う。
「今のは効いたみたいだな」
「ぐっ……。何をした!」
「自分の目で確かめてみろ!」
また、フォルトが右腕を振りぬいた。先程は聞き取れなかったが、一瞬、シュッと何か鋭い刃物の様な物が振りぬかれている音を耳にした。その直後、痛みが走り血が宙に舞う。風の壁をもろともせず攻撃を続けるフォルトは、次第にスピードに乗り始めてゆく。初めは何とかかわしていたウィンスだが、今では何処から攻撃が来るのかも、どの腕を振り抜いたのかも目で追う事が出来ない。
押されているウィンスを、助けたいフォンだがどうしても足が動かなかった。動け動けと思うが、気持ちばかりが先走り焦りが募る。その時、背中に暖かなものが触れた。暖かく、優しい何かが。それは、ルナが治療する時の様な感じだった。ゆっくり振り返ったフォンの前には、リリアがフラフラながら立っていて右手をフォンに向って翳していた。
「お前、癒天族なのか?」
「いいえ。癒天族じゃありません」
「それじゃあ、その力は……」
「この力は、呪われた運命を辿る証です」
「呪われた運命?」
「はい。それより、フォルト様を止めてください。あのままでは、あなたのお仲間も」
膝の震えがとれ、ようやく自由に足が動いた。暫く、足の感触を確かめるフォンは、リリアの方に体をむけ軽く頭を下げると、フォルトの様に無邪気に笑った。その笑みにリリアは一瞬ドキッとして顔を赤くした。だが、額から流れる血の方が赤かったため、フォンはそれに気付かなかった。
「ありがとうな。何とかフォルトを止めれる様努力するよ」
そう言い体を反転させると、ウィンスとフォルトの方に向って走り出した。その間に来ていた厚手のコートを脱ぎ捨て、更に加速しウィンスを攻撃するフォルトに殴りかかった。だが、振り出された右拳は空を切り、フォンの後にフォルトが着地する。すぐさま体勢を立て直したフォンは、疲れの見えるウィンスを横目で見ながら言う。
「大丈夫か?」
「あぁ……。今の所直撃は浴びてないし、殆ど掠り傷だ」
「そうか。よかった。それじゃあ、まだ動けるな」
「まさか、何か良からぬ事を考えているんじゃないのか?」
「まぁ、良い事では無い事は確かだ」
自信ありげにそう言うフォンに、唖然としながらウィンスは頭を抱えた。そんな矢先、ウィンスはとんでもない事を耳にし驚き顔を上げると、フォンがニッコリ笑って親指だけを立ててウィンスの方に右手を突き出した。呆れ模様でため息を吐いたウィンスだったが、その口元には笑みが浮かんでいた。
何を考えたか分からず、首を捻るフォルトだがすぐにフォンに向って言い放つ。
「邪魔をするな」
「お前、その瞳の色は……」
フォルトの真っ赤な瞳に驚いたような表情を見せるフォンは、真剣な顔付きで言う。
「お前、魔獣人か? まぁ、獣人以外で獣の姿になるって事は、それ以外考えられないんだけど」
「だったらどうする?」
「どうもしないさ。オイラにとって、種族なんて関係ない。ただ、人を襲うのだけは止めて欲しい。それだけだ」
「なら、人が我らを傷つけるのは良いというのか!」
「そんな事言ってないだろ!」
少し熱くなりそう叫ぶフォンに、フォルトが遂に襲い掛かる。フォンはこの時を待ってましたと、言わんばかりにウィンスに叫ぶ。
「ウィンス! 来るぞ!」
「ま、待て! まだ準備が!」
「準備がって、お前な!」
「よし、行くぞ!」
「ま、心の準備――」
「関係あるか! 吹き飛べ!」
フォンに最後まで言葉を言わさず、ウィンスは両手に集めた風をフォンの背中にぶつける。風が小柄のフォンの背中を押し、勢いよくフォルトに迫る。跳び蹴りの形で向ってくるフォンをかわす事は出来ず、フォルトはフォンの蹴りを腹部で受け止めた。二人の体は激しく吹き飛び、リング上に仰向けに倒れる。息を荒げるウィンスはその二人を見据える。
すると、ゆっくりとだがフォンが立ち上がった。少々息が荒く、怒った表情のフォンは、ウィンスに向って怒鳴り散らす。
「お前! まだ準備が出来てないとか言ってたくせに! オイラだって、心の準備ってものがあるんだぞ!」
「別にいいだろ? 作戦は成功したみたいだしな」
「成功? 笑わせるな」
「――!」
ウィンスの言葉にゆっくりと、半分化物のままの姿のフォルトが立ち上がった。相当足に来ていると思うが、フォルトは一歩一歩足を進めフォンとウィンスを睨み付ける。全力を注ぎ込んだためもう動く事も出来ないウィンスは、ゆっくりと地面に膝をつき苦しそうに呼吸をする。それを見て、フォルトが一気に地を蹴った。地面が砕け散り石の破片が飛び散る。それを、阻止しようとフォンも全力で走ったが、全くダメージを受けていないかのように、フォルトが徐々に加速してゆく。
「止めろ!」
「死ね!」
右肘の尖った骨の様な切っ先をウィンスの方に向けたフォルトの前にリリアが両手を広がて立ちはだかった。その行動に驚くフォンとウィンスは声を張り上げる。
「止めろ!」
その瞬間、フォルトの動きが止まった。切っ先はリリアの目の前で丁度止まり、リリアはフォルトの顔を見て言う。
「もう、止めてください」
「リリア……」
「私は大丈夫です。今日はもう帰りましょう」
リリアの言葉でフォルトの体は元に戻り、先程の幼い顔に戻った。それを見て安心したフォンはゆっくりと足を止めて、その場に座り込んだ。暫しリリアを見つめるフォルトは、ゆっくりと口を開いた。
「また、暴走しちゃったね。あの力には触れちゃいけないんだけどね。君には迷惑掛けたね」
「いえ。そんな事は」
優しくフォルトはリリアの頭を撫でた。まるで、兄弟の様な二人の姿にフォンは自然と笑顔がこぼれた。その時、周りを取り巻いていた竜巻が急に消え去り、竜巻の外に居たティルとワノールの姿が映った。フォルトはそれを見ると、リリアにニッコリと微笑み言う。
「これ以上ここに居ると、危ないね。僕らは帰ろうか」
「はい」
フォルトの優しい言葉にリリアは静かにそう答えた。フォンはゆっくり立ち上がり、フォルトの方に歩み寄り笑みを浮かべながら言った。
「魔獣人は悪い奴らだと思ってたけど、こんな奴らもいるんだな」
「――フォン」
「今日は楽しかったぞ。今度は暴走とか無しで戦いたいものだな」
「ああ。僕も是非そうしてもらいたいよ」
二人は向かい合い互いに微笑みあった。そして、フォンは右拳を突き出し言った。
「次会う時は、もっと強くなってるからな」
「そうだね。僕も強くなるよ」
フォルトにそう言われ無邪気に笑ったフォンの表情に、フォルトは一瞬悲しげな目をした。その理由がフォンには分からず、首を傾げた。そして、少し間が空いてフォルトが告げる。
「君なら――……。君なら出来るって信じてるよ。呪われた力を打ち破る事ができるって」
「ンッ?」
「それじゃあ。また、何処かで」
フォルトはそれだけ言うともう一度ニッコリ笑って、リリアと共にその場を後にした。フォルトの最後に言った呪われた力と言うのが気になったフォンだが、それはすぐに忘れた。ティルとワノールが駆け寄ってきて、頭を叩かれたから。