第8回 瞬発力
脱ぎ捨てた黒いコートが鞄の上にゆっくり落ちる。まだ冷たい夜風がフォンの体を縮こませる。身を震わせながらも、フォンは軽い準備運動を始めた。
「クッソ〜ッ。こんな寒い時に戦うのは嫌なんだよ」
準備運動を済ませると、トカゲの化物を睨みつけ、軽く腰を落とすと勢いよく地を蹴る。地面の割れる音と同時にトカゲの化物の前にフォンが一瞬で現れ、右の拳をトカゲの化物の腹部目掛けて突き出す。
フォンの拳が鈍い音と共にトカゲの化物の腹にめり込む。その瞬間、トカゲの化物の口から大量の血が飛び散る。苦しそうな表情をしながらトカゲの化物はフォンに向って、右腕を振り抜く。フォンはトカゲの化物から素早く離れ、その鋭い爪を回避した。
「残念でした。オイラ、瞬発力と嗅覚だけは誰にも負けないぞ」
自慢げな顔をしながら、軽く舌を出してトカゲの化物を挑発する。その挑発に怒りを露にするトカゲの化物は、その瞬発力でフォンとの間合いを詰める。だが、フォンはトカゲの化物の瞬発力を更に上回る瞬発力で距離を取っていく。逃げ回るフォンにトカゲの化物は頭に血を上らせて怒りを爆発させた。
「シャァァァァ!」
「大分、体が温まってきたな」
軽くジャンプを繰り返すフォンに、怒りで頭に血の上ったトカゲの化物が突っ込んでくる。フォンは軽くトカゲの化物の突進をかわすが、トカゲの化物はすぐにフォンの方を向き直る。
「シャァァァ!」
「完全に頭に血が上っちまってるな。まぁ、そうなったのはオイラのせいだけど……」
自分の行動に後悔しながらトカゲの化物と対峙するフォン。
そのフォンに向って頭の角を向けながら、トカゲの化物が懲りずに突進してくる。その突進してくるトカゲの化物の、二本の角を掴みフォンは全身で突進を受け止める。確りと踏みしめるフォンの足が地面を抉りながら後方に押される。
「グウウウッ! 力勝負で負けるか!」
そう叫ぶフォンの顔にトカゲの化物の鋭い爪が襲い掛かる。とっさに顔を引きその爪をかわそうとしたが、トカゲの化物の爪の先がフォンの顔を掠めた。フォンの鼻先と額に薄らと線が出来、そこから真っ赤な血がにじみ出てくる。額から流れ出した血は、そのまま瞼の上に流れ出す。
「グッ! 血が邪魔で……」
フォンの力が緩んだ瞬間、トカゲの化物がそのままフォンの体を後方に力強く押す。抵抗する事も出来ず、フォンの体は木を押し付けられる。完全に動きを封じられ、なす術の無いフォンは目に入る血を手で拭う。
「シャァァァ!」
「う〜っ。完全に油断したぁ〜」
まだよく見えない目を薄らと開き、今の状況を確認する。横腹を鋭い角が確りと押さえ込んでいるため、体を動かす事は出来ない。だが、よく考えるとトカゲの化物も動く事が出来ずにいる。
「このままだと、どっちも動けないんだけどな」
そう言ったフォンの顔にトカゲの化物の右手の爪が襲い来る。それを、左手で受け止めたフォンは、自分の体を押さえつけるトカゲの化物の腹に右の膝蹴りを入れた。トカゲの化物の体が一瞬宙に浮き、フォンの体を押さえつける力が弱まった刹那、両手でトカゲの化物の角を掴むと、そのまま宙に投げ飛ばす。地面を滑る様に吹き飛ぶトカゲの化物は倒れた木にぶつかる。
「フゥ〜ッ。全く、あんまり手間掛けさせるなよ」
「シュゥゥゥ」
「その鳴き声止めようぜ」
「シュゥゥゥ」
フォンの言葉も虚しくトカゲの化物は妙な鳴き声を響かせる。怪訝そうな表情を見せるフォンに、トカゲの化物は一気に間合いを詰めてくる。その瞬間、フォンの右の拳がトカゲの化物の顔面を打ち抜いた。鈍い音が辺りに響き渡り、トカゲの化物が地面に背中から倒れ動かなくなる。
「終った……。う〜っ、寒い……」
化物を倒してフォンはすぐにコートを取りに走った。コートを着ると、フォンは道の真ん中に倒れる木を、道の端に退けて風避けにして、眠りについた。