第79回 黒い影 ティルの苦手なもの?
鬱蒼する森の中を六人は歩いていた。
静かで薄暗く、日の光が木々の葉の隙間からしか射し込まず、足元にはティルやワノールの腰ほどの高さの草が生い茂っている。その草は、フォンやカイン、ルナの三人の腹の位置まであり、ウィンスにいたっては胸の高さまである。
歩き難そうに先頭を歩くウィンスに、その後を歩くティルは不安になる。時折吹き抜ける風は、そんな六人の髪をはためかせ、木々をざわめかす。
「オイ。この道で大丈夫なのか?」
「何だ! 俺の事信用してないのか!」
「信用してるもしてないもあるか! 全く森を抜ける気配が無いぞ!」
ワノールとティルが不満を爆発させる。振り返ったウィンスは、膨れっ面で二人を睨み付ける。最後尾を歩いていたフォンとカインはルナが足を止めているのに気付き、ゆっくりと足を止める。顔を見合わせるカインとフォンは、互いに首を傾げてルナに聞く。
「何かあったの?」
「ワノールさんとティルさんが、この道であってるのかとか、何とか」
「信用出来ないなら、二人が前を歩けば良いのにな」
フォンが呆れた様にそう言う。その瞬間、殺気が前方から漂い、ティルとワノールがほぼ同時に言う。
「今更、道なんて分かるか!」
「息がピッタリだな。いいコンビになりそうだな。ハハハハハッ!」
二人を馬鹿にする様な感じでフォンはそう言い大笑いした。そんなフォンの姿を見て、カインもクスクスと笑う。だが、ルナは不思議そうに二人を見ていた。
何が可笑しいの?
何故、そんな風に笑えるの?
どうして?
心の奥底で、そんな事を考えるルナは、俯きため息を吐いた。そんな皆の様子を見据えるウィンスは、不安だった。本当にこの人達についてきてよかったんだろうか? と。
しかし、その後何事も無かったかの様に静まり返り、六人は歩き進めた。草を踏みしめる音と木々が揺れる音が混ざり合うだけで後は何も聞こえない。その為、最後尾で話しをするフォンとカインの声が先頭のウィンスの所まで聞こえていた。
「でも、何処にいるんでしょうね。ミーファさん」
「そうだよな。結局、船から海に落ちたって言う事しか分かんないからな」
少々不満げにフォンがそう言うと、ティルの眉が一瞬ピクつく。そんな事とも知らず、フォンとカインは話を進める。
「色々不思議な所がありましたが、まさか時見族のお姫様だったなんて……。ビックリですね」
「そうだな。でも、何で時見の姫を魔獣人達は狙ってるんだ?」
「さぁ? 何故なんでしょう」
不思議そうに首を傾げるフォンとカインは、「う〜ん」と唸り声を上げていた。その唸り声が五月蝿くて、ワノールは次第に怒りを募らせていた。落ち着いた様子のルナは、そんな二人の疑問に答えるように口を開いた。
「魔獣達は時見の力で自分達の辿る運命を捻じ曲げ様としているんです。いつ、何が起こるか分かれば、後は何とでも出来ますから」
「へ〜っ。自分の辿る運命をね」
「あんまり驚かないようですね」
全く驚かないフォンに、ルナは不思議そうにそう言う。軽く頷くフォンは、明るく能天気に笑いながら答えた。
「だって、時を見る事が出来たとしても、必ずしもそうなる訳じゃないだろ? 未来はこうしている間にも変わっていくんだからさ」
フォンの口にした言葉に、ルナが一瞬悲しげな目をした。誰もそれに気付か無い。急に黙り込んだルナを心配するカインが、声を掛ける。
「どうしたの? 急に黙り込んで」
「未来は――運命は、既にそうなるように回っています。どんなに足掻こうが、どんなに騒ごうが、時が分かっても運命は変えられないのです」
急に大きな声を出したルナに、フォンもカインも驚いた。もちろん、その前を歩くティルもワノールも驚き、ウィンスも困惑していた。歩みを止め、皆ルナを見据える。沈黙が漂い小鳥のさえずりだけが響く。
あまりの意外さに皆口を開く事が出来ずにいたのだ。俯いたままのルナの後姿に、ティルはすぐにフォンを睨み付ける。それに気付いたフォンは、激しく首を左右に振り『オイラじゃない』と、アピールする。だが、それも虚しくティルに問いただされる。
「お前、ルナに何か変な事でも言ったのか!」
「い、言ってないぞ! オイラは変な事は口にしてない」
「お前の事だ。知らず知らずに相手を傷つけるような事を口走ったんだろ?」
「何だと! オイラは思った事ははっきり言う!」
ワノールの言葉に、フォンはそう言い睨み付ける。睨み合うフォンとワノールに、カインは慌てだしそれを止めようと必死になる。だが、その声は二人には届いていなかった。先頭のウィンスは呆れた様にその様子を窺い、深いため息を吐いた。その後も、言い合いは続き、結局この日はこれ以上進む事は出来なかった。
ティルとカインは周りの草を剣で切り裂いて円状に平らに整えた。切り取った草はカインによって焚き火となり、フォン達はここで一夜を過す事になった。
夜になっても、ルナは俯いたままジッと両膝を抱えて座り込んでいて、フォンとワノールは一言も言葉を交わさず、険悪なムードが漂っていた。その為、誰一人として話すものは居ない。
静まり返った森の中は、月の光も射し込まない為、焚き火の明かりが無ければ何も見えない位、暗いであろう。吹き抜ける風で揺れる焚き火は、六人の影を大きく揺らがせる。木々のザワメキが昼間よりも一層大きく聞こえ、遠くの方で何かの遠吠えが響く。少々肌寒く感じる風に、フォンは身を震わせながら、風牙の族長から貰ったコートを羽織った。紺色の厚手のコートで、フードは付いていないが、代わりにフワフワの毛が首周りについていた。
その温もりにホッとするフォンは、揺らめく焚き火の向うに居るルナの方を見据える。何故、急にあんな事を言ったんだろう? と、考え込むフォンは微かに漂う獣の臭いに、一瞬にして真剣な眼差しに変わり、その場に立ち上がる。しかし、辺りには茂みのカサツク音は聞こえず、その獣の臭いだけが近付いてきていた。
「どうかした? 何だか怖い顔してるけど」
怖い形相のフォンにカインが心配そうにそう訊くと、フォンの鼻がピクッと動き顔をルナの方に向ける。ルナの背後の茂みに黒く大きな影が映り、それが腕を広げているのが分かった。それを見た瞬間、フォンが力強く地を蹴る。少し乾いた地面が、フォンの足に蹴られ、静かなその場に大きな音をたて砕け散る。その音に、左目を開いたワノールはゆっくりと黒苑の柄を握り締めた。
「ルナに何しようって言うんだ!」
ルナは頭の上で聞こえたフォンの声に驚き顔を上げる。すると、目の前にフォンの足が一瞬見え、すぐに上に消えた。フォンがルナの頭の上を飛び越えたのだ。
黒い影に未だ包帯を巻いたままの右拳を振り抜く。拳は黒い影の右頬を捉え、黒い影が少しよろめきすぐさま近くの茂みへと逃げ去っていった。何やら違和感を感じたフォンは、自分の右拳を見ながら複雑そうな表情をしていた。
「大丈夫? ルナ」
ルナのもとに駆け寄り声を掛けるカインに、ルナは自分に怪我がない事を確認し答えた。
「はい。大丈夫です」
「そう。よかった。でも、今の一体……」
カインがそう言うと、フォンが戻ってきて気味悪そうに呟く。
「足音もしないし、気配も感じないなんて……。それに、全く殴った手応えが無い」
「それって、もしかして幽霊とか?」
「ま、まままままさか、そんなわけ、無いだろう」
幽霊と言う言葉に動揺を隠せない様に声を少々震わせながらティルがそう言う。フォンとカインは、あんぐりと口を開けティルの方を見据え、何秒かたった後何かに気付いた様に「はは〜ん」と、同時に言った。
この日、これ以上あの影は現れず、結局正体は分からなかった。だが、冷静なティルの意外な弱点を見つけたフォン達だった。