第74回 泣きたい時
風牙族の住む村の外れで、土煙が舞い上がる。傷の治療を受けるフォンも、傷の治療をするルナも、ボロボロで地面に這い蹲るウィンスも、集まった村の人々もその場に立ち尽くし息を呑む。激しく吹き荒れていた風は徐々に弱まり、ザワメク木々も次第に静まり返った。
土煙の方に向け、右手を翳していたアルートはその腕を下ろしゆっくりと、体を村の人々の方に向けた。今まで棒立ちしていた村の人々は、それに怯み自ずと後退していく。そんなアルートを止めようと、ウィンスは立ち上がろうとするが、もう体が限界だった。ピクリとも動かずただ、ガクガクと震えるだけだった。
そんなウィンスを尻目に、ゆったりと一歩一歩と足を進めるアルートはふと足を止め、土煙の方に顔を向け目を細める。すると、土煙の中からティルが飛び出し横一線に閃光を煌かせる。飛び上がりそれをかわしたアルートは右手と左手を地上に居るティルにむけ翳すと、両手に風が球体に集まる。口元に薄ら笑みを浮かべたアルートだが、次の瞬間表情が一転した。
宙を風に乗り真っ赤な炎の滑走してきたのだ。宙を走る炎に我が目を疑うアルートだったが、その炎は一瞬でアルートの周りを渦動し始めた。その炎に悶えるアルートは炎を打ち消すため、両手に集めた風を打ち放ち、地上に降り立った。苦しそうに息をするアルートに向って白き閃光が煌く。とっさに体を捻ったアルートは、白き刃を何とかかわし、真っ直ぐティルを睨み付ける。
「後少しだったんだがな……。上手い事避けられたか」
「でも、ティルさんも危なかったですよ」
ニコヤカに微笑むカインが、少し土で汚れた衣服を叩きながらそう言った。ティルを茶化しているような口調だが、ティルは全く気にはしていない。
立ち上がり眉間にシワを寄せるアルートは、ティルとカインを睨み怒りを露にし、足の裏に風を集め素早い動きで二人に迫る。右手に持った青空天を構え直すカインは、一瞬にして表所を変え、その目は先程の様な優しい目ではなく、少々鋭い目付きへと変貌していた。
未だ真っ赤に染まる青空天は、そんなカインの意思に共鳴する様に刃が燃え滾る。怯む事無く突っ込んでくるアルートは、両手に風を集めていた。それは、目に見えるほど大量の風だが、カインはそれに負けじと青空天の刃を覆う炎の勢いを強めた。
「行きます!」
「ウオオオオッ!」
声を張り上げるアルートは両手に集めた風をカインに向け放つ。カインも炎を纏った青空天を振り抜く。宙を滑走する炎の刃と、弾丸の様な風の球が激しくぶつかり合う。轟々しい音が辺りに轟き相殺する。
漂う土煙に目を伏せるカインに、土煙の中から風の球が飛んできた。とっさに青空天を体の前に戻し刃でそれを受け止めた。だが、小柄で細身のカインの体は衝撃に耐える事は出来ず、後方に弾き飛ばされた。そんなカインを暫し気にかけながらも、ティルは刀身の太い鋭い刃の天翔姫を構える。
土煙が消え視界が良好になるが、そこにアルートの姿はない。ひび割れた地面と岩の破片しかなく、ティルは戸惑う。辺りを見回すが何処にも姿は無く、ティルはふと俯く。地面には黒い一つの影が映り、その瞬間ティルはアルートが上にいる事に気付く。両手に集められた風は、今すぐにでも放てそうな勢いを持っており、ティルは自分の危機を察知した。
「消えろ!」
「グッ!」
アルートの両手に集められた風が同時に放たれる。二つの球は大きく一つにまとまり、ティルに一直線に落下する。歯を噛み締めるティルは天翔姫を引くと、球体の風に向って刃先を突き立てた。衝撃が天翔姫を伝って柄を握るティルの手に重くのしかかる。地面を確りと踏みしめる両足は、地面を抉りながら少しずつ押されて行くが、ティルはそれに耐えていた。だが、ティルの天翔姫の柄を握る右手は限界だった。
急に右手に力が入らなくなり、柄を握る感触が消える。と、同時に天翔姫が弾き飛び宙を舞い、風の球がティルの体を弾き飛ばした。勢いよく地面を滑るティルの体は、岩にぶつかり勢いを止めたが、全身に凄まじい痛みが走っていた。天翔姫は宙を舞った後、ティルとは大分離れた場所に寝そべった。
「ググッ……。何て力だ……」
「それに、動きも素早く、僕とティルさんだけでは……」
ティルの言葉にカインがそう言う。とっさに青空天で防いだカインだが、その体は傷だらけになっている。真っ赤だった髪も、いつしか金髪に戻っており殆ど余力は残されていない。ティルも同じだった。右腕には先程のダメージが残っており、未だ力を入れる事は出来ない。最悪な事に、天翔姫はアルートの方に転がっていた。
苦しそうな表情を見せるカインとティルの二人に、アルートは勝ち誇った様な笑みを見せる。そんな時、セフィーが涙を流しながら叫んだ。
「アルート! もう…もう止めて……。あなたは、人を傷つける様な人じゃなかったわ!」
「俺は、もう、昔の俺じゃない」
「お願い……。お願いだから、もう……」
「五月蝿い。俺の目の前から消えろ!」
風がアルートの右手に集まる。徐々に球体の形になり始める風は、更に大きく力を強めてゆく。ティルもカインも、それを止めようと必死で走る。だが、体の節々が痛み全力で走る事が出来ない。風は威力を高め、轟々しい音を村中に響き渡らせる。もう、間に合わないと皆がそう思った時、アルートの右手に集まる風が一瞬で消滅した。だが、轟々しい音だけは響き渡り、一向に鳴り止まない。
何が起こったのか、ティルもカインも分からなかった。一番戸惑っていたのはアルート自身だった。
「な! なぜだ! なぜ、風が!」
「残念……。この村一の風使いは……この俺だぞ」
アルートの戸惑う声に答えたのは地面に這い蹲るウィンスだった。左手には大量の風が集まり球体となり、今もなお風を集め続けている。そのせいで、アルートが風を集めようとしても、全てウィンスの方へと吸収されていっているのだ。
「き、貴様! 俺の邪魔を!」
「ティル! 頼む! アルートを俺の親友を姉さんの大切な人を! 悪夢から解き放ってくれ!」
力を振り絞り叫ぶウィンスに対し、横たわる天翔姫の柄を掴んだティルは口元に薄ら笑みを浮かべた。ティルと一緒に走っていたカインは、走るのをやめ青空天につく自分の血を綺麗に払い鞘にしまう。体を治療してもらうフォンも、治療するルナも、確信していた。
「や、やめろ! お、俺は!」
「悪夢は、夢の中で見るもんだ!」
刀身の大きく鋭く尖り鋭利な刃の天翔姫を振り上げたティルは、そのままアルートに向って振り下ろした。重々しい刃がアルートの体を切り裂き血があたりに飛び散った。ゆっくりと崩れ落ちるアルートの体は、静かに地面に倒れた。
安心したティルは天翔姫を地面に突き刺しその場に座り込み。風を必死に集めていたウィンスは、それを解き放ち気を失った。村の皆は喜び胸を躍らせる中、一人悲しみ泣き崩れるセフィー。そんなセフィーに歩み寄ったカインは、元気を出してもらおうと明るい口調で言う。
「元気出してください」
「グウウッ……。気休めはよして……」
「気休めなんかじゃ……」
「放っておけ。カイン。人に悲しみを忘れる時間が必要なんだ。暫く泣かせてやれ」
落ち着いた様子のティルはカインにそう言った。セフィーの事を気にかけながらもカインは頷きその場を離れた。それから、セフィーは声を張り上げ泣き続けた。村にはその鳴き声が風と共に流れた。