第72回 激突! 巨大木の根との戦い
日の光の入らない静かな村。
先程まで、家を修復していた人々はいなくなり、完全に静まり返っている。川のせせらぎの音と木々の擦れ合う音が混ざり合い、静かに音色を奏でる。そんな静かな村の中央に瞼を閉じ静かに時を待つフォンの姿があった。
時折吹き抜ける風に、茶色の髪が微かに靡き瞼の上を前髪が少しなでる。ゆっくりと瞼を開けたフォンは足の裏に微かに感じる地響きに、緊張した面持ちで拳を構える。地響きは徐々に大きくなり、地面を抉るような大きな音が辺りに轟き始めた。息を呑むフォンは、大きな爆音と共に地面を突き破り現れた大量の木の根に、苦笑する。
「オイオイ……。幾らなんでも、これは多すぎるだろ……」
唖然としながら大きく聳える木の根を見上げるフォンに、体をうねらせ木の根が一斉に襲い来る。素早く後方に跳びそれをかわすと、木の根達は地面に突き刺さりうねりながら地面を抉り地中にもぐる。木の根が地中を抉るように移動しているのか、辺りには地響きがおき轟々しい音だけが響く。
辺りを警戒するフォンは、顔を素早く動かしながら前後左右を確認する。
足元で大地が唸り声を上げるかの様に『ゴゴゴゴ……』と音が響き、地面が軋み亀裂が走る。それに気付いたフォンは、その場を素早く飛び退く。すると、地面を突き上げ石や岩を舞い上がらせながら、巨大な木の根が姿を現した。宙に浮いた岩や石は大きな音をたてながら地面に突き刺さりあたり一面に土煙が立ち込める。
目の前に現れたその巨大な木の根は、多くの木の根が絡み合い太く強靭な体へと変貌していた。そんな木の根を見上げるフォンは、口を開いたまま暫く動く事も出来ず呆然と立ち尽くしていた。あまりの大きさに驚いたのだ。
そんなフォンに太い体を最大限にまでうねらせる木の根は、頭から突進してゆく。素早く右に跳ぶフォンだが、木の根は地面を砕き周囲に破片を撒き散らせる。その飛び散った破片の一部が、フォンの額を直撃した。その場に転倒するフォンは、右手で額を押さえ地面に頭を突っ込んだままの木の根を見据える。ジワジワと額からは血が滲みだし、右手にねっとりとまとわりいた。
「グウッ……。頭がズキズキする。また、額を怪我したよ。何で、しょっちゅう額を切るかな……」
血のベッタリと付いた右手を見てフォンはぼやく。地面に頭を突っ込んでいる木の根は、ゆっくりと地面を軋ませながら重々しく体を持ち上げた。うねるその体は額から血を流すフォンの方に向き、体を少し後に引く。その瞬間、木の根がまた頭から突っ込んでくると分かったフォンは、すぐにその場を離れようと走り出す。だが、木の根は弾丸の様に頭から地面に向って突っ込んでいき、またしても硬い地面を砕いた。砕かれた地面の破片が背後からフォンに襲い掛かり、複数の鋭い破片がフォンの体を直撃する。
うつ伏せに倒れこむフォンは、左肩、腰、右脇腹に破片が直撃したのか薄らと血が滲み出ており、服が赤く染まっていた。身を小刻みに震わせ体を起こしたフォンは、唸り声を上げながら頭を左右に振る。
「うう〜っ。これじゃあ、攻撃する事無くオイラ、くたばっちまう。こうなりゃ、一か八かに出るか」
少々やけくそ気味のフォンは、痛む体を無理にでも動かし、地面に頭を突っ込んだままの木の根を見据える。すぐに地面を軋ませ重々しく体を持ち上げる木の根は、フォンの方に体をむけ、もう一度体を後に引く。それに対し、フォンも右足を引き確りと足場を踏みしめ、右拳を軽く握る。静かにゆっくりと息を口から吐き出すフォンは、真っ直ぐ木の根の頭を見据えた。勢いよく打ち出される木の根が、トップスピードでフォンに突っ込んでくる。それに対し、フォンはさほど太くも無い腕を力いっぱい突き出した。
鈍く轟々しい音が辺り一面に響き、激しい地響きが大地を揺らす。一瞬吹き荒れた風が村中を吹き抜け、近くの家々は激しく崩れ落ち、木々も斜めに倒れていた。メキメキと地面の軋む音が響き、木の根がゆっくりと頭を上げる。地面は大きく円形に崩れ、その真ん中に地面に体を埋もらせるフォンの姿があった。衣服の裾はボロボロに裂け、体中擦り傷だらけだった。外傷はさほど見られていないが、いたる箇所の骨が軋むのがわかった。
「ウッ……ガハッ……」
吐血するフォンは、左腕を持ち上げるとそれをお腹の上に置き、静かに呼吸を繰り返す。その度に疼く痛みに、表情を強張らせるフォンは体をゆっくりと起き上がらせ木の根を見上げる。太く絡み合った木の根は全く外傷は無く、クネクネと体をうねらせている。そんな木の根の姿にフォンは苦笑し、右腕を少々動かした。電流が走ったかの様に、右腕が痛み握り拳を作る事も出来なかった。先程、木の根とぶつかり合った時に痛めたのだ。
「グウッ……。右腕が……」
左手で右腕を押さえるフォンは、俯いたまま暫く動かなかった。これから、どうするかを考えていたのだ。
右腕は動かない、フォンの渾身の一撃は効かない、避けても砕けた地面の破片が襲い来る。どう考えても自分が不利だと、思うフォンは歯を固く食い縛り痛む右手を握り締めた。痛みに表情が微かに引き攣るが、それでもフォンは力を緩めず、立ち上がり木の根を見据える。力の入る右腕からは真っ赤な血が噴出し、崩れた地面が真っ赤に染まる。
歯を食い縛ったままゆっくりと息を吐き出すフォンは、目を閉じ静かに意識を集中する。耳に届く風の音と木々のザワメキ、小川の流れが徐々に聞こえなくなり始め、フォンは完全に一人の世界に入り込んだ。目の前には大きな木の根だけが立ちはだかり、フォンは右足を引き、ゆっくりと左腕を伸ばし距離をとる。目を開きもう一度息を吐き出し真っ直ぐ木の根の頭を見据える。
木の根もフォンに狙いを定め、体を後に引く。暫し睨み合うフォンと木の根は、体のバネを限界まで圧縮していた。そして先にバネを跳ね上げたのはフォンの方だった。上半身を限界まで捻り上げ右腕の痛みを必死に堪えるフォンに、遂に弾丸の様に木の根が突っ込んでくる。上から打ち下ろされる木の根の弾丸は、先程同様トップスピードでフォンに迫り、左手で距離をとったまま捻り上げた上半身と共に右拳を勢いよく突き出す。右拳が突っ込んでくる木の根の僅か数センチで止まった。
「圧衝!」
小さくフォンが呟くと、凄まじい衝撃が辺りに突風を起こし、太い木の根が中間部分から大きな音を立て砕け散ってゆく。衝撃が内部から木の根を破壊したのだ。突風は木の根の破片と共に、森の方に向って吹き抜けて行き、辺り一体の建物と木々をなぎ倒していた。
そして、空を覆っていた木々の葉はその突風により完全に吹き飛ばされ、暗がりの村の中に日の光が差し込みパッと明るくなった。急に明るく照らされ、静まり返っていた村は、大騒ぎになった。族長の家に隠れていた人々が外に飛び出し皆、村の中心にあいた大きく広い丸い天井を見上げる。そこに広がる蒼く煌く空は、とても美しく綺麗だった。
右拳を突き出したままの状態だったフォンは、背中から地面に倒れこみ木々に囲まれた青々とした空を見上げた。
「へ…ヘヘヘヘッ。危なかった……」
引き攣った表情で笑うフォンは、安心したように瞼を閉じた。長い間薄暗かった村に差し込む日差しに、村の人々は歓喜の声を上げていた。その声を聞くフォンは嬉しそうに笑みを浮かべた。その直後、すぐ横で暖かで優しいルナの声が響いた。その口調は暫し心配そうだった。
「また、無茶したんですね。体中ボロボロです。獣人はある程度体が丈夫ですが、普通の人間なら死んでます。幾ら、私が癒天族だからと言っても、治せる傷には限度があるんです、少しは自分の体を労わって下さい。分かりましたか?」
右手をフォンの胸の位置に翳すルナは、ゆったりとした感じでそう言うがフォンの返事が無いのに、軽く首をかしげ呟く。
「私の話しを聞いてますか? フォンさん」
「あう〜っ。もう、動けないぞ」
「当たり前です。体のいたる箇所の骨が折れているんですから」
「やっぱり、折れてたのか。何だか可笑しいと思ったんだよな。ハハハハ……」
「笑い事ではないのですが……」
呆れた様子のルナは表情は変えずに首を左右に振った。その後、フォンは力尽きたのか静かに寝息を立てた。
それから、暫くしてだった。村中に爆音が轟いたのは――。