第53回 旅の再開(ティル)
夜が明け、小波の音と潮の香りが漂う部屋の中で、漆黒の髪を揺らしながら大人びた顔の切れ目の少年が目を覚ました。
周りは完全に岩壁で囲まれ、天井には電気が吊るされている。一定の方向から入る風が、ビュオオオッと妙な音をたてている事から、ここが洞窟だと分かる。ベッドの他にも、キッチンや食器棚、テーブル、タンス、様々な生活用品が立ち並び、洞窟とは思えない風貌を漂わせ妙な気分だ。
暫し呆然とする切れ目の少年は、入り口の方から聞える足音に気がついた。一人? いや、二人の足音が妙にバラバラの足取りで近付く。ベッドから立ち上がった切れ目の少年は軽く伸びをして、頭を掻きながら足音の方を見る。薄暗い闇の中からでてきたのは、少々ふっくらとした顔付きの愛らしい少女とガッチリとした体格のふけ顔の男の二人だった。少女の方は腰まで届く黒髪をなびかせ切れ目の少年の方に駆け寄り、男の方は腕組みをしたまま優しく微笑む。
「やっと、目をお覚ましになったんですね」
「あぁ……」
「心配したんですよ。随分と魘されていたので」
心配そうに黒い瞳を潤ませる少女に、暫しオドオドとする切れ目の少年は、助けを求める様にふけ顔の男の方を見据えるが、男の方は完全に無視していた。その為、切れ目の少年はオドオドした態度で、
「もう、大丈夫だ」
と、言った。その後も、何かと心配そうに声を掛ける少女に、ふけ顔の男が優しく言う。
「エリス。お客さんに外の空気を吸わせてやろうと思うんだ。いいかな?」
「そうですよね。それじゃあ、ブラスト様に任せますね」
エリスと呼ばれた少女はブラストと呼んだふけ顔の男に愛らしく微笑んだ。その愛らしいエリスの笑顔に、切れ目の男は少しばかり見とれてしまっていた。そんな切れ目の少年に、ブラストの太い声が響く。
「オイ。いくぞティル」
「あ、ああ。わかった」
我に返ったティルと呼ばれた少年は、ブラストの後に続き洞窟を進んでいった。薄暗い洞窟内に響く波の音が徐々に大きくなって行き、ティルとブラストは海辺の洞窟に出た。蒼く広がる海には、真っ白な線が幾つも描かれ潮風が微かにティルの漆黒の髪を靡かせる。
「話って何だ?」
相変わらず低い声のティルの言葉に、ブラストは答える。
「お前、これからどうするつもりだ? エリスと暮すと言うなら安全な場所を探すが……」
意外なブラストの言葉に、多少驚くティルはゆっくり首を横に振り、
「いや。まだ、エリスと一緒には居られない。俺はこの前の魔獣に狙われてるし、まだやる事が残ってるんでな」
と、告げた。その言葉を聞き、ブラストは落ち着いた様子で言う。
「そうか。なら、お前が全てを終えた時、エリスに全てを告げよう」
「あぁ、頼む。お前なら魔獣が襲ってきても守ってやれるだろ」
「なぁ、俺は27歳で、お前は17だぞ。敬語とか使えないのか?」
呆れた感じのブラストはため息を吐きティルを見る。少し考えたティルだが、ブラストに敬語を使うのを想像すると、何だか背筋がぞっとした。その為、激しく頭を左右に振りブラストに言い放つ。
「いいや。ありえない。お前に敬語を使うなんて、気持ち悪くてしょうがない」
「オイオイ……。これでも、一国の王様だぞ。敬語使うのが気持ち悪いって、お前どういう神経してるんだ?」
「それより、俺は西の大陸アルバーに行きたいんだが」
「俺の話は無視か……」
沈んだ声でそう言うブラストだが、そんな事お構いなしにティルは言う。
「ここは船とか無いみたいだが、お前はどうやってここに来たんだ? また、新しい発明か?」
「お前は、何を言っても無駄の様だな」
「何の事だ?」
「なんでもないさ」
と、呆れ口調でブラストは呟いた。波の音でその声はティルに届かず、ティルは軽く首を傾げた。すると、エリスの声が洞窟の中から響き、ティルもブラストも洞窟の方に目を向けた。洞窟からゆっくりとした足取りで現れたエリスは、二人を見つけると微笑む。
「探しましたよブラスト様。この洞窟入り組んでいて、色々出口がありすぎるんですよ」
「そうなのか……」
エリスにそう言われ、ティルは戸惑いながらそう答える。意外とマイペースのエリスに落ち着いた様子でブラストが聞く。
「それで、何故俺を探してたんだ?」
「あっ、そうでした。先程、お電話がありまして、そろそろお城に戻ってきて欲しいとの事です」
「そうか。休暇ももう終わりか」
「休暇だったのか?」
当然のティルの疑問にエリスが、
「いえ、休暇ではなく無断外出なんですよ、本当は」
と、笑顔で答えた。そう愛らしく微笑まれると、悪い事でも許せるような気がする。
ブラストは笑顔でエリスの方を向き優しく呟く。
「エリス。無断外出なんかじゃないぞ。ちゃんと書置きはしてきたんだから」
「家出じゃないんだぞ……。って、言うかお前王様だろ」
「そうですよ。ブラスト様は国をまとめる王様なんですから、もう少しお城に落ち着いてくださいませ」
「二人とも、王様の苦悩を知らぬから、そう言うことがいえるんだ。どれだけ仕事が大変か……」
悲しげな瞳でティルとエリスを見るブラストだが、冷ややかなティルの目にブラストの表情は引き攣る。何とか、この場を脱出しようと、ブラストは笑いながら問う。
「それで、お前はこれから何処に行くんだ? 東の大陸に行くなら一緒に行こうと思うんだが」
「いや、俺は西のアルバーに会わなきゃならん奴が居てな」
「仲間か?」
ブラストのその言葉に少し考え込むティルだが、薄らと笑みを浮かべて、
「ああ、仲間だ」
と、答えた。ティルの口から仲間と言う言葉が聞け、少し嬉しかったブラストは寛大に笑いながらエリスに洞窟の奥から何かを持ってくる様に頼む。暫くして、洞窟の奥から平らなボードを持ってエリスがやってきた。
それが、何の道具なのか分からず、ティルが首を傾げるとブラストはそれを持ち、ゆっくりと説明する。
「これは、新しく開発した空を走るボード、スカイボードだ」
「空を走るって事は、空を飛ぶのか?」
腕組みをしたティルは不思議そうにスカイボードを見ながら言う。「もちろんだ」と、頷くブラストはスカイボードを手放す。すると、スカイボードは地面から少し浮いて横になる。
その光景に驚くティルは、スカイボードを軽く足蹴する。
「オイオイ。蹴るなよ。これは、貴重な試作品で、世の中に一台しかないんだぞ。少し大事にしろよ」
「でも、何で浮いてるんだ?」
「飛行艇とほぼ同じ造りになっていてな。人三人位までなら乗せる事が出来るぞ」
「飛行艇と同じ造りにしちゃ、随分少ない定員だな」
「まぁ、造りは一緒でも内蔵する機器は小型だから、飛行艇よりも出力が出ないんだな。まぁ、スピードなら結構出るから、ここからアルバーまでなら二日くらいでつけるんじゃないか?」
スカイボードに軽々と乗るブラストは、宙を一回転して戻ってくる。一応、見本を見せたつもりなのだ。
だが、未だにただの細いボードが浮く事が信じられないティルは、疑いの眼差しでブラストを見据えていた。スカイボードを右手で持ち上げたブラスターは、疑うティルに多少呆れつつ言い放つ。
「疑っている様だが、今飛んで見せただろ」
「まぁ、そうだけど……」
「ついでに、こいつは燃料が要らないと来た。凄い発明品だろ?」
「凄いといえば凄いが……。初めて乗る奴がちゃんと乗りこなせるのかが問題だろ? それに、飛んでる時に落ちたら大怪我だ」
「お前は心配性だな。これはな、ちゃんと足をボードに固定するから落ちる心配は無い」
自信満々にブラストはそう言うが、イマイチ信用できない。この前の天翔姫の試作品のボックスを、初めて使った時も失敗して危うく大怪我をする所だったと、言う思い出がティルの頭に残っていたからだ。
黙りこんで考えるティルを、スカイボードに乗せようとブラストは馬鹿にする様な口調で言う。
「まさか、落ちるのが怖くて乗れないって訳じゃないだろうな?」
「そうだな。落ちて大怪我するのは嫌だからな」
いたって冷静な口調のティルは、頷きながらブラストの目を見る。ブラストも冷静なティルがこの程度の挑発に乗るはずは無いと、確信しており次なる作戦を実行するため、ティルに歩み寄った。そして耳元で、
「妹の前では、自分のかっこ悪い所見せたくないもんな」
と、小声で言った。もちろん、エリスには聞えていないため、ニコニコと微笑みながらティルとブラストを見つめていて、ティルはその笑顔を見ているとブラストの言葉が無性に腹が立つ。
「いいだろう。乗ってやろう。まぁ、すぐに乗りこなしてやるさ」
「おおっ。乗りこなしてみろよ」
作戦が上手くいき、歯を見せて笑うブラストはスカイボードをティルに手渡す。不慣れな手付きでスカイボードを受け取るティルは、ボードを寝かせ不安定なスカイボードに足を乗せた。唾を呑むティルの額から一筋の汗が垂れ、緊張が高まる。
そして、遂にティルが両足をスカイボードに乗せゆっくりとアクセルを踏み込んだ。不安定なスカイボードを上手くコントロールするティルは、徐々にスピードを上げて行き、海の上を水飛沫を上げながら一直線に進んでいった。
「結構上手い事乗りこなしてるな」
「そうですね。初めてであんなに乗りこなした人はブラスト様以来ですね」
「まぁ、俺の見込んだ男だ。これくらい簡単にしてくれないと」
「でも、お客様あのまま行っちゃいましたよ? ブラスト様は帰りどうするんですか?」
「あっ! そうだ! スカイボード一台しかないのに!」
その後、ブラストは一週間この島を出る事は出来なかった。