第42回 変わり果てた姿
黒き十字架本部の廊下を、走り回っていたティルは、ようやく外に出る事の出来た。額からは大量の汗が流れ出ており、息遣いも荒かった。外ではてっきり処刑が始まろうとしていると思っていたティルは、目の前の光景に驚きを隠せずにいる。
それもそのはず、先程までいた観衆は消え空には黒煙が立ち上っている。そして、辺り一帯に散乱する血の跡と魔獣の死体。変わり果てた光景に、ティルはゆっくり口を開く。
「どうなってんだ?」
辺りを見回したティルは、処刑台の上に居るフォンを発見する。そして、声を掛けようと一歩踏み出す。その瞬間、何かが勢いよく処刑台に衝突し、激しい音を起て処刑台を破壊する。崩れる木で出来た処刑台は、そのまま上に乗るフォンの体を呑み込み、辺り一面を土煙で覆いつくす。
「フォーン! 大丈夫か!」
崩れ落ちた処刑台の瓦礫に向って叫ぶが、返事は返ってこない。木々をどかしながら、フォンを探すティルは一人の男を発見する。それは、額から血を流し鎧も砕け散ったワノールだった。体中傷だらけで息の荒いワノールに、ティルは声を掛ける。
「お、オイ! 何があったんだ!」
「ウッ…ウウッ……」
ティルの言葉に意識を取り戻したワノールは、左目でゆっくりとティルの顔を見て立ち上がる。額から流れる血を左手で拭い右手に持った黒い刃の剣を構えなおす。そして、崩れた岩壁の向こうを見据えるワノールは表情を少しばかり強張らせる。
「気をつけろ……。奴は、他とは違う」
「奴って、誰のことだ?」
「あの岩壁の向こうに居る奴だ。人間の言葉を話す変わった奴だ」
「魔獣が言葉を?」
怪訝そうな表情を見せるティルの方に顔を向けた。だが、ワノールの表情は真剣そのもので、嘘をついているとは思えなかった。そのため、ティルはボックスを剣に変えて構える。そんなティルにワノールが、声を張り上げて言う。
「気をつけろ! 奴が来るぞ!」
「ああ。わかった」
「誰が来るんだ?」
二人の背後からのいきなりの声。少しガラガラで濁った様な声に二人は驚きを隠せない。そして、振り返ろうとした直後に、二人の体は地面を這う。倒れるティルとワノールは、全身に苦痛を伴い動く事もままならない。一撃でこんなにも痛みを伴うのは、初めてのティルはその魔獣の強さを認識した。
そんなティルとワノールの前には、鋭い目付きで茶色の毛で覆われた身体の大きな魔獣が居た。裂けた口からは大きく鋭い牙が剥き出しになり、腕や足も太く引き締まっている。その巨体の魔獣は二人の傍まで歩み寄り、立ち止まると見下したまま口を開く。
「少しばかり、腕のたつ奴がここに居ると聞いて来たが……。まさか、この程度とは……」
少しガッカリした様な口調の魔獣は、ゆっくりと腰を曲げると、ティルとワノールの首を掴み上げる。足が地面から離れ完全に首を絞められるティルとワノールは抵抗も出来ない。そんな二人に魔獣は言葉を続ける。
「最初に死にたいのは、どいつだ? それとも、同時にあの世に行くか?」
「グウッ」
「うっ」
苦痛に顔を歪めるティルとワノールの表情に、楽しげに微笑む魔獣は更に強く首を絞める。鋭い爪が首に徐々に食い込み、真っ赤な血が流れ出す。首を絞められ息が出来ず、苦しむ二人の意識は徐々に薄れてゆき、魔獣の姿も霞んで消えかける。
その時、地響きが起き激しい爆音と共に崩れた処刑台の木々の破片が宙に舞う。そして、大きな獣の遠吠えの様なものが辺りに轟く。
「グオオオオオオオッ」
そして、木々の下から現れたのは完全に獣と化したフォンの姿だった。目は完全に獣の様な目になり血を求めるかの様に薄気味悪く黄色く光る。手足の爪も鋭く突き出てギラギラと輝きを放ち、口からは二本の鋭い牙が剥き出しにされ、腕周りも脚周りも普段の何倍にも膨れ上がっている。腕が背中で鎖に巻かれているため、少し苦しそうに声を上げるフォン。
「ウ――――ッ! ガウッ、ガウッ」
そんなフォンを哀れむ様な目で見据える魔獣はティルをワノールの首を絞めたまま言い放つ。
「獣人か。可哀想に、腕を鎖で縛られ身動きも取れないとは……」
魔獣がそう言った矢先、獣と化したフォンは腕を縛りつける鎖を力強く引きちぎる。鎖の砕け散る音が小さく響き、フォンの両腕が自由になる。それと、同時に宙を舞う木々の破片が雨の様に地面に降り注ぎ、大きな音と地響きを起こし辺りに土煙が立ち込める。
その土煙の中、フォンは鋭い目で辺りを見回し、口元からは大量の涎が零れ落ちる。獣の様に息を荒げるフォンは、鼻をピクピクと動かし、土煙の中を走り出す。
土煙で完全にフォンを見失った魔獣は、ティルとワノールの体を投げ飛ばし身構える。その瞬間、土煙の中から鋭く拳が突き出され、魔獣の体は宙に舞う。全く反応する事が出来ない。
「グフッ」
口から血を吐いた魔獣は、身体を思いっきり地面に叩きつけられる。地面は砕け散り地響きを起こす。そして、横たわる魔獣に向って右足を振り下ろすフォン。骨の砕ける音と共に、魔獣の口から大量の血が吐き出された。肋骨が砕けたのだろう。
何とか意識のあるティルとワノールは、その光景を目の当たりにし背筋がゾッとするほどの感覚に身を震わせる。
「あ…あれが……、本当にフォンなのか……」
「あれが、獣人の本当の姿だ。これで、わかっただろ、恐ろしさが」
「ガウウウウウッ!」
雄叫びを上げるフォンは、地面にめり込む魔獣の体に鋭い爪を突き立てる。何度も何度も、爪を突き立て血を撒き散らせる。ティルとワノールを圧倒した魔獣は、すでに息絶え動かない。それでも、爪を突き立てるフォンの姿は、恐ろしく恐怖すら感じ取れる。
ようやく、魔獣が息絶えた事に気付いたフォンは、血で真っ赤な右手で魔獣の頭を握る。徐々に握る力を強めているのか、辺りには魔獣の頭蓋骨が軋む音が響き渡る。耳を塞ぎたくなる様な嫌な音が長い間続き、完全に握り潰した時にはティルもワノールも意識を失いそうになっていた。
「グオオオオオッ!」
魔獣の死体を放り投げたフォンは、胸を張り雄叫びを上げる。
そして、今度はゆっくりとティルとワノールの方へと身体を向ける。その表情から完全に殺されると感じ取った二人は、全身の走る痛みに堪えながら立ち上がり武器を構えた。二人の剣を握る手は恐怖と痛みから小刻みに震える。
「ハァーッ…ハァーッ……。ウ―――ッ」
息を荒げ地響きを起こしながら一歩ずつ歩み寄るフォンに、二人は少しずつ距離をとって行く。勝ち目も無いしこの状況から逃げ出す事も出来ない二人は、ジッとフォンを見据える。
「あの魔獣の様に俺達も殺されるな」
「クッ! どうすれば……」
歯を食いしばるティルは、俯き言葉を詰まらせる。その時、風を切る音と共に激しい衝撃が全身を襲い、身体が宙を舞う。何が起こったのか全く分からず、ティルは真っ青な空を見上げていた。気付いた時には地面を滑る様に体が落ちる。
「ウウッ……。何だ今の……」
何処を殴られ吹き飛ばされたのかすら分からない程体中が痛み、ティルは体を動かすことも出来ないが、必死に上半身を起こしフォンとワノールの方を見る。その瞬間、フォンの左腕がしなり一瞬にしてワノールを石壁に叩きつける。石壁は簡単に崩れ落ち、ワノールは瓦礫の下敷きに。
「ガアアアアアアッ!」
激しく雄叫びをあげるフォンは、両手で石畳の地面を殴る。その度に鈍い音と地響きが起き、大きな建物はその地響きで崩れてゆく。