第29回 パニック
雨脚が強まり更に大きな雨音を起て、柱に掴まるフォンの袖は雨でビチャビチャになっている。
緊張の走るティルとミーファは息を呑み、ゆっくりと暗い部屋の中を覗く。静まり返る部屋の中は、目が慣れていないせいで全く見えていなかったが、目が慣れてくると徐々に部屋の様子が見えてきた。
部屋の中はボロボロの棚や机があり、床はまだ痛んではいない様だ。それに、長い間使われていないのか、部屋の隅には沢山の蜘蛛の巣が張り巡らされている。
この瞬間、ティルはある事を思い出し素早くフォンの方に振り返り、剣をボックスに戻して腰にぶら下げると、呆れた表情でため息を吐く。ミーファには何が何だか全く分からず、思わず口を開く。
「ねぇ、どうして武器をしまったの?」
当然の疑問を切り出すミーファに対し、半笑いしながらティルが答える。
「あいつが怖がってたのは、あれだ」
「あれって……」
ティルの視線の先には結構大きな蜘蛛の姿がある。そう、フォンが怯えていたのはこの蜘蛛が自分の顔の前を横切ったからだ。「ハハハ……」と、苦笑しながらミーファの中でフォンの評価が下がったのだ。
「まぁ、あいつはほっといて俺達は家に入るとするか」
「そうね。取り合えず、シャワーが使えればいいけど……」
「それは、無理だろ。こんな所でシャワーが使える――!?」
家に入り数歩歩くと、急に床が抜けティルの姿が一瞬でミーファの視界から消える。驚き慌てふためくミーファの頭の中は完全に混乱していた。そんな自体とも知らずに、フォンはまだ柱に掴まったままだ。
一方、床から落ちたティルはいたって冷静で周りを手探りで確認する。結構、深い穴があったらしく、見上げると小さな穴と天井が見える。周囲は壁になっており、一方にだけ横穴が続いていた。だが、光が無いため先には進めずにいる。
「こう暗いと何も見えん……。オーイ! ランプか何か無いか?」
上を見上げながら叫ぶティルだが、返事は返ってこない。その後も、何度も叫ぶが返事は全く返ってこなかった。
その頃、上ではミーファが慌てふためいていた。
「ど、どどどどどしよう! テテテテテティルが――」
頭を抱え穴の周りを歩き回るミーファの姿を見て、怯えていたフォンはようやく落ち着きを取り戻す。柱にしがみ付いていた自分が急に恥ずかしくなり、顔を赤面させるフォンはゆっくりミーファの方に歩み寄る。
そして、部屋の中に蜘蛛が居ない事を確認して慌てるミーファに言葉を掛ける。
「落ち着けよミーファ」
若干声の震えるフォン。やはり、蜘蛛がどこかから急に出てくるのでは無いかと言う恐怖心があるのだろう。ミーファはそんなフォンの襟首を掴み激しく前後に揺さぶる。頭が激しく揺さ振られ目を回すフォンは、大声で叫ぶ。
「や〜め〜ろ〜!」
「それより、ティルを助けに行きなさいよ!」
「エッ!? ちょ!」
言葉を発する前にフォンの体が穴の中に投げ落とされた。真っ逆さまに落ちるフォンは、地面に頭をぶつけて目を回す。激しい音を起てて落ちたフォンに、鋭い二つの眼球が向けられたる。そして、不満そうな声で言い放つ。
「何でお前まで落ちてくるんだ?」
「その声は……」
逆様のままフォンはその声のした方に顔を向け、遠目で闇にいるティルの顔を見ようとする。だが、結局ティルの姿を確認する事は出来なかった。
「大丈夫か? ティル」
「大丈夫だ。何とか傷無く済んだ。奇跡と言うほか無いな」
暗闇でティルは軽く首を傾げるが、フォンには全くその行動が見えていない。そんなフォンもゆっくり体勢を戻すと首の骨を二、三度鳴らして立ち上がる。足元に何があるかは見えないが、何かが動くのが何となく分かった。
「なぁ、何か照らす物は無いのか? 今足元で何か動いてさ」
「んなもんあるわけないだろ? 大体、俺が何度名前を呼んだか……」
何やら暗闇の中から冷たい視線を感じるフォンは、顔を引きつらせながら笑みを作る。暗闇で笑みを作ってもティルには、見えていないため全く意味は無い。そんなフォンにティルが小さくぼやく。
「それで、ミーファはどうしたんだ?」
「さぁ? オイラをこの穴に落として、それっきりかな」
「女に落とされたのか?」
「殆ど不意打ちだ。全く何処がか弱いだよ」
不満そうな表情でブツブツと文句を言うフォンの姿は見えないが、ティルにはどんな顔をしているのか大体予想がつく。そして、上ではミーファの足音だけが響いていた。