第9話「よく考えるこった」
「おはよう、紅鬼。」
水やりをしていた紅鬼は白龍の言葉に顔をあげ、立ち上がる。
すると、自らの両手をちらちら見て、ん~と悩んだ後、
差し出された彼の左手を、右手で軽く叩く。
言葉を持たない彼女の“挨拶”だ。
白龍はまず彼女に挨拶をさせることを教えた。
そして、朝昼晩と共に食事を取る。
決められた分を、規則正しく食べる。
周りの兵士達は驚いていたが、食事係は白龍に対し感涙した。
嫌がるかと思った。
だが、紅鬼はたどたどしくはあるけれど、すんなりと受け入れた。
白龍と談笑する、そんなことはありえないが、
日がな一日彼についてまわり、彼のすることを真似た。
悪い事をすれば叱られ、良い事をすれば褒められる。
はたから見れば、親と子のような関係に見えるが、
彼女に叱られることも褒められる事も、たいした事では無い。
だが、白龍が叱った事柄を繰り返すような事はあまりしなかった。
黄猿は言った。
「“鬼”を“人”に還す気か?」
白龍は望むところよ、と答えた。
蛇黒の悔しがる顔が見たかった。
だが、蛇黒はただ余裕の笑みを浮かべただけだった。
再び戦が起こった。
そして目前では、並べられた首の名前が読み上げられる。
変わらず、全身を赤に染めた紅鬼は、蛇黒の言葉を待つ。
紅鬼は馬鹿で無い。
むしろ知性も知力も他人より頭一つ分ほど出ているくらいだ。
首を並べたとて、決して嬉しそうには見えないし。
戦を好いている様子など微塵にも感じられない。
一度たりとて蛇黒に褒められたことも無いのに、
ただ、彼に声をかけられた時だけ目を輝かすのだ。
いつものように蛇黒から合図をもらい、紅鬼は白馬を呼んだ。
白龍が今回は大人しく城へ戻るかと、ため息をつき、唾を返した時だ。
突如、目前に真っ赤に汚れたままの紅鬼が現れた。
彼女は物を食べる動作を見せた。
あぁ、と理解する。
「先に体を洗ってこい。馬も綺麗にしてやれ。
戻ってきたら私に声をかけよ。夕餉はそれまで待っておく。」
彼女は勢いよく頷き、さっと白馬に跨がり去って行った。
彼女の行動に周りの人間は驚いていたが、
蛇黒だけは笑みを浮かべ、その場を後にした。
「酷な事をする男だな。
蛇黒様も何故こんな奴を自由にさせるのか理解できん。」
不満をぶつけてきたのは蒼犬だった。
「何が酷なんだ?」
「鬼を人に変えて、戦で使えなくなったらどうする気だ?」
彼女の鋭い視線を受け流す。
「俺もそう思ってたよ。」
彼のため息に蒼犬は疑問を浮かべた。
人の心を持たないから、戦で鬼になれるものだと思っていた。
だから、人としての礼儀や礼節、一定の生活を教えた。
彼女も素直に受け入れたし、存在を認識してもくれた。
だが、彼女は再び戦で“鬼”となった。
おまけに前回よりも手土産は増えたのだ。
白龍は昔から頭脳を使うことが好きな男だった。
剣術も恐れられるほどの使い手に変わりは無かったが、
難しい問題や論法、考古学等を好んで学んだ。
それ故に、人の気持ちなどを簡単に見通し、時に操作することもしてきた。
それの恰好の的が女性であり、攻略することを楽しんでしたのだ。
そんな彼が、紅鬼という難題を解読出来ずにいるのだ。
「いやぁ、俺様も心配したが、要らぬ気掛かりだったようだなぁ、あっはっは!」
黄猿が笑いながらやってきた。
下品な笑い方だと蒼犬は顔をしかめた。
「だから皇帝陛下も余裕の笑みってわけだ。
軍配はあのお人の一人勝ちですな?」
「ふん、昔から競い事であやつに勝った試しが無い。」
どんな些細な競い事も、一度たりとて勝てなかった。
どれほど追い込んだとて、気がつけば形勢逆転。
何度、あの笑みを憎らしく思ったことか。
「俺らより、皇帝陛下のほうが鬼子を理解してるってことかね?」
嫌な響きだ。勝ち負けでは無いが、どうしても蛇黒のほうが優位だ。
その事実は何年経とうがずっとついてくるのか。
「ま、あの人と鬼子の付き合いは、ぽっと出のあんたより、ずっと長い。
……………よく考えるこった。」
ずいぶんと、意地の悪い顔を黄猿が見せた。
何を考えろと言うのか。
その晩、蛇黒だけは自室で食事を取った。
蒼犬は嫌がったが、無理矢理黄猿に食堂へ連れて来られた。
そして、大人しく食事を取る紅鬼の姿に目を丸くした。
「紅鬼、箸の持ち方が違う。」
癖というものは中々抜けない。
廊下を走る事も未だ抜けずに叱られる。
そして、いつも匙を使っていたせいか、
紅鬼は箸の持ち方が壊滅的に下手くそだった。
それでも白龍は根気よく、彼女に丁寧に教える。
益々、蒼犬の顔がまるで奇妙な物を見ているかのような表情に変わる。
驚きのあまり食欲が減るほどだ。
そして、食べ終わったはずの紅鬼の顔が優れない。
戦の後だ、いつも以上の食欲が生まれたはず。
だが、彼女はおかわりをねだらず、白龍が食べ終わるのを待っている。
どう見ても腹が満ち足りて無く、酷く我慢しているように見える。
その様子に、白龍は笑いを堪え、食事係の女性の所へ近づいた。
「まだ、食べ物は残っているか?」
すっと、さりげなく台に置かれた彼女の手に、自らの手を重ねる。
そしてわざとらしく「あ」と手を慌てて離し、照れたような笑顔を見せる。
女性は顔を赤くして、
「少しなら…。」
と答えた。
「そうか、それまで貰ってしまっては君達の分が少なくなってしまうね。
そんなことはしてはいけないな。有難う。」
そう言って彼が立ち去ろうとした時、彼女は慌てて声をかける。
「大丈夫です!まだ材料あるので自分達の分を作れますから!」
あまりの効果に苦笑いを隠せない白龍だが、
申し訳なさそうな笑みを浮かべ、
「彼女の分なんだが…」
と、紅鬼を指差す。
女性は他の食事係の女達としばらく顔を見合わせたが
「しばらく大人しかったですし…。」
と、呟いた。
紅鬼の暴食が止まり、感動の涙を流すほどだ。
よほど嬉しかったのだろう。
白龍は彼女の耳元に口を近づけ
「有難う」
と囁いた。
その後、食事係がやたらと活気づいたことは言うまでもなく、
紅鬼は満足な食事にありつけ、たいそう機嫌になった。
ついでに、黄猿と蒼犬にはより一層「嫌な男」と刻み込まれた。
続く