第6話「大事に扱ってやらなくてどうする」
本拠地からそう遠くない場所に森はあった。
ずいぶんと奥まったところでようやく泉が見えてきた。
ぱしゃりと水の動く音がする。
その音をたよりに近づくと、
見覚えのある白馬が水を飲んでいた。
見事な白馬だが、その体もまた赤に染まっていた。
紅鬼の姿を探す。
だが、見当たらない。
水面が激しく揺れる。
するりと白い物体が泉から上がってくる。
「――――――紅鬼ど、」
呼びかけようとして、止まる。
確かに彼女だ。間違いなく紅鬼だ。
だが、何も着ていない。
裸の彼女を目にし、固まる白龍。
一方の紅鬼は彼の姿を確認したが、全く動じない。
何だ?という視線ばかり送っている。
ようやく白龍が我にかえり、慌てて目を背け彼女の姿を掌で隠し、大声を出す。
「早く体を隠せ!!!!!!」
そう言われ、自分の姿を確認したが、
納得できないのか首をかしげる紅鬼。
だが、白龍は目を背けたままで埒があかないと、
渋々近くの木に吊るしてあった自分の衣服を身に纏った。
ようやく着てくれたと、安心して姿を確認するが、
それはほとんど下着のような状態で、
きちんとした上着も甲冑も身に着けていない。
見は出来るが、なんという様かと呆れが出てきた。
そういえば、黄猿が「礼儀も何もなっちゃいない」と言っていたのを思い出した。
その言葉の意味を理解した。
紅鬼は常識を携えていない。
無関心、無頓着、不精でがさつ。
まるで野生の獣と何らかわらない性格の持ち主だ。
血を全身に浴びても気にも留めないのは、
泥が体についても気にしないのと同じ。
全てを悟って、白龍はため息をつく。
“花”とはよく言ったものだ。
彼女は“獣”だったということだ。
彼の中の色欲は極端に減少した。
こういう人間は白龍の美学に反するのだ。
つまり、“苦手”な部類である。
落ち着いた紅鬼は、布を水に濡らし、白馬の体を拭き始めた。
血が固まってしまったのか中々落ちないらしく、
力任せに馬の体をごしごしとこする。
それを見た白龍は慌てて止めに入る。
「こら!そんな風にしては体を痛める!!」
紅鬼から布を取り上げる。
そして、撫でるように丁寧に血のりを拭っていく。
「こうして、少しずつ丁寧にふき取ってやらねば、傷になるであろう!?」
手本を見せ、彼女に教えるが、不満そうに眉間に皺を寄せる顔が見えた。
白馬が見事な馬であることはわかるのだが、
どうも毛並みが荒れていて、まるで手入れのされていない様だった。
がさつな彼女が面倒を見ているのだと知れば、理解できた。
「馬の毛並みは彼らの健康状態の印だということを知らないのか?」
紅鬼は視線を横にずらし、う~んと考え込む。
その様子にがくりと肩を落とす。
「馬の健康は毛並みで確認できる、荒れていればどこかが悪い。
だからこそ、普段から美しい毛並みにしておく必要がある。
それと、傷がついてそのままにしておけば皮膚病にもなる。
人間の病気とは違うのだから、治すのも一苦労なんだ。
言葉を持たない彼らだからこそ、
乗り手の貴殿が一番理解し、大事に扱ってやらなくてどうする!?」
白龍に叱られ、心なしかしゅんと落ち込んだ表情になった気がした。
少しだけ気が引けたが、それにいち早く反応したのは馬のほうだった。
馬は、彼女の顔に鼻先を摺り寄せる。
何度も何度も、まるで彼女を心配しているように。
紅鬼も、馬を可愛がるように鼻先を撫でて、ぎゅうと抱きしめる。
ずいぶんと懐いている。
不思議な気分だった。
戦場ではあれほどの残酷な姿を見せていたのに、
今、目の前では馬と楽しそうに戯れる一人の少女しか見えない。
あどけない笑顔に心底驚いた。
すると彼女は突然白龍に向き直り、左の手の平をぱっと広げて見せる。
その行動に戸惑っていると、何度も彼女は手を広げる動きを見せた。
何となく、白龍は自分の右手を彼女に向けて広げてみた。
すると紅鬼は人差し指で、彼の手の平をなぞる。
文字を書き始めた。
[どうすればいい?]
そうはっきり書いた。
何をだと疑問に思ったが、馬をしきりに触るので、ようやく察した。
「とにかく、優しく撫でるように血のりを拭いてやれ。」
布を返して、そう言った。
すると彼女はゆっくりとぎこちなく馬の体を拭く。
その様子にふと笑みがこぼれたが、必死な表情が見えた。
白龍は自らの手で、「こういう風に」と動きをつけて教える。
「体の流れに沿ってやると、馬も気持ちが良いのだ。」
白龍の動きを真似して、紅鬼が動く。
しばらくすると、馬がまた彼女に鼻先を摺り寄せた。
どうやら気持ちが良いらしい。
紅鬼も嬉しそうに鼻先を撫でてやる。
その光景に、白龍はもう一つ理解した。
紅鬼は礼儀や常識を“知らない”
教えられていないのだ。
少しだけ苦手意識が消える。
だが、やることやり終え満足した彼女が、
白龍の存在をほっぽって颯爽と城に帰る姿を見て
また、彼の自信が削られたのである。
続く