第5話「何がお前をこんなにも」
その様を何と例えて表現すればいい?
白龍は声をあげることすら出来ずに、ただその光景を見ていた。
白馬に跨がった少女は、ただ一騎で敵軍に向かい、敵陣に突っ込んだ。
すぐにその姿は敵陣に飲み込まれ見えなくなった。
あまりに無茶だと思った。
蛇黒に詰め寄ろうとしたその瞬間。
けたたましい叫び声が幾つも上がる。
何事かと視線を戦場に戻すと、狼銀軍の銀色の軍隊の一部が真っ赤に染め上がる。
ずいぶんと離れたこの場所からでもはっきり見てとれるほど、それは見える。
徐々にそれは広がり、真っ赤な道が出来上がる。
そこには全身に返り血を浴び、
折り重なって倒れた敵兵の中心にただ一人、
大刀を構えて立つ紅鬼の姿があった。
白龍は思わず戦場のほうへ近づいた。
本拠地の中でももっと戦場の際へ。
兵達に止められるほど進む。
再び紅鬼は走り出した。
彼女の大刀が敵陣を舞う。
それは力強く振りかざされ、人にきりこまれてゆく。
時に、彼女の手から離れたかと思うと、
その手と刀を布で繋ぎ、まるで鎌のようにきりつけられていく。
一度、彼女が動けば数多の赤が宙を舞い、
その後には血塗られた生々しい道が残る。
突如、彼女の前に倍はあろう体格の武将が立ちはだかる。
狼銀軍の中でも名の通った将軍だ。
彼の姿に、足を止め、一呼吸つく紅鬼。
だが敵将が一歩動くと同時に、
彼女も大きな一歩を踏み出し、迷わず彼に立ち向かう。
それは一瞬。
突然現れた白馬を踏み台に、紅鬼は宙を飛ぶ。
その体は円を描き、敵将の頭上を飛び越えた。
次に見えたものは、動きを止め、地面に倒れた敵将の体。
頭と胴体は見事に切り離されていた。
それでも紅鬼は止まらない。
ただひたすらに大刀を奮い、次から次へと死道を作っていく。
血を浴びることを気にも止めず、
倒れていく人間も捨てて、迷うこと無く戦場をかける。
ただ一人で。
小柄な体は真っ赤に染まり、悲鳴や叫び声を幾多も生み出していく。
「――――――――紅鬼。」
その声に視線を向ければ、笑みを浮かべた蛇黒の顔があった。
先程と変わらず、椅子に腰掛け、戦場を見つめる。
「これが、先祖代々受け継がれてきた、鬼の名の由来よ。」
流石に蛇黒以外の人間は、無表情だった。
その感情を知り得ることは出来ないが、ただ蛇黒だけはこの状況を楽しんでいる。
それだけは確かだと白龍は確信した。
そんな男だっただろうか?
かつての友を思い出す。
決して善とは言い難い性格ではあったが、戦場を楽しむ男では無かった。
武力も知略もあり、人望もあった。
器用な男では無かったが、
真っ直ぐで豪胆で力強い姿は、人を引き付けるものがあった。
だからこそ、次代の皇帝に相応しいと称された。
だが、彼は今や誰もが恐れる残虐非道な悪帝。
『何がお前をこんなにも変えたんだ?』
しばらく見ない間に、ずいぶんと変わってしまった旧友を想った。
あの頃の面影を微塵も感じられないことに心を痛める。
やがて、太鼓の音が鳴り響く。
狼銀軍の撤退の合図だ。
それに合わせ、蛇黒軍の撤退の合図も鳴り、紅鬼も自軍へ戻る。
手土産を携えて。
本拠地の入口にそれは並べられた。
合計で10体が横一列に。
紅鬼が勝ち取った、勝利の証。
名が通った敵将の生首だ。
臣下によって、片っ端から名前を読み上げられる。
紅鬼は血を浴びたまま、蛇黒の言葉を待つ。
読み上げ終え、名前の書かれた書物が蛇黒に手渡された。
「あれは何をしているんだ?」
「数を数えているのさ。」
白龍の問いに、黄猿は静かに答える。
しかめ面を見せる彼に黄猿はそっと耳打ちした。
「“名の通った敵将の首を千取ってくれば、一族もろとも解放してやる。”
それが陛下が鬼子に出した約束事さ。」
その約束のために彼女は刀をふるうのだ。と教えてくれた。
「まぁ、昔は母親が生きていたからあれだったが、
今はあの娘ただ一人だけ。
それでも、あの鬼子はその約束を果たそうとしてんのさ。」
ちょうど黄猿が話終えた頃、蛇黒が言い放つ。
「最後の一つの名が無いぞ?」
「はい、どうやら最近将軍に格上げされた者のようでして…。」
銀色の鎧に狼銀の紋章が入っているのは、将軍の証。
紅鬼はそれを目印に、その首を狙う。
「名がわからんのであれば、数には入れぬ。今日は九つだ。」
周りの臣下達は少しざわついたが、
当の本人の紅鬼は気にも留めず、
いつものように拳で礼をとる。
挨拶をもらい、彼女は白馬に跨がり颯爽と去って行った。
「どこへ?」
「近くの泉に行ったんですよ。いつも戦のあとはそこに行く。」
気になるなら行ってくればいいと、黄猿は笑って言った。
蛇黒に視線をやると、ふっと嫌な笑顔を見せて城に帰って行く。
白龍は馬を借り、教えられた泉へ向かった。
続く