第46話「お前は死んでいたはずだ。」
藍猪は素直に応じた。
二人だけ共を連れて、広間に踏み入れた。
彼らはすぐに礼をとり、跪く。
玉座から狼銀は声をかける。
「そなたが先々帝、猪碧帝の子息か?」
「はい、藍猪と申します。」
「今一度、その胸の内を聞こう。」
「鬼を生かしてはなりません。」
臆さずに、真っ直ぐ藍猪は告げた。
狼銀の表情は曇る。
「紅輝の処遇については将王から聞いたはずだ。
それでも、なおもそう言うか?」
「人の心で考えるならば、陛下の決断は尊いものだと思います。
ですが、その意を万人の民が理解するとは思えませぬ。
ましてや、将軍の中にも納得してない方もおられ、
私自身も賛同しかねる状態でございます。
これは後に、この国に災いと為す事になりかねます。
今ならまだ間に合いましょう、どうか処断を。」
「ならば、お主が我々に毒を盛った事はどうするつもりか?」
「鬼の処断を見届けた後、自ら命を絶つ次第であります。」
迷い無くそう宣言を立てられ、益々狼銀はしかめ面を見せた。
潔さも、筋書きも才能を持ち合わせている。
だからこそ、こうしてついて来る軍を作ることも出来た。
もし、蛇黒の反逆がなければ、藍猪は今頃有能な才を発揮し、
次代の皇帝として、この玉座に座っていたのかもしれない。
「・・・私の目指す世は、人の命を生かす世だ。
蛇黒のように全てを奪ってしまえば、
また主らのような人間を生んでしまう。
だからこそ、紅輝を生かし、紫鳥にも手を出させまいとしたのだ。
紫鳥の行った事は反逆とも変わらぬ。
だが、国と私を想う故のこと、私の考えをきちんと伝えていなかったのが原因だ。
それ故、紫鳥にもお主にも処罰を与えるつもりはない。
ましてや、紅輝の命も奪うつもりもない。
私の命が果てようとも、誰の命も奪いさせはせぬ。」
あたりがざわつく。
白龍が発言しようとしたが、狼銀は手の平を見せ、それを止めた。
「まぁ、今ここで私が死んだとして、
そなたたちの命を守れたかはわからぬままになる。
ましてや、まだ混迷の世の中のままだ、
成すべき事がまだ山の如く残っている故、
この命をくれてやることは出来ぬのだがな。」
一同はその発言にほっと胸を撫で下ろした。
「だから、許せと?このまま帰れと仰られますか?」
「そう願っている。民を想うなら理解をして欲しい。」
だが、藍猪は首を縦にはふらない。
どうしたものかと狼銀が悩んでいると、
彼の許可をもらい、白龍がゆっくりと前に進み出た。
「紅輝が居なければ、お前は死んでいたはずだ。」
藍猪は顔を上げた。
重傷を負っていた彼を助けたのは、紅輝だった。
「お前が彼女に出会った時、彼女は深手を負っていたと言ったな?」
「………はい。」
「あれは私が負わせた傷だ。」
藍猪の瞳が見開かれた。
「彼女の目前で、彼女にとって大切な者の命を奪い、
彼女自身も深く傷をつけた。
いわば、ここに居る全員が、紅輝にとって仇そのものだ。
だが、紅輝は我らを助けた。その意味がわかるな?」
「………。」
口を閉ざす藍猪になおも白龍は言う。
「あの子はお前を騙したわけではない。
ましてや、殺そうとしたわけでも無い。
例え、苦しくとも人を救う心を持つ。
その心が嘘だと思うか?
お前はあの子の近くに居て何を思った?
どんな人間かは、お前がよく知っておろう!?」
藍猪はちらりと紅輝を見る。
愛しいと想った。
あの日、小さな体に似合わず、体格のいい自分を簡単に支えて運んだ。
ずっと深い傷を負っていたにも関わらず、
平気な顔をしていて、微塵も辛さを見せなかった。
それが、とても心を痛めた。
療養を理由に暮らしてもらったが、本当はすごく心配になったのだ。
にこりともせず、目に光が無いようで、
どこか、虚ろな表情を見せていて、
下手をすれば、すぐにでも自決してしまいそうな。
傷が癒えても、全く笑ってくれなかった。
気晴らしにと外へ連れ出し、あの小屋を見つけた。
周囲をぐるっと一周しながら、屈み込んでは草をいじる。
ちょっと進んではまた屈み込んで草をいじる。
何が楽しいかと思っていたのだが、その日は何も言わずに家に戻る。
帰っても何だか落ち着かない様子だった。
思わず、「何か欲しい物があるのか?」と聞けば、
[あの小屋に住みたい]
と文字で伝えられた時は言葉を失った。
何をするかと思えば、診療所を開きたいと聞き、ようやく理解が出来た。
普段から家人達や隣人達の治療をしていた事もあり、
納得は出来たものの、毎晩迎えに行かねば帰って来ない。
身篭って、臨月も近いというのに、診療所に行きたがれば、
生まれた子供の世話も一人でしようとする。
流石にわからない事が多過ぎて、
家人達に知恵を貸してはもらっていたようだが、
とにかく放っておけば、放るほど離れて行く。
絶句することも多々あった。けれど、
新しい薬が完成した。
お腹の子供が蹴った。
誕生し、産声をあげた。
初めて歩いて、初めてははうえと呼んだ。
彼女は本当に嬉しそうに笑った。
彼女の笑顔など数える程度。
けれど、いつどんな時に笑ったのか。
その全てを覚えている。
忘れた時など一つも無い。
ただ、笑って欲しかった。
藍猪は一度目を閉じ、ゆっくりと開いた。
一度、深呼吸をすると、視線を紅天に移した。
「紅天、近くに来てくれないか?」
紅天は一度紅輝を見上げる。
紅輝は息子の頭を一撫でした。
白龍も狼銀に視線を送った、彼は頷く。
白龍は紅輝に頷き、紅輝は紅天に合図をした。
紅天は駆け足で藍猪の前にやってきた。
彼はそっと紅天の頭を撫でた。
『もし、お前の事を愛せていたなら………。』
藍猪は紅天を抱え上げ、その喉元に刃を突き付けた。
続く