第41話「陛下は陛下のなすべきことをなさってください」
椀がからんと乾いた音を立てる。
「おい、何やっ」
黄猿が声をかける間も無く。
紅輝はすぐに立ち上がり、他の席で食事をする兵士の元に近づいた。
そして、彼らの椀に鼻を近づけ、それも床に捨てる。
あたりの椀を全て確認して、ようやく黄猿に振り返り、
首を横に振ったのだ。
「全員、食事に手をつけるな!!!!!!!!!!」
黄猿の怒声に全部の兵士が立ち上がり、机から離れる。
紅輝は厨房へ急いで入り、食材を一つ一つ確認する。
そして、一つの野菜を手に取った瞬間に顔色を変えた。
その様子に、黄猿は近くの女性に尋ねた。
「あそこの野菜はどこから仕入れた?」
「あれはいつもとは違う場所です・・・ですが仕入れたのは・・・。」
仕入れた人物の名を聞き、血の気が引いた。
「他に食べたのは誰だ!?」
「ほ、ほとんどの方が食べられています!
食べていないのはあの野菜を嫌いな黄猿将軍と特別食事の皇帝陛下だけです!!」
「将王も食べたのか!?」
「将王様は野菜が殊更にお好きな方ですのでより多く!!」
急いで走り出そうとした黄猿を紅輝が捕まえる。
彼の腕に紅天を預け、彼女が走って去っていった。
驚く彼に紅天が落ち着いて話す。
「将軍!紅天が必要な薬を選びますので、薬庫までご案内ください!!」
ようやく理解し、彼は紅天を抱えて走り出した。
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「白龍?」
「大丈夫です、少し疲れが・・・」
そんな会話をしていた頃だった。
血相を変えた紅輝が駆け込んできた。
「どうし」
狼銀か声をかける前に彼女は白龍につかみかかり、
彼の腹に手を押し当て力いっぱい衝撃を加えた。
その衝撃に、ぐっと腹の中から気持ちの悪いものがこみ上げ、
わずかばかりの物体を床に戻した。
「紅輝!!貴様!!」
皇帝の怒声に気にも留めず、
彼女はすぐに狼銀のために準備しておいた薬湯を用意する。
「まさか・・・。」
紅輝は薬湯を白龍の口元に持っていくが、
彼は何が起こっているのかわからず、抵抗を見せた。
「白龍!飲め!!解毒薬だ!!!」
狼銀の言葉に驚くが、すぐに視界がぼやけた。
体に力が入らなくなり、意識が遠のく。
どこかで名を呼ぶ声がする。
兄だ。
必死で呼んでる。
どうして?
唇に何かが触れた。
柔らかい何かでこじ開けられ、
水分が流し込まれて苦味が広がる。
それを飲み込むと、再び触れて流し込まれる。
体が鉛のように重い。
それでも必死に瞼を開ける。
ぼやける視界に、紅輝の顔が映る。
彼女の唇が濡れている。
紅輝が口で薬湯を彼に運ぶ。
彼の口に入ると片手で彼の体を支え、
もう片方の腕で、首を動かし、飲み込ませる。
ようやく全てを飲ませると、彼の体を横にする。
衣服の紐を緩ませ、肌蹴させる。
すると、体の端から端まで揉み解す。
ゆっくりと、力強く、つぼを一つ一つ刺激するように、
薬を全身に流れさせるように血流を追う。
その間に黄猿と紅天が戻ってきた。
紅天はすぐに薬湯の準備を始める。
「城内を今、調査中です!
ただ、体が重くなり上手く動けない兵士達が過半数を占めております。
紅天の教えた薬湯をすぐに作らせ、城内に配ってはおりますが・・・」
「動ける兵士達全員で症状の重い者から手当てをさせよ!
薬が足りないならばすぐに取り寄せよ!!金はいくらかかってもかまわぬ!!」
狼銀の指示に兵士達が一斉に動いた。
「どうして、将王だけがこんなに重く?」
「一度に大量の毒を摂取したからであります。
この毒はゆっくりと効果を発揮するものではありますが、
少量であれば体が鉛のように重くなるだけで、死には至りません。
ですが毒は毒。一度に大量に摂取をすると、
中毒や拒絶を引き起こし、危険な状態になられるのです。」
「なんてことを・・・。」
「橙狐と紫鳥は?」
「容態は軽そうですが、休もうとせず指揮に当たっています。」
「将軍様にこれを!」
紅天は黄猿に二つの薬湯を手渡した。
「これは母上のお作りになられた薬草を使っております。
少し特殊な配合で効果の強いものです。
あまり量はございませんので、将軍様にお渡しください。」
「感謝するぞ、紅輝、紅天。」
「城内の様子を見てきます。」
「ついでに紫鳥をここへ寄越せ。」
「承知。」
黄猿が薬湯を持って部屋を出た。
紅輝は休まず、白龍の体を解す。
「紅天、将王の容態は良くないか?」
「あまり強い毒ではありませんので、
処置が早ければどうということはありません。
ですが、意識を失われていますので、油断は出来ないと思います。」
「寝台に移したほうがいいのでは?」
「いいえ、今は下手に動かしてはなりません。
毒の回る速さに薬の速さを追いつけさせるのが先です。」
狼銀は見守ることしか出来ない悔しさに拳を握り締めた。
そんな彼に紅天は薬湯を差し出す。
「皇帝陛下は体に蓄積され続けたので、症状が重くなったのです。
これはいつもより薄めております。それは回復の意味です。
陛下の回復は、皆を守ることの意味です。
陛下は陛下のなすべきことをなさってください。」
彼の言葉に、握り締めた拳を開く。
ゆっくりと深呼吸をして椀を受け取り、頷いた。
白龍は空ろな意識の中で感じていた。
体を這い回る手の優しい温もり。
昔もそれを感じた記憶があった。
その時は、怖がるように震えていたけれど、
その温もりだけは変わりが無かった。
こんな自分を何故こんなにも助けてくれるのか。
彼女の幸せを願っていたのに、
こんなにも優しい女性を何故冷たくあしらってしまうのか。
悔しかったのだ。
彼女の幸せの先に自分の存在が無いということ。
そのことを認めることが嫌で仕方なかったのだ。
幸せを望むなどと、所詮は綺麗事に過ぎない。
ただ、自分が彼女と幸せになりたかっただけのこと。
我儘なのだ。
それでも、彼女を抱きしめたくてたまらなくなる。
自分からその唇に重ねて、奪いたくなる。
何度も何度もその名前を口にして、叫びたい。
紅輝。
紅輝の手が白龍の腕から指の先へと移動する。
ふと、その大きな手が彼女の手を僅かにとらえる。
「こう、き・・・・・・。」
微かな呟きに、顔を上げる。
本当に僅かにその瞼が開く。
紅輝は彼の頬に触れて、意識を確認した。
「意識が戻ったのか!?」
「そんな、すぐに効果は出ないはずなんですが・・・。」
目が合うと、紅輝はそっと彼を優しく撫で笑みを浮かべた。
紅天は薬湯を白龍の元へ持って行き、
匙ですくい、彼の口元に差し出した。
「将王様、一口お飲みください。それからお休みに。」
彼は素直に薬を飲み、紅輝の笑みを見てほっとしたのか、
ゆっくりと瞼を閉じた。
紅輝が紅天に文字で伝えた。
それを紅天は狼銀に伝える。
「皇帝陛下は素晴らしい精神力の弟君をお持ちです。
これなら、もう安心しても大丈夫。とのことです!」
彼の言葉に、狼銀もほっと安心をした。
ゆっくりと立ち上がり、白龍の体を紅輝に支えられながら抱え、
自らの寝台にゆっくりと移した。
「昔はすんなり抱えられたんだが・・・、
弟も立派に成長したものだな。」
暖かい空気が流れる頃、
ようやく紫鳥がその姿を現したのだった。
続く