第39話「“誰か”から守ってるのか?」
狼銀はずっと思っていた。
愛した女性が人知れずこの世を去り、
親友を交わした約束通り、手にかけ、
民のために皇帝の座についた。
だが、心はどこか穴があいたまま。
何をしても満たされない。
いつも想うのは、彼らと過ごした懐かしき日々ばかり。
置いて行かれたのだ。
門下を出た時も、今この時も。
二人は自分だけを残し、二人だけで旅立った。
きっと、自分はさびしくてたまらない。
彼らと共にこの命、有りたかった。
ただ一緒に居られればそれでよかったのだ。
紅輝が剣に手をかけるのを見て、彼はそっと目を閉じる。
『銀。』
そう呼ばれるのが好きだった。
これで、もう一度呼んでもらえる。
嬉しさが込み上げた、だが。
―――――ぱん!
頬が痛む。
はっとして目を開けると、
紅輝は彼が書いた書状を目の前でびりびりに破りさいた。
叩かれた頬がじんと痛いが、悔しそうな顔で涙を堪え、
力強く拳を握る彼女の姿に、心が痛くなった。
紅輝は近くの紙を手にとり、勝手に何やら文字を書く。
それを終えると狼銀に無理矢理手渡した。
[私は医者です。
貴方を治療するためにここに居ます。
医者は命を奪うのでは無く、命を救うためにいるのです!]
彼が読んでいる間に、もう一枚書き上げ、今度はそれを無理矢理手渡した。
[死んで楽になろうとは思わないで。
生きるのが辛ければ、生きて苦しみなさい!
絶対に楽になどさせたりしない!!]
驚いて彼女を見つめてしまう。
その瞳から涙が落ちるのを見つけた。
苦しんでいる。
医者としての誇りを傷つけられた。
それでも、叶えられるはずの敵討ちを捨てた。
悔しくて堪らないだろう。
歯を食いしばり、必死で目元を拭って、流れる涙を止めようとする。
「すまない、紅輝。」
彼女の姿に、自分の愚かさを知った。
一番辛い想いをした紅輝を差し置いて、
みすみす、自分だけが楽になろうとしたのだ。
「すまない。」
もう一度謝った時、紅輝は狼銀を睨みつけ、その腕を捩上げた。
「痛たたたたたたた!!」
引っ張って無理矢理、寝台に寝かせた。
そして手の平に文字を書く。
[医者である私の言うことを聞かねば、
容赦無く痛め付けます。
大人しく寝てください、よいですね?]
見下ろす彼女の表情は、まるで子を叱る母親のようで、
思わず本能的に「はい」と返事をした。
ちなみに、彼が返事をするまで腕は捩上げられたままだった。
彼女はすぐに彼の脈をはかる。
次に体の至る所を確認し、本人から直接症状を聞いた。
そして、持ってきた荷物から薬草を取り出し、煎じはじめる。
大人しくその様子を見つめていた狼銀だが、ふと口を開いた。
「何故、息子に“隠し名”を使わせる?」
一瞬だけ、彼女の動きが止まる。
「“紅天”は本名では無かろう?
白龍が白雪と名乗っているのと同じように、
あれは隠し名だ。何故だ?」
目を合わせようとしない紅輝に、さらなる追求をする。
「…………“誰か”から守ってるのか?」
ようやく立ち上がった紅輝は、薬湯を持って寝台の端に腰掛け、文字を書く。
[黙って大人しく治療を受けるのと、
痛い想いをしながら治療を受けるのと、
どちらがよろしいですか?]
渋々、狼銀は口を閉ざした。
紅輝は背中に手を回し、ゆっくりと彼の体を起こさせる。
そして口元に薬を匙ですくって近づける。
「自分で、」
飲める、と言いかけた時、彼女の視線鋭くなったので、
大人しく口を開き、薬を招いた。
苦味が広がり、顔をしかめる。
ゆっくりと時間をかけ、薬を飲み干した後、
すぐに横になった狼銀に紅輝は伝えた。
[母は最期まで結婚をなさろうとしませんでした。
私には誰かを待っていたように思います。]
彼女の言葉に、狼銀は目を見開いた。
そんな彼に紅輝はうっすらと微笑みを返す。
「…そうか………。」
紅は黒を“選んだ”わけでは無かった。
ただ彼を独りに出来なかっただけで、
彼女は二人の男を愛していたのだ。
「何故だろう。お前から憎しみを感じられない。」
笑みを浮かべる紅輝が不思議だった。
すると、彼女はこう答えた。
[私以上に父と母を知り、
二人を想い、民を想う人を何故憎みましょう?
外に出て、私は知ったのです。
父がしてきた酷い仕打ちを。
貴方に生かされたが為に、私は父をより知る事が出来たのです。
その事に感謝こそすれど、憎しみなどございません。]
話を聞いた紅輝とはまるで違う。
あの日、ぼろぼろになりながら、
睨みつけていた少女はどこに行ったのか。
あぁ、そうか。
「子の存在がお前を強くしたのだな。」
その言葉に彼女はにこりと笑う。
本当に息子を愛している。
ふと、紅輝の頬に触れた。
「お前が生まれる前の紅と黒の話をしてやろうか?」
紅輝はぱっと笑みを浮かべ、力強く頷く。
「そのあとは、お前が知っている二人の話を私に教えるのだぞ?」
再び、彼女は嬉しそうに頷いた。
紅輝を残してくれた二人に、狼銀は心から感謝した。
その晩、夜更けまで二人の話は続いたのである。
続く




