第3話「貴様は興味を持つだろうな」
“不敗の白龍”の名前は有名だった。
どこの軍にも属さず、ただ一人放浪している男だったが、
一度、刀を手に持たせれば誰も彼に勝てなかった。
彼に挑み敗れたものは、二度と剣を持てる事は無い。
武人の心すらへし折ってしまう。
時に人々は言う、白龍は「絶対零度の冷酷な剣」を持つと。
それととにかく女好き。
これまた見目麗しい色男のため、女性に困ったことは無い。
幾人もの女人に手を出しては泣かせてきた。
酷い男だとわかっていても、彼に言い寄られては二度と抜け出せない。
挙句、あっさりと捨てられてしまうものだから性質が悪い。
武人に対しても冷酷だが女に対しても冷酷。
そうして、彼の名は世に広がっている。
「ふむ、お酒は飲めるんだね。」
飽きもせず、白龍は紅鬼に声をかける。
だが、一度たりとて彼女から返事が返ってきたことは無い。
宴会の席に紅鬼は出席していた。
彼女は常に蛇黒の一歩後ろで控えていた。
白龍は自分の席を用意してもらっているにも拘らず、
自分の食べ物と共に紅鬼の横に移動している状態だ。
その様を蒼犬は眉間に皺をよせ、不機嫌そうに眺め、
黄猿は今にも笑いを噴出すのをこらえていた。
「蛇黒に剣を向けたことをまだ怒っているのか?
あれは挨拶代わりの冗談なんだ、わかってもらえないのか?」
なおも無言で箸をすすめる紅鬼は、白龍に見向きもしない。
それでも彼女の顔を覗き込むように、彼が距離を縮めてきた。
すると紅鬼は彼の食事の乗った膳を丸ごと、床を滑らせ移動させた。
そこは蛇黒の隣りに設けられた白龍の席であった。
やれやれ埒が明かないかと、ようやく彼は自らの席へ戻る。
隣りで静かに酒を傾ける蛇黒に愚痴をこぼす。
「お前はずいぶんと可愛げのない女を使っているんだな。」
「なんだ、もう諦めたのか。」
「いや、今はお前のご機嫌を取ったほうが得策のようだ。
ずいぶんお前になついているようだしな。」
紅鬼は軍の中でも蛇黒に従順な人間だった。
蒼犬も実に充実な人間ではあるが、彼女に負けず劣らず、
とにかくぴったりと蛇黒の身を守るのだ。
だが、ついに黄猿が堪え切れずに噴出して腹を抱えて大笑いし出す。
「食事の場ではしたないぞ、黄猿」
より一層不機嫌になった蒼犬が諌めるが、黄猿は「でも」と言いながら笑い転げる。
「おい、蛇黒。お前は俺に何か隠し事しているのか?」
さすがに不審に思い、問い詰める。
だが、彼は変わらず酒を傾ける。
「気になるなら自分で聞けばよい。」
仕方なしに、黄猿に鋭い視線を向けると彼は観念したように苦笑いを浮かべた。
「その鬼子は、口をきかないんじゃなくて、きけないんですよ。」
「どういうことだ?」
「声が出ないんだ、喉を毒でやられちまってね。」
驚いて紅鬼に視線を向けるが、彼女は黙々と食事をとっている。
「本当に知らないんですか?“紅鬼一族”のこと」
黄猿の言葉に眉間に皺を寄せる。
すると蛇黒がようやく話を始めた。
「“紅鬼”とは称号のようなものだ。
先代はあれの母親が紅鬼と名乗っていた。」
「知らないな、どんな一族だ?」
「先祖代々武術や戦術、ありとあらゆる戦に長けた一族だ。
知性を持ち、武力を持ち、ただ戦で刀を振るうためだけに存在する。」
「毒を盛られたのか?」
「いいんやぁ、それは違いますぜ。」
黄猿はぐいっと杯の酒を飲み干すと、嬉しそうに話す。
「自ら飲んだのさ。」
再び、紅鬼に視線を向ける。
彼女はその視線に首を傾ける。
どうやら、こちらの会話など全く聞いていないらしい。
「あの一族は可笑しなことに、弱い人間を必要としない。
一定の年齢になるとそれぞれが毒を飲み干すことになるんですよ。」
それで“強い”運があれば生き残り
運が“弱”ければ命を落とす。
まさに運すらも弱者と強者を表す世界だった。
「それで生き残ったのは声を失ったあいつだけってわけです。」
耳は聞こえているそうだが、反応を示さないのは、
蛇黒以外の人間に興味を持たないためといわれている。
「益々、貴様は興味を持つだろうな、白龍。」
「もう、そりゃ。」
堪らないほど嬉しそうに紅鬼を見つめる。
今までに会ったことの無い女だ。益々興味が湧いた。
そんじょそこらにいる女とはわけが違う。
戦うためだけに生まれ育てられ、一人の人間以外に反応を示さない。
これほど面白い人材はいまだかつて見たことが無い。
白龍の女好きには悪い癖がいくつもある。
いかに女を泣かせても、自分に夢中にさせておけるか。
一度に何人の女人を相手にできるか。
噂を聞くだけでも気分が悪くなる癖ばかりだが、
中でも、男に興味が無く、“難攻不落”と呼ばれる女性を
口説き落とすことには殊更、夢中になる。
堅牢な城ほどじわりじわりと攻めて攻略するのが何より楽しいと、彼は思う。
より一層楽しみを得た白龍は再び、紅鬼に近づいた。
「なぁ、紅鬼殿。もしよければ明日でも…」
と声をかけた瞬間
ずどん
と、白龍の目前に彼女の愛刀が床に突き立てられた。
何事かと思い、視線をあげると、ちょうど彼女は立ち上がったところだ。
彼と視線があうと、首をかしげ不思議そうな顔をしたが
すぐに蛇黒に向き直り、また拳で礼をする。
蛇黒の返答をもらうと、愛刀を引き抜き、颯爽と部屋を後にした。
食膳を見ると見事に空っぽである。
「あと、鬼子は礼儀も何もなっちゃいないんで、
相手にするだけでも苦労すると思いますわ!」
腹を抱えて笑いながら、黄猿は白龍に助言した。
流石の白龍も彼女に“人間”として相手をしてもらえるものか不安になった。
続く