第28話「私が気づかぬとでも思うたか?」
「禍根を残す事は後の災いとなります。」
紅輝が走り去った後、白龍は狼銀を咎めた。
だが、兄は「そうだな」と笑って流した。
かちんときた白龍が怒鳴りつけようとした時、
狼銀があ、と思い出したように振り返り言った。
「これからお前も刃を持つのは禁止だ。」
と、一本の剣を彼に見せた。
白龍は咄嗟に自らの手を見る。
いつの間にか愛剣が彼の手に渡っていたのだ。
反論しようとして口を開いたが、
またもや狼銀は「あ。」と振り返る。
「あと、好きでもない女遊びはもう止めろ。」
突然、兄の視線が厳しいものに変わり、全身が固まる。
動けないのは、彼が怒りを持っていると知ったからだ。
今までに無いほど胸の内で激怒しているのを感じる。
「私が気づかぬとでも思うたか?」
誰にも気づかれないと思っていた。
特に兄は絶対に知りもしないだろうと。
「お前の女遊びが、情報収集や闇策を防ぐためのものぐらい、
とうに・・・・・・・・・・・・とうに知っているわ、馬鹿者!!!」
いつもは穏やかな彼が、怒声をあげた。
長い付き合いの橙狐でさえ、それに驚いていた。
「………もっとも、一番の大馬鹿者はこの私だがな。」
悔しくて仕方ない。
当初、蛇黒の悪政がはじまったころ、何人もの人間が狼銀の元を訪れた。
彼が蛇黒と同等の実力を持ち、またよく知る人物としても有名だったからだ。
皇帝を廃するか説得するかを乞われた。
だが、狼銀は全く相手にしなかった。
説得に応じない事は目に見えていたし、何より約束があった。
蛇黒が自分を待っている事はわかっていた。
わかってはいても、彼を殺す事はどうしても出来ない。
約束をしても、果たしたくなかった。
だからこそ、一人人里離れた場所で引きこもるように生活をしていた。
だがある日、知らせが入る。
それをもたらしたのは橙狐だった。
彼は毎日のように蛇黒が行う残虐行為の情報を狼銀に見せていた。
そしてその日彼が持ってきたのは、
自分の暗殺が企てられた事。
それとそれが阻止された事。
暗殺を企てたのは友人の蛇黒であり、
阻止したのは弟の白龍だった。
なにより、弟が阻止するためにとった行動によって、
彼が「冷酷」と人から呼ばれるようになった事に驚愕した。
表向きはただの女遊びで、彼が酷い人間に思える事柄だったが、
わかる人間には、裏で起きている事がわかった。
それも一度や二度では無い。
狼銀はこの時、思い知ったのだ。
弟や橙狐や他の人間が自分の為に、
どれほど力を尽くしてくれているのか。
その想いに目を閉じ、耳を塞いだ自分がどれほど無情な人間なのか。
冷酷はこの私が一番似合うではないか、と。
だからこそ、奮起したのだ。
「もう、させぬ。」
くしゃりと白龍の頭を撫でる。
「私の為に全てをかけてくれた者にも、
影で支え続けてくれた大切な弟にも、
二度と誰の手も誰の名誉も汚させたりさせぬ。」
彼の瞳は真っ直ぐで迷いが微塵も無い。
初めて兄が自分と向き合ってくれた気がした。
「これよりお前に位を与える。
“将王”となりて、内政を統括せよ。」
「あ、兄上!それは皇帝に次ぐ地位で…。」
「だから何だ。しっかり励めよ。」
「正気ですか!?兄上!!」
「皇帝だ。」
「こ…皇帝陛下、恐れながら申し上げます。私には身に余る地位かと思」
「これで内政はら、いや、安泰だな。任せたぞ。」
「今、“楽になる”と言いかけましたでしょう!?」
「さて、仕事だ。ここはお前に任せる。橙狐!紫鳥!お前たちは着いてこい!!」
「陛下!!」
「それと、とっとと妻を娶れ。お前の子でも出来がよければ後継ぎにするからな!」
言いたい事を言って、狼銀は去って行く。
「妻を迎えなきゃならないのは、貴方のほうでしょう!!」
叫ぶ白龍の肩を、橙狐はぽんと叩いて皇帝に着いて行った。
無茶苦茶な人だとはわかっていたが、端から端まで無茶苦茶だと、肩を落とした。
そんな彼の前に、黄猿が現れた。
「………あいつは、酒を飲んだのか?」
誰のことかすぐにわかった。
「あぁ。」と肯定すると、切な気な表情で「そうか。」と返ってきた。
何事かと聞こうとしたが、
「じゃ、ここはお任せしますんで!」
と笑顔で言った後、彼はさっさと部屋から去って行った。
どいつもこいつもと呆れていると、どこからともなく兵士が悲鳴をあげた。
視線を向けると、それに恐れている姿が見えた。
溜息をついて声をかける。
「構うな、私が片付ける。」
「しかし、刃に触れるなと………。」
「片付けも出来ぬ人間にさせるつもりか。」
「い、いえ、そういうわけでは!」
「いいから下がれ!」
兵士達は安心したように広間を後にした。
誰も居なくなり静まり返ったところで、
床に転がったそれにそっと触れる。
真っ二つになった紅輝の愛刀。
兵士達のように伝説に怯える人間は少なく無い。
だが、白龍には恐れなど微塵も無かった。
幼い頃から彼女はこの刀に触れていた。
初めは小さな両腕でしっかりと抱え、広い城内を危なかっしく歩いていたのだ。
母から刀を遠ざけたくて、隠してしまいたくて。
やがて成長をし、刀も片手で持てるようになり、
亡くなった母の代わりに父を守ろうとした。
「お前はたくさん、彼女を見てきたのだな。」
思わず刀に話しかけ、手にとった。
その時だ、微かにちりんと鈴の音がした。
続く