第27話「ずいぶん嫌な大人になっちまったなぁ」
「“人”に還れ、鬼の子。」
狼銀の言葉に誰もがはっとする。
新たに“紅輝”と名を与えた真意を理解した。
「今後、刀を手にすることは一切許さぬ。
人として新たな人生を歩み、その生を全うするのだ、紅輝。」
目を見開く紅輝に、なおも狼銀は言う。
「その傷はお前さんの知力を持てば、助かるはずだ。
これからを全力で生きてみせよ!
それがお前をこの世に産み落とした親への恩返しぞ!」
そしてすぐに周りの兵士達に声を張り上げた。
「鬼は死んだ!!
これより旅立つは一人の人間だ!
何人たりとも、この者に手を出すな!!
手を出した者は反逆者と見なす!!」
皇帝の命令に兵士達は声を揃え「仰せの通りに!!!」と返事をした。
満足そうな笑みを見せ、狼銀は再び紅輝に視線を戻した。
「行け。振り返らずに進め。」
ようやく紅輝は渡された布で傷口を縛り抑えた。
癖の為か折れた愛刀に手を伸ばしたが、
「触れるな。お前には不要な物だ。置いて行け。」
彼女にとって形見も同然の物だった。
だが、狼銀はそれを許さなかった。
少しの間、彼女は手を伸ばしたままだったが、ようやくその手を引いた。
しっかりと手を握り締め、拳を作る。
『鬼子、母の刀を渡してちょうだい。』
たくさんの思い出があった。
『鬼、貴様が今日からこの刀を使うのだ。』
母と父、そして
『少しは刀から離れてくれ。』
何故そうも呆れられるのかさっぱりわからない。
でも、呆れた後には優しい笑顔を見せてくれた。
振り返ればそこにいる。
けれど、振り返ったとて、同じ顔はそこには無いのだろう。
紅輝は走り出した。
広間を抜け、出口に向かい廊下をかける。
『走るんじゃない!!!紅鬼!!!』
そんな日常も全て思い出に変わるのだ。
ただがむしゃらに走って、唯一の望みの場所までたどり着く。
だが、そこを立ち塞がる人物がいた。
「馬を連れて行く事は出来ぬ。」
蒼犬が変わらぬ表情でそう言った。
せめて白桃はと思ったのだ。
しかし、彼女はそれを許そうとはしないようだ。
「軍馬は軍の所有だ。軍を抜けた貴様には渡せぬ。」
それでも紅輝は引き下がれなかった。
彼女にとって白桃は唯一無二の存在だ。
一番心を通わせた友達だ。
そんな紅輝に蒼犬は剣を向けた。
微かにその切っ先が震えていた。
「今…白桃を動かせばどうなるかはわかっているであろう?」
まだ、傷は癒えていない。
むしろ、未だ危険な状態である。
そんなことはわかっていた。
それでも紅輝以外に面倒を見る人間が居ないのに、
何故、ここに置いて行くことが出来ようか。
「私が守る。」
蒼犬の言葉に紅輝は目を丸くした。
「私の命に誓っても白桃は私が守ってやる!!
どんな事があろうとも、必ず死なせはしない!!!
だから、貴様は行くのだ!!
何が起ころうとも、生きて行け!!!」
共に、蛇黒を一番に想い合った仲だ。
己が一番に彼を理解しているのだと、
口にはしなかったが、心の奥でどこか競い合っていた。
同じく女の身であり、蛇黒を守る心を持つ。
言葉など交わさずとも、互いの気持ちなど痛いほど理解出来た。
誰よりも、深くわかりあえている。
白龍より、黄猿より、ずっとずっと骨の髄まで。
形は違えど、それは蒼犬なりの彼女との絆だったのだ。
「さっさと行くのだ!!!」
蒼犬の怒声に、紅輝は再び走り出した。
彼女の後ろ姿が見えなくなり、ようやく蒼犬は剣を下ろした。
「………そんなに、自分を責めるな。」
顔を上げると、黄猿が立っていた。
彼の姿を目に入れた途端、堪えていた涙が一気に溢れた。
「馬鹿言え!!
こんな事しかっ………こんな事しかしてあげられないんだぞ!!!
あの子にも!!あの方のためにも!!こんな事しか!!!!!」
大声で泣き叫ぶ蒼犬を、黄猿はしっかりと抱きしめた。
彼女がこれほどまでに取り乱すのは初めてだった。
蛇黒と狼銀の約束は知っていた。
二人が軍に入ったころ、蛇黒の口から直接聞かされたのだ。
だからこそ、覚悟はしていた。
ただ、蛇黒と紅鬼が親子であることは知らなかった。
気づきもしなかったのだ。
蛇黒が我が子であることを認知しているかもどうかもわからない。
覚悟はしていた。
だからこそ入れ込むまいと。
近すぎてはならないとわかっていた。
けれど、気がつけば国を想う蛇黒を信頼し、
蛇黒を命懸けで守る紅鬼をかまっていた。
愛着を持ってしまったのだ。
それが、こんなにも紅鬼を傷付けた。
彼女を想うが故に、親も心も友も奪った。
愛情も友情も心情もありとあらゆるものを奪い尽くした。
「………ずいぶん嫌な大人になっちまったなぁ、俺達は。」
自分達は大声を張り上げて、心行くまで泣き叫べられる。
だが、彼女はどうであろう?
声を持たない彼女は泣いても叫ぶことは出来ない。
どんな想いでいるかもわからない。
やはり、
どうしようもないほど嫌な大人だと心底思った。
続く