第20話「だからあれも懐くのであろう」
城内は慌しさを迎えていた。
再び、狼銀軍からの宣戦布告書が届いたのだ。
開戦は数日後。
蛇黒はいくらかの指示を出した後、自室に篭った。
机の上には今まで送りつけられてきた宣戦布告書が散らばっていた。
そこに新たな同胞を放り投げ、窓際へゆっくりと歩く。
手すりに手をかけ、押してやればそこは開かれる。
外を眺めるにはいい場所。
城の最上階から街をも一望できるその外場。
ここは蛇黒の気に入りの場所でもあった。
「何通目の宣戦布告書だろうな」
不意に、背後から声が聞こえた。
振り向くと、無礼にも無断で入ってきたらしい白龍がいた。
笑顔の彼の手には一本の酒瓶と二つの杯があった。
咎めるでもなく、蛇黒は外へと視線を戻し、椅子に腰掛ける。
白龍もするりと進んで隣の椅子に腰掛けて杯を手渡した。
空は闇に星が瞬き、静けさをもたらしている。
そんな夜景を見つめ、ふと呟いたのは蛇黒だった。
「久しいな。」
何気ない言葉だったが、白龍には何の話かすぐにわかった。
「昔は、お前と狼銀と三人で夜空眺めながら、飲んでいたからな。」
白龍は決して彼らと同門では無かったが、馴染みではあった。
それぞれの学びが終わると自然と夜に集まり、酒を交わしていた。
「あの頃はお前達が戦い合うとは思ってもいなかったがな。」
「貴様は一人でふらふらしていると思っていた。」
「それは予想通りってわけだな。」
ずいぶん昔の話だ。
今はお互いに老けたな等と話す。
「そういえば、紅鬼の母親の話を聞いた。
どえらい美女だったらしいな?どんな方だったんだ?
どうやって、味方に加えた?」
「“何通目の戦線布告書か”と言っていた。」
その一言に白龍は固まる。
「ちょうど貴様と同じ場所に座り、同じように酒を飲んでいた。
違うのは俺が言うまで何も喋らないことだ。」
「へ、へぇ、それはなんとも奇遇な事で・・・。」
「確かに似ているのかも知れんな。」
「俺と紅鬼の母親がか?」
「だからあれも懐くのであろう。」
どうやら彼の耳にも入っているらしい。
悪い意味は無いはずだが、何となく居心地が悪くなったが、
負けず嫌いなのが白龍である。
「そうだな、もうすぐお前なんぞ相手にしなくなるのかも知れんな。」
蛇黒はそれを鼻で笑う。
酒を一煽りすると、自らで注ぎ足す。
「幼い頃、なぜあれが母親の刀を抱えていたかわかるか?」
黄猿の話にもあったが、幼い鬼子はあの刀を抱えていた。
それは母親が他界するまで続けられていたらしい。
当時その姿をよく見かけていたと黄猿は話していた。
「母親の手伝いをしていたのだろう?」
「戦に出らぬのに、なんの手伝いになる。」
そう言われるとそうだ。
娘が生まれるからと戦場を退いたのだ。
だが、白龍には謎だらけである。
「母親を戦に出させたくなくて、抱えていたのだ。」
本当は隠してしまいたかった。
だが、あの大きなものを隠すことは出来ず、
しかし、母親の側に置いておきたくも無く、
とにかく彼女の手の届かない場所にと、
そのために鬼子は刀を運んでいたのだ。
彼女の“刀隠し”が始まったのは、母親の戦場復帰の話が出てかららしい。
よほど嫌だったのだろうか、母親に触れさせようともしなくなったそうだ。
「そのことを母親は?」
「可愛いとぬかしておったわ。」
予想がつく。
聞いたばかりの話だが、娘を想っていた母だ。
世界で一番可愛がってたに違いなかった。
「だが、紅鬼はあの通り、技も戦術も身につけている。
それでは辻褄が合わんでは無いか。」
「母親を戦に出さないためには“どうすればいい?”と直接俺に聞いてきた。」
「お前、まさか・・・・・・・・・。」
蛇黒は憎たらしい笑みを浮かべ、言った。
「“貴様が千人の首を獲ってくれば戦わなくて済むだろうな”と言った。」
白龍は静かに驚いていた。
彼女が刀を手にした理由は母親を守るためだった。
蛇黒を守る為では無く、母親を戦場から遠ざけようとしたのだ。
「その後だ、やつが毒を自ら飲んだのは。」
母親は、鬼子に剣術を学ばせようとはしなかった。
紅鬼の名前も自らの代で終わらせようとした。
だが、彼女の意に反し、鬼子は母親に黙って毒を飲んだ。
ただ一人を守りたいがために。
母親の処置で助かりはしたが、彼女は声を失った。
それでも、鬼子が後悔することは無かった。
紅鬼の名を受け継ぐことを決意したのだ。
そんな愛娘の揺らぎの無い決意に、母親も折れた。
そして、せめて自分の身を守れるようにとありったけのものを与えた。
蛇黒も、鬼子の行動は予想していなかったのだろう。
だが自分の一言が引き金だったことはわかっているはずだ。
そして、彼女に願いを叶えるための場所をこの軍に用意したのだ。
「・・・・・・だが、母親はもう死んだ。
今の紅鬼が守ろうとしているのはお前だぞ、蛇黒。
あの子のあの意思は母親を守るとは違う。
何がこんなにもお前に執着させるのだ?」
「知らん。」
昔から、嘘の下手な男だった。
白龍にはわかった。
蛇黒が紅鬼の執着の理由を知っている。
だが、話す気は微塵も無い。
紅鬼にも聞いたが、“母との約束”としか言わない。
それ以上を話そうとはしないのだ。
どうしても超えられない。
何かが足りない。
紅鬼の心に今一歩届かない。
毎晩のように彼女の体を抱けども、
心に、もっと深い本心に触れることすら叶わない。
そんな苦い想いを噛み締めて、幾度かの夜を過ごす頃。
戦いは始まった。
二度と忘れられぬ戦いがはじまったのだ。
続く