第17話「羨ましいと思うんだろうな」
馬を借り走る、しばらくして白龍は泉に着いた。
ゆっくりと近づくと、紅鬼の後ろ姿を見つける。
彼女は汚れも落とさず水際に座り込み、じっと水面を見ていたのだ。
「紅鬼。」
静かに声をかけると彼女は振り向いた。
だが、すぐに水面へ視線を戻す。
彼女の隣りに立ってみる。
どうやら水面に映る自分の姿を見ているようだ。
「………皆が恐れるのが不思議か?」
小さく頷く。
あそこまで恐がられた事は無かったのだろう。
ましてや、あの店の親子に紅鬼は懐きはじめていた。
親子も毎日のようにやってくる紅鬼を、いつも歓迎してたぐらいだ。
そんな彼らの怯えに、少なからず落ち込んだのだ。
「人の命を奪うという事はそういう事だ。」
白龍に紅鬼の視線が戻る。
「お前が蛇黒を想うように、誰しもに大切に想う人がいる。
誰かの命が奪われるという事は、お前にとっての蛇黒が奪われるのと同じ事。
お前に斬られた者は二度と守りたい人に会えはせぬ。」
紅鬼は必死で考える。白龍の話をどう受け止めればいいのか。
「紅鬼、もし、蛇黒が死んだらどう思う?」
その一言で、彼女は立ち上がり、必死な目で白龍を見つめた。
彼は悲しげに微笑み、言った。
「その悲しみをお前は人に与えているんだよ。」
紅鬼の瞳が見開かれた。
やっと、理解が出来たのだろう。
視線を落とし、悔しそうな苦しそうな、そんな表情が見える。
「………それでも、お前は蛇黒を守るのだろうな。」
残念そうな白龍の表情に、紅鬼は戸惑う表情を見せた。
「いや、悪いんじゃない。
蛇黒を守るのはお前の人生だからな。
戦の世だ。お前のしていることを否定することは出来ない。
ただ………ただ、少し蛇黒が羨ましいと思っただけだ。」
紅鬼が首を傾げた。
「私には兄がいる。これまた厄介な人でな。
才があっても、それを生かそうとせず、いつも一人でのんびりしてな。
忘れられない女性がいるとかで、結婚もしてくれず。
ついつい世話を焼きたくて、いつも私が兄を叱ってた。
今や、大人になって二人してそれぞれの人生を歩んで………。
それでも彼の為を思うことは忘れなかった。
兄が困ればいつだって手を貸した。
離れた場所に居てもなお、彼の力になりたいと思うことは変わらない。」
今度は白龍のほうが視線をそらした。
「けれど、ふと思う。
私が死んだら、彼は悲しんでくれるだろかと。
お前のように真っ直ぐに想ってくれるかと。
……………私には自信が無い。」
初めて、彼の悲しい顔を見た気がした。
「だから、お前に必死に守られる蛇黒が羨ましいと思うんだろうな。」
泣きそうな瞳が、目に焼き付いた。
「まぁ、私のような甲斐性無しが死んだ所で、何かが変わるとも思わないがな。」
笑い飛ばそうとしたが、白龍の胸元を紅鬼の手が掴んだ。
彼女の一回り小さな手が、ぎゅうと力強く握りしめる。
まるで、小さな子供が置いてかれそうになってるような。
必死に繋ぎ止めようとしているような。
けれど、少なからず紅鬼が自分を想ってくれていることに驚いた。
そして嬉しくも思った。
彼女の世界に自分が存在出来ている事。
初めてこの泉に来た時、置いてかれた事を思い出して、思わず笑みがこぼれる。
その手を握ろうとして、先に彼女の手が離れた。
何やら険しい顔を見せる。
視線の先を追うと、白龍の胸元には血糊がべっとりとついていた。
紅鬼の顔がどんどんと強張っていく。
やってしまったと顔に書いてある。
どうしようと頭の中で必死に考えているんだろうな、
と手に取るように、白龍は感じた。
いつもなら怒る所だが、白龍の心には嬉しさがあった。
自分の考えてる以上に、ずっと状況はいいのかも知れないと。
そう素直に思えた。
すると紅鬼は何かを思い付いたらしく、ぱっと笑顔を見せた。
何事かと思った次の瞬間。
紅鬼は白龍を掴んで、彼ごと泉に飛び込んだ。
大きな水しぶきをあげ、二人は水中へ。
泉はそんなに深くは無く、すぐに水面から顔を出す事が出来た。
紅鬼は嬉しそうな顔をしたが、白龍の顔は険しかった。
彼女があれ?と首を傾げた。
「………全身水に浸からずとも、上を脱いで洗えば済む事だろう?」
彼の言葉に、なるほど、と納得する。
「紅鬼!!!」
お決まりの怒声に紅鬼は水中に潜って逃げる。
衣服を着たまま水中を動くのは、とても動き辛い。
背後に気配を感じ、振り向くとちょうど水面から顔を出した彼女を見つけ手をのばす。
すると、彼女はばしゃりと水をかけ逃げ出す。
流石にむきになって白龍は彼女を追う。
紅鬼は白龍に水をかけることを楽しみだし、白龍も紅鬼に水をかけ出す。
怒っていたはずの白龍の顔も、いつしか笑顔になっていた。
それはまるで水中ではしゃぐ子供の姿となんら変わりは無かった。
ようやく紅鬼を捕まえて、両頬を引っ張る。
彼女は観念して「ごめんなさい」と文字を書いた。
だが、白龍は怒っていない。
心には愛しさがわいていた。
たとえ、戦場の姿が鬼であろうとも、
今こうしてやんちゃにはしゃぐ姿も、
彼女自身であることを、実感した。
白龍は紅鬼の体を力強く抱きしめた。
嘘では無い、間違っていない。
ここにいるこの子が紅鬼であり、
悲しいだけの人間では無い。
せめて、今この姿を守りたいと、心から願った。
そして、白龍を心配してか、紅鬼が彼の頭を撫でた。
だが撫で方があんまりだった。
思わず「私は馬か」と突っ込んだ。
なるほど、と紅鬼が笑ったので、つられて白龍も笑う。
しばらく二人で笑いあったのだ。
続く