第13話「ずっと恋焦がれてたわ」
「蒼犬、距離を置け、と鬼に指示を出せ。」
再び戦はおこった。
いつものように紅鬼一人が出陣した。
だが、誰もが異変を感じていた。
狼銀軍は将軍を出して来ない。
そして一介の敵兵達は一切彼女に切り掛かって来ない。
紅鬼の攻撃を防ぐだけだった。
彼女自身も違和感を覚え、素直に指示に従い、
白桃と共に敵の軍勢から距離を置いた。
「ふむ、やはり気づいたか。」
狼銀軍の本陣からその様子を眺めていた男が笑みを浮かべた。
「笑ってる場合じゃねぇだろうが、狼銀。」
部下に一喝され、悪い悪いと軽く謝る男。
この人物こそが、数年に渡り、蛇黒に勝敗を決めさせない人間。
義勇軍の総大将、狼銀である。
彼を一喝したのは、右腕とも言われる武将で名前を橙狐という。
「今まで様子見ばかりだったし、久しぶりに腕が奮えるかと思ってだなぁ。」
「能書きはいい、とっとと指示を出せ。」
「せっかちな子だな。」
「狼銀!」
「わかったよ。
………じゃあ、まずはあの鬼っ子と遊んであげようか。
紫鳥を出せ。」
狼銀の合図に太鼓の音が響く。
その音を紅鬼も耳にし、愛刀を構えた。
狼銀軍に一つの道が生まれた。
やがてその道から一人の武将が馬に跨がり現れる。
紅鬼は真っ直ぐに狙いを定め、その武将に向かっていく。
敵将はにやりと笑うと、鎖付きの鎌を二振り取り出した。
ひゅんと風を切る音がしたその瞬間、紅鬼は刀で鎌を受け止めた。
だが、するりと刀に鎖が絡み付き、紅鬼は白桃から落とされた。
咄嗟に体を回転させ、見事に着地をする。
体勢を直し、顔をあげる。
その目の前には二本の鎖鎌を自由自在に回転させて、
笑みを浮かべる“男”の姿があった
「ご機嫌よう、紅鬼ちゃん。
あたしを楽しませてくれるかしら?」
男らしからぬ口調に紅鬼は少し困惑の表情を浮かべた。
「ありゃあ、紫鳥じゃねーか?
狼銀の奴あんな武将まで引き込んでやがったのか!」
本陣から黄猿は面白そうに声をあげる。
その声に白龍は事態が飲み込めずにいた。
「紫鳥ってのは、元々別の義勇軍にいた武将だよ。
歴史は長くて、先代の紅鬼のころから戦に立ってるんじゃなかったかなぁ。」
くくくと声をあげて蛇黒が笑う。
珍しい彼の姿に、周りの人間は一斉に視線を浴びせる。
ただ、白龍だけは戦場から目を離さずに言った。
「狼銀はようやく本気でお前の相手をする気になったわけだな、蛇黒。」
「はぁ?何の話だ?」
たまらず黄猿は、呆れた声を出した。
だが、黄猿に返したのは蛇黒のほうだった。
「ようやく“処刑”を終わらせたのだろうな。
やっとまともな戦が出来る。」
「蛇黒様、おっしゃる意味が……」
「貴様らは気づいてないのか?愚か者。
今まで鬼が首をとってきた将軍は全て“罪人”よ。」
「は!?」
「罪人に“鬼に勝てれば罪を許してやる”という条件を与えたのだろうな。」
「通りで、俺らの知らねぇ顔ばっかだったわけだ。」
「何故、そのような事をなさるのです?」
「罪人では無く、ただの人として意味のある死を与えるためだ。」
蒼犬の問いに、答えたのは白龍のほうだ。
「狼銀という男は処刑というものを嫌う。
人に許す機会を与えたがるんだ。
罪人として死ぬより、武人として戦で死ぬほうが、
よい人生をおくれたのだ、ということにしたんだよ。」
「結果、己の手も汚さず、人の尊厳も潰さず。
そういう面倒かつ、都合のいい頭を使う奴だ。」
白龍と蛇黒の説明に、二人はなるほどと納得した。
それと同時にそんな事を見抜いた彼らに、格の違いを思い知らされる。
やはり蛇黒も白龍も、その名は伊達では無いのだ。
蛇黒は戦酒を口に運び、にやりと笑みを浮かべ、呟いた。
「しかし、紫鳥とはな…。相変わらず、面倒な事をしてくれる。」
「まぁ、確かに鬼子はああいう人間を相手にしたこと無いでしょうからねぇ。」
「………何か理由があるのか?蛇黒。お前が面倒などとは珍しい。」
面倒と言えども、表情は少しも曇りを見せず、楽しそうにしか見えない。
彼は杯を飲み干すと、杯の底を見つめて言った。
「紫鳥は、先代の紅鬼と因縁がある。あれの母親を最も憎んでいる人間だ。」
その言葉を聞き、白龍は眉間にしわを寄せた。
紅鬼は紫鳥と一定の距離を保ち、間合いを計る。
彼は今だ笑みを崩さず、鎖鎌と戯れる。
「……あんた、あいつの娘ね。」
ふと、鋭い視線を向けられる。
紫鳥は片手だけ動きを止めた。
そしてそっと耳元に手を当てる。
だが、そこにあるはずの耳は存在していなかった。
ただならぬ気配に、紅鬼は刀を握る手に力を込めた。
「あたしの大事な耳………。
綺麗な耳飾りを自分の耳に飾るのが大好きだったわ。
色とりどりの宝石に、金や銀の宝飾。
戦ばかりの人生だけど、あたしの大事な楽しみだった………。」
再び二本の鎖鎌が音を立てて、彼の周りを舞い踊る。
「だけど、あんたの母親がそれを奪った。」
大きく円を描き、ようやく鎌は動きを止めた。
そして紫鳥は、すっと構えをとる。
「ずっと、ずっと恋焦がれてたわ。
返してもらうわね、あたしの耳を!」
彼の一歩に合わせ、紅鬼も一歩を踏み出した。
続く