すべてを失って進む道
頭の中が真っ黒になった後は何も覚えていない。ただ、とてつもなく強い殺人衝動に身を任せたのは覚えている。
意識が戻った時には全てが変わっていた。家はただの瓦礫と化していて、俺達を襲った男たちはいなくなっていた。いや、正確にはいなくなっていたではなく、俺が奴らを奴らとして認識できなかった。
地面に広がる赤い血の海、降りしきる雨が波紋を作り出している。その海の中に転がるのは瓦礫だけではない、人の欠片も転がっていた。
黒かったやつらの服が血を吸ってまがまがしい色に変化している。そこらへんに転がっている奴らだった物。皮膚、筋肉、骨、脳、臓器。人間を構成している全ての物が転がっていた。
「なん……だよ……これ」
あまりに非日常、非現実的な光景。ありえない光景。
聴覚は雨の音しか拾えないし、嗅覚は雨の匂いしか感じない。でも、視覚から入ってくる情報はあまりに衝撃的過ぎて、俺を硬直させるには十分だった。
俺が意識を飛ばしてから何があったのか、全く分からない。何でこんなことになっているのか。
「っ! うぅ!」
あまりの光景に吐き気が襲ってきた。慌てて右手で口元を抑えるが、視界に赤が映った。それは――俺の手。
俺の両手は血で真っ赤に染まっていた。俺の怪我は弾丸によって穴をあけられた左肩だけ。つまり、これは――奴らの返り血。
「何で……何で俺の手に奴らのっ!? げぇぇ!」
再び襲ってきた吐き気。今度は逆らうことはできずに俺の口からは胃の内容物がビチャビチャと零れた。
何で俺の手が返り血で真っ赤に染まっているんだ? 何で、何で、何で?
――俺が奴らを殺したから
「は、ははは……あははははは!!」
理解した瞬間笑えてきた。人の命を奪った、そんな俺の姿がひどく滑稽だった。
――たった一日で何もかも失って、人殺しまでして……俺って何だよ?
可笑しい、可笑しくて仕方ない。家族を失って、人を殺して。残ったのは孤独と罪と血に汚れた体。あぁ、可笑しい。
「ははははっ!? ぐっあぁ……」
今頃になって肩の傷が痛みを訴え始めた。頭を突き刺すような激痛に足が力を失いくずれる。バシャと血の飛沫を上げながら赤の中に倒れ込んだ。あまりの出血に意識が遠のき始める。
――このまま死ぬのかな? それでも……いいや
諦めて目を閉じようとしたとき、向こうに倒れている菜々美が見えた。
可愛らしかった顔は血に汚れ、ダークブラウンの髪は乱れて血がついていた。
その姿を見ると悔しくなった。後から後から後悔が溢れて、悔しくて仕方ない。俺の瞳から静かに一滴、溢れて零れた。
――ごめん……っ!! 菜々美、ごめん、守れなくて……っ!!
菜々美に声にならない謝罪を続けながら俺は意識を失った。
◆
どれくらいの間意識を失っていたのだろうか、体に戻ってきた感覚が背中から柔らかさを伝えてくる。おかしい、俺は地面に直接倒れていたはずだ。しかもうつぶせに。背中から柔らかさが伝わってくるはずがないのに。
俺は現状がどうなっているのか確認するためにゆっくりと目を開いた。久しぶりに光を受けた眼球は悲鳴を上げ、痛みが走る。何度も目を瞬かせるとゆっくりと周りが見えてきた。
見えてきたのはむきだしの岩肌の天井と電球。それとキラキラと輝いている金髪とエメラルドの瞳、可愛い少女の顔……って!
「うわぁ!」
「あ、起きた? おはよう」
目が覚めたら美少女が顔を覗き込んでいるというなかなかレアな経験に対し、耐性を持っていない俺は、飛び起きて距離を取るというなんとも情けない反応をしてしまった。しかも――
「っ!? が!」
狭いベッドの上で跳ね起きたりしたものだから、俺は盛大に頭から落ちてしまった。後頭部からジンジンと痛みが広がる。
「だ、大丈夫? いきなりどうしたの?」
ベッドから情けなく転がり落ちた俺の顔を覗き込む金の髪の少女。彼女の碧の瞳は心配半分、可笑しさ半分で揺れている。
俺はいまだに状況が理解できずにあっちへきょろきょろ、こっちへきょろきょろと視線を動かす。
無機質な岩肌が露になった壁。家具と呼べるものは俺が転げ落ちたベッドと向こうにたたずんでいる木製のタンスのみ。
――ここはいったいどこだ?
分からない。俺が意識を失った場所は野外のはずだ。それが、なぜこんな部屋(部屋と呼べるかどうかは微妙だが)に倒れているのだろう。
現状を理解するために一度目を閉じる。闇に落ちた視界に浮かび上がったのはあの悪夢のような光景だった。
『お兄ちゃん……ごめ……ん、ね?』
『うああああああ!』
腕の中で冷たくなっていく菜々美を思い出して、背中に冷たい汗が流れる。
「ねぇ? 無視しないでよ~」
横で少女が頬を膨らましながら何か文句を言っている。しかし、俺の耳にはそんなもの届かなかった。
守れなかった。その事実が重く俺にのしかかる。自分の無力さをこれほど恨んだことはない。自責の念と後悔が最悪のデュエットになって俺を苦しめる。
「――力が欲しい?」
「っ!?」
俺は弾かれたように飛び上がり少女と距離を取った。彼女も俺を覗き込むために曲げていた膝を伸ばしてこっちを見据えてくる。彼女の瞳は子供の様な輝きに満ちていて、穏やかな笑みを浮かべているその表情からは真意を汲み取れない。
まるで、俺の考えを読んだかのような台詞。何で、いきなりこんなことを……。
「お前……何者だ?」
少女の目を見据えながら問いかける。すると、彼女は一瞬呆けてから口元に苦笑いを浮かべた。
「あははは……その質問、遅すぎる気がするんだけど……まぁ、いいか。」
彼女の表情は苦笑から微笑へと変わる。その眼もとからは慈愛の気持ちが汲みとれた。
「私は、君と同じ。何もかも奪われたの……。だから、君の気持は痛いほどわかるよ」
「え……?」
――こんな可愛い女の子が俺と同じ……? どういうことだ……?
訝しむ気持ちが表情に出てしまったのか、彼女は目を伏せると淡々とした口調で語り始めた。
「私もね、魔族の血が流れてる、って言われて、中央所に狙われたの。それで家族を失った。だから、君と同じ」
彼女の口に紡がれた一つの単語――魔族の血。これのせいで、こんな意味も分からない物のせいで俺は全てを奪われた。
少女の碧の瞳はそっと細められて、優しさを滲み出している。その表情を見たら、俺の中で何かが、ピンと糸のように張り詰められていた何かが切れた。
自分の痛みを分かってくれる人がいるからだろうか。涙腺が決壊したかのように涙が溢れ出した。止められなかった。辛すぎるこの気持ちを少しでも吐き出そうとするかの様に後から後からあふれ出す。
「ぅあっ……あぁ、ああああ」
会って間もない少女の前で情けなく声を上げながら泣く。誰かに涙を見られるのは――こんな可愛い女の子ならなおさら恥ずかしかったが、今はそんなことどうでも良かった。
優しい笑みを浮かべながら手を広げてくれる彼女に、俺は子供の様に泣きすがった。そんな俺を彼女はただ優しく抱きしめてくれた。
◆
どうしよう。すごく死にたい……。
俺は結局、涙が止まるまで彼女に抱きしめてもらっていた。そして、ひとしきり泣いて冷静さを取り戻すとどうしようもなく恥ずかしくなって。お礼を言って、彼女の腕の中からやんわりと離れたのだが――それがいけなかった。
彼女の来ていた服は夏用の物で、ピンクの花柄の可愛らしい物だった。その服は俺の涙を吸収して、なんと彼女の素肌が覗けるほどにまで濡れてしまっていたのだ。どれだけ泣いたんだよ、俺。
少女の濡れ姿に思わず動きを止めてしまった。それがいけなかった。突如動きが止まった俺を訝しんで少女も自分の胸元を見たのだ。
その後の少女の反応は素晴らしい物だった。
一瞬で立ち上がったかと思うと、鋭い蹴りが俺の腹に突き刺さった。俺の体は浮き上がり後ろの壁に叩きつけられた。腹と背中が同時に激しく痛むという非常にありがたくない経験をした俺はゴロゴロとのた打ち回っていた。涙でにじむ視界の中、扉を開けて飛び出ていく少女の後ろ姿が見えた。
その後、痛みからようやく回復した俺は今度は羞恥心と罪悪感に死にたくなった……という訳だ。
――ありえないだろう……同年代の――いや、もしかしたら年下かもしれない女の子に泣きついて大号泣とか……。でも、真っ白な綺麗な肌だったな……って! 何考えてるんだ! 煩悩退散!
あまりに惨めで、あまりに申し訳なくて。穴があったら入りたいとは、まさに今の俺の心境の事だろう。
部屋の隅で膝を抱えて落ち込んでいると、部屋に響くドアを開ける音。
情けないことに、俺の体はピクリと震える。まだ誰が入って来たのかすら確認していないというのに。
あの少女でなければいいと思いながら顔を上げる。そこには、やはりというか当然というか、先ほどの金髪少女が顔を伏せて立っていた。
「……」
「……」
――痛い! 沈黙がものすごく痛い!
針のむしろに立たされている気分で目の前の少女の様子を伺う。死刑判決を待つ囚人の気持ちがわかるような気がする。
「ねぇ……」
「は、はい!」
少女の薄い唇から静かに言葉が紡がれる。過剰に反応してしまう、なんと弱虫な俺の心。
伏せられていた顔を上げると、彼女の表情が少しずつ見えてきた。その表情は怒り一色――ではなく、照れ笑いのような表情だった。
桃色に上気している表情に潤んだ瞳。俺を直視するのは恥ずかしいのかチラチラと視線を投げかけてくる。その仕草も相まって彼女はとても可愛らしかった。
俺の頬も赤く染まっているだろう。今の彼女の表情にドキドキしたのもあるが、彼女の素肌が頭に浮かび、俺の鼓動を促進させた。
「さ、さっきの事は……なかったことにしない? じゃないと、これからいろいろ支障も出るだろうし……」
「へ?」
一瞬何を言っているのか分からなかった。だって俺は、完璧に怒られると思っていたからだ。もし、怒らないにしても軽蔑の言葉が降ってくるだろうと。
しかし、彼女が口にしたのはそのどちらでもない。水に流そうというのだろうか? 初対面の異性に素肌を見られた事はそんなに簡単に許せることなのだろうか……?
「え、と……許して、くれるの?」
恐る恐る聞いてみると、彼女はばつが悪そうに目をそらした。
「だって、思いっきり蹴っちゃったし……痛かったでしょ?」
確かに、めちゃくちゃ痛かった。彼女の四肢はとてもすらっとして細いのに、そこにあれだけの力が隠されていたのだろう。
ここで痛かったと素直に答えるのは負けな気がした。誰に負けるのかは分からないが、俺の中に残っていた微かなプライドだ。
「大丈夫だよ。女の子に蹴られたぐらいじゃビクともしないよ」
わざと明るい声で答える。さっきまで痛みでのた打ち回っていた俺。
「嘘でしょ? 私、君より強いもん」
ざっくり一刀両断。さらば、微かなプライドよ。
俺は泣いた。心の中でさめざめと泣いた。
少女は、かすかな微笑を浮かべるといまだに部屋の隅で蹲っていた俺に手を差し伸べてくれた。その手を借りて立ち上がる。
――そういえば、ここは何処なんだろう?
今更過ぎる疑問が浮かぶ。何で今まで気にしなかったんだ……動揺しているにも程があるだろう……。
いや、今はそんなことよりこの子に何で俺がここに居るのかを聞かな……そういえば俺、名前すら聞いてないじゃん
自分の馬鹿さ加減にため息が出る。金髪の少女は呑気に「ため息をつくと幸せが逃げるよ?」なんて言ってる。
――幸せが逃げたからため息をついているんだろう……
そう、思ったがまぁ、言わなくてもいいだろう。それよりも、だ。
「なぁ、ここは何処なんだ? 何で俺はここに居るんだ?」
俺の質問に彼女は一瞬目を見開くと、耐えられないというようにお腹を抱えて笑い出した。ソプラノボイスが狭い部屋に響く。
何故だかはわからないが、笑われた。そのことが悔しくて恥ずかしくて、思わず言葉に棘が入ってしまった。
「何だよ!? 何がおかしいんだよ?」
「だって、ははは……今更すぎ、ははは」
……何も言い返せない。仕方がないので彼女が落ち着くまで少し待った。
ひとしきり大笑いしたら気が済んだのかやっとこっちに向き直ってくれた。
「さて、何から話そうかな……まず、ここなんだけど。ここは君と同じように魔族の血が流れている人たちが集まる場所。ブラッドボックスって皆は呼んでるよ」
「皆……? 俺たち以外にも魔族の血とやらが流れている人間がいるのか?」
「うん。それで、君がここに居る理由はね。炎ちゃんがここに連れてきたからだよ」
「炎ちゃん?」
「ここの最年長で、ボスなの」
「ボスって……」
――俺は、なんてとこに来てしまったのだろう……
「その、炎ちゃんっていうのは何処にいるんだ?」
「君を拾ってきて、この部屋に放り込んで私に預けた後、どこかに行っちゃった。多分、部屋にいると思うけど」
――拾ってきたって……俺は犬か!
多少腹が立ったもののいちいち突っ込んでいては話が進まないのでここはスルーしよう。
「そうか。君の名前は? 俺は羽佐間総一」
「ん? そういえば自己紹介もしてなかったね。私は楓、神崎楓だよ。よろしくね、えっと……総ちゃん」
彼女――楓の呼び方に俺は固まってしまった。総ちゃん、母にこう呼ばれていたのだ。また気持ちが滅入りそうになったのでかぶりを振って頭から追い出す。
「よろしくな、楓」
笑顔を作り楓に右手を差し出す。楓も右手で俺の手を握った。
◆
その後も俺は色々な質問をした。ここに居る奴らの目的。俺はこれからどうすればいいのか。魔族の血とはそもそもなんなのか。
楓の話を聞くうちにいろいろ分かった。ここに居る連中は闇の結晶とかいうものを使って人間に戻るのが目的らしい。なんとも胡散臭い話だが俺も協力することにした。藁にもすがるとはこういうことだろう。
次に俺が何をすればいいのかだが。まずは力を操る術を身に着けることだそうだ。俺の中に流れる魔族の血の力を操れるようにならなければならない。
そして、魔族の血。これは、人間界と並行するように存在している魔界の者の血。つまり異世界の化け物の血だそうだ。これもにわかには信じがたい話だが、全壊した家やズタズタに引き裂かれた黒服たちもこの血の力によるものなら信じないわけにはいかない。
さらに補足で説明されたことによると、中央所は魔族の血をひくものを狙っている。これは俺も身に覚えがある。だから、ブラッドボックスの面々は中央所の奴らと戦っているらしい。世界最大規模の組織に戦いを挑むのは馬鹿げている気もするが。全員、中央所には何かしらの恨みがあるそうだ。俺も中央所の奴らを目にしたら殺してやりたくなるだろう。
ボスと呼ばれる男の部屋に向かう道すがら説明されたことを脳内で整理する。どれもこれも現実離れした話だが、そのせいで俺は全てを奪われたんだ、真実だろう。
廊下は岩肌がむきだしになっていて、廊下というよりは洞窟のように思える。
しばらく足を進めると一つの黒光りする扉が見えてきた。楓はその扉の前で立ち止まる。俺もそれに従った。
失われた日常。二度と戻ってこない日常。
全てを失った俺におそれる物なんてない。俺は新たな道を踏み出すべくその扉のノブに手をかけた。
読んでくださってありがとうございます。
何か気になったことや、変に思ったところがあれば遠慮なく言ってください。
次の話、一週間以内に出せるよう努力します