最終話 英雄ならざる者たちは、されど変革を目指す
最終話 英雄ならざる者たちは、されど変革を目指す
6
アレックスが警備隊長ピョートルと、アカエダが収容所所長ドミトリーと交戦していた頃、革命組織メンシェビキもまた、警備兵や看守達と死闘を繰り広げていた。
ミズガルズ大陸の戦場で、主力となる武器は石弓だ。
取り回しが容易な上、射程が長く、殺傷力も申し分ない。
とはいえ、反体制派であるメンシェビキは、ユーリ・オールドマン政権以上に困窮していたから、あまり多くの石弓と矢を用意する事ができなかった。
その為、制圧戦においても、まずは飛び交う石弓を床に伏せ、あるいは柱を盾にやり過ごし、射線の弱まった頃に、集団で突撃して角材を叩きつける戦術を取る事になった。
だが、幾たびもの死線を越えてきたメンシェビキの同志達に比べ、収容所の兵士達はあまりにも弱かった。彼らは、ろくに連携も取れぬまま、矢を無思慮に撃ち尽した挙句、悲鳴を上げて走り出すのだ。
メンシェビキは、そうやって逃げる敵の背中から、角材を叩き付けるだけでいい。
肉を打つ音、骨のきしむ音、悲鳴が木霊して、腕や脚が、肩や首が、ひしゃげてもげて、木張りの床を赤く赤く染めてゆく。
マートフもまた、無謀にも槍を捨てて逃げた愚かな兵士を、後頭部から殴りつけた。
「お、おのれぇ。忘れぬぞ。忘れぬぞ、この怨みぃ
我らが”恨”の力が、必ずやお前たちを滅ぼっ、ぐぇっ」
ああ、とマートフは嗤う。
この情念、この滑稽さこそ、我が国を蝕む癌に他ならないと。
憎しみは大きな力を生む。
その力を昇華すれば、あるいは新らしい何かを創造することも、大切な何かを守るためにも結びつけることができるだろう。
だが、こいつらは違う。
未来も、現在もかなぐり捨てて、過去に執着し、そればかりか、憎しみに都合の良い過去を捏造する。
何が”恨”の力だ。どこどこまでも愚かしい。
「畜生根性も、ほどほどにすることだネ。
キミたちの憎しみには意味が無い。
なぜなら、カビの生えた価値観に固執するばかりか、虚偽を生み出して、見当違いの憎しみを育てるだけに終始するからだ。
憎しみで憎しみを燃やすだけの、キミたちが掴む未来は無いヨ。
我々は”恨”ではなく、科学と合理に基づいた新しい国を作る。
いずれ、王国や共和国をもしのぐ、強大な国を、ネ。
せめて、永遠にこない「10年後(キミたちの時代)」を夢見て死ぬといい」
マートフが角材を振り上げ、断末魔の叫びがあがった。
生命を砕く、レクイエムが流れる。
兵士のともし火が消える頃、ヘルメットと皮のつなぎで武装した、メンシェビキの同志がやってきた。
「同志マートフ。
新たに第7、第8ブロックを解放。
これで収容所全域の9割を制圧しました!」
「上出来だネ。こちらの負傷者はどうだい?」
「はっ。軽症が5名、戦闘不能の傷を負った者は2名です。
幸い、命に別状はありません。
”火花”で治療すれば、すぐにでも復帰できるでしょうが……」
収容所の外に目を向けると、白い巨人が黒い巨人をひきつけ、砲撃をかわしているところだった。
「”あれ”をなんとかしないと無理そうだネ」
「同志マートフ、申し上げます。
アカーシが腕の立つ”盟約者”であることは認めます。
しかし、彼は同志ではなく、”逃がし屋”に過ぎません。
アーティファクトに対抗できるのは、アーティファクトだけ。
ならば!」
「彼を処分し、雪巨人と召喚杖を共有化すべき、とでもいうのかい?」
血に濡れた右手で、濃い髭を掻きながら、マートフは目を細めた。
「怖れながら。
我らの少なくない財貨が、あの”逃がし屋”につぎ込まれています。
この収容所を解放すれば、我らの名も大陸に響くはず。
ユーリ・オールドマンを討つ為の力を、我ら自身の手に。
なにとぞ、ご決断を」
マートフは顎から手を離し、角材をがっしと握り締めた。
「却下するヨ。
ひとつにアーティファクトがただの魔道装置でなく……、契約神器と呼ばれる理由を考えてみたまえ。
アレらは意思を持っている。
アカーシを葬っても、あの白い巨人が我らを認めるとは限らない」
「やってみなければわかりません!」
「ふたつ、アカーシを殺せば、彼のネットワークを失うことになるヨ。
彼が横流ししてくれる火炎瓶や情報を、どうやって入手するつもりだい?
たとえあの巨人を奪ったとしても、整備や維持にかかる費用は、アカーシに支払った金の数倍になるだろう」
「しかし」
マートフは、ゆっくりと、角材を持ち上げた。
「みっつめ、裏切りを繰り返すのは、ナラールとナロールの悪癖だヨ。
たとえ、ナラールとナロールの歴史全てを改ざんしても、他国に歴史の記述は残る。裏切りの真実は、消えない。
調べたものは、こう思うだろう。・・・・・・ナラールとナロールは、全くもって信用ならない最低の国だ、とネ」
マートフは横殴りに、角材を元同志に叩き付けた。
「最後に、いつ裏切るかわからないヒトモドキを飼っておくほど、メンシェビキは甘くない。
そういうことサ」
飛び散る鮮血を見ながら、マートフは思う。
(アレックス。キミは、どちら側に立つのかな?)
―――
―――――
「ひぃっひいっ」
メンシェビキに追われ、一人の看守が警備士官室へと逃げ込んでいた。
(あの女だ。ナーシャ・キスカだ。
あいつを使えばきっと、見逃してもらえる)
警備隊長、ピョートル・コルチャークが使っていた部屋。
赤い絨毯の上、成金趣味の家具と拷問具が無秩序に並べられ、天井からは鎖が伸びていた。
一人の半裸の女が、手枷を嵌められ、鎖に吊るされている。
看守は、女の身体を盾にするように隠れると、自分を追うヘルメットの男に叫んだ。
「待て。話を聞いてくれ。
驚くなよ!
この女は、中央軍のキスカ参謀の娘だ。
こいつを差し出すから、おれの命だけは見逃して……」
看守の命乞いに、男は足を止めた。
ヘルメットを外し、くすんだ赤毛が広がる。
「お、お前は―――!?」
「死ね。外道」
顔見知りのナイフが、非情に看守の腹を切り裂く。
赤黒い血が絨毯に広がり、今際の絶叫に、気絶していたナーシャは目覚めた。
「貴方……?」
「遅くなってすまない。助けに来たよ」
「アレックス・ブラウン!?」
☆
テムスン収容所を背に、立ちはだかった白い巨人に、黒い巨人が針山の如き巨躯を向けた。
黒い巨人が装着した砲門は、大小あわせておよそ30を越え、直撃を受ければ白い巨人とてただでは済まない。
全砲門の一斉射撃を、身を盾に阻んだとしても、稼げる猶予はわずか数秒にも満たないだろう。
「わかっているのか? 自分のやろうとしていることが!
収容所には、まだ兵達も残っている。こんな虐殺に何の意味がある!?」
「貴様達だ。貴様達が来たから、そこにいる者達は死ぬのだ。
囚人も、兵達も、貴様が殺すのだ。この、偽善者め」
「話を聞け!」
アカエダの叫びは、我を失ったドミトリー所長には届かない。
黒い巨人の砲門が、白い巨人に、収容所に向けられる。
「革命だと? 寝言を言うな。
豚の足どもは地べたを這いずるが定め。
ユーリ・オールドマン元帥の栄光のもと、天罰を下す。
死ね。死んで灰となれ、この偽善者め!」
『術式―――”威風堂々”―――起動!』
――――――――
―――――
(偽善か。そう、確かに、偽善だ)
雪巨人の胎内で、アカエダは瞳を閉じた。
自分の行為も、マートフ達の革命も、所詮偽善に過ぎない―――。
最も科学的で合理的とされたマルクス主義は、その生まれから致命的な欠点を抱えていた。
共産主義、その最大にして最悪の欠陥は、人の悪意を考えなかったこと。
資本家のみを悪として、平等を夢見て戦った。
平和な社会、誰もが富と知識を分かち合う、理想郷があると信じて。
けれど、辿りついたのは恐怖国家。
人類史上初めて共産革命を目指した男は、宗教を根絶やしにするため、徹底的な弾圧を加えた。
彼の後を継いだ男は、東欧の国々を次々と侵略し、国内でも徹底的な粛清によって数え切れない人命を奪った。
農民達を率いて祖国奪還の闘いを挑んだ男は、文化大革命によって国の文化そのものを破壊し、8000万人もの同胞の命を奪ったあげく、他国にその罪を押し付けた。
何も無い、この世の地獄を作った将軍。知識層を殺戮した革命者。
まるで夢のような理想を掲げて支配階級を打倒したあげく、支配階級に成り代わり、過激な殺戮と粛清を繰り返す愚かな歴史。
どれほど高邁な理想も、現実の悪意の前には汚され、貶められるのだ。
かつて世界を相手に戦った国があった。
白色人種が有色人種をモノとして使役する世界を変えようと抗い、結果的に戦争へと誘われた。
『一民族一国家』―――最初に掲げたユメも叶える事叶わず、戦線を拡大して遂には敗北する。
そうして、その国は戦勝国によって、ある憲法を押し付けられた。
二度と戦を起こさぬように、平和を謳う憲法を。
それは、確かに押し付けられたもの。
けれど、同時に、その国の民が望んだ理想でもあった。
だが、現実は非情だった。
隣国は、ほどなくして国際法を無視した李承晩ラインを引き、かの国は4000人の漁師を拉致され、44名を殺害されることになる。
掲げた理想は手足を縛り、己の国すら守れず、隣国の悪意によって苦しめられる。
そして、国内もまた。
西で起こった大震災。
当時の首相は、隣国に過剰な配慮をした挙句、平和憲法を理由に特殊部隊の派遣を止めた。
絶対的な人手不足と装備の不足。
炎の中、瓦礫の中で潰れてゆく人々。
地獄絵図。
救えたはずの命、失われた未来、そして思い出。
(理想は腐敗の温床となり、利権家は理想の裏側で、まるで吸血鬼のように生血をすする)
あるいは。
理想さえなければ、東欧で虐殺などなかったかもしれない。
東トルギスタンの虐殺も、チベットの民族浄化も。
かつて、平和と革命を夢見て、学生運動に参加した者もまた、後に仲間割れで妊婦すら胎児を取り出して惨殺する凄惨な内ゲバをやらかし、ある者は人質を取って山荘に立てこもり、ある者は航空機をハイジャックするただのテロリストに堕ちた。
(そう、これでは、偽善ですらない。ただの、邪悪だ)
黒い巨人の砲口が赤くゆらめく。
(言葉は届かず、理解はなく…・・・)
黒い巨人から、圧倒的な魔の気配が吹き付けてくる。
迫り来る炎をアカエダは幻視する。
白い巨人は指先から溶けてゆく。
防ぐ事など叶わず。
守ろうとしたものと、もろともに灰になるのみ。
「―――――」
アカエダは、瞳を開いた。
目の前をゆらゆらと、一枚の写真が漂っている。
硝子で閉じた枠の中には、七人の少年少女が写っていた。
「貴様にはわかるまい。俺を支える力がなんなのか」
背には、理不尽な暴政によって囚われた人々。
前には、命を弄び、魂を慰み、肉を侵して笑うものども。
「許せるものか」
どこに行っても、人は変わらない。
支配し、奪い、他人を踏みつけにして快楽を貪る。
弱者のため? 正義のため?
枕詞こそ違え、善意を土足で穢し、ダブルスタンダードを超然と行う。
本当に泣いている弱者を。
本当に苦しむごく普通の人々を置き去りに。
その究極が、目の前の光景だ。
「間違った」
真に左翼と呼ばれるものが、平和と平等を願うものがいるとすれば。
討つべき者は、他にいた。
良心につけこみ、利権を貪るもの。
主体社会をつくろうとするもの。
かつて左翼と呼ばれたものたちが祭り上げたものたちこそ、真に討つべき邪悪に他ならない。
彼らが何をもたらした?
彼らが討ち滅ぼした搾取階級以上の搾取と粛清。
彼らに都合の良い歴史の改ざん。
彼らの望む政治と社会、歪んだシステム。
その果ての崩壊だ。
理想は間違っていなかったかもしれない。
貧困を打破し、都市と農村の共栄を目指し、皆が幸いとなる道を模索する。
だが、目標が間違っていなくとも、手段において究極的に間違った。
ユートピアは、掴まれることなく、消えるだけ。
「だが、たとえそうだとしても」
共産主義というものが歴史に咲いた仇花だったとしても。
血塗られた旗と、屍の山しか築かぬ、悪夢の如き現実しかもたらさなかったとしても。
夢見た理想だけは、美しいものだったと信じたい。
「だから、俺達は、その先を行く」
――――第二位契約神器・戦略衛星フレスベルグにデータリンク。
「間違った歴史を知る後継者として。
過ちを知り、過ちを正し、未来へと繋ぐ!」
――――”魔導電脳ユミル”一次演算終了。
アカエダは、今にも放たれようとする砲火を前に、怯えず躊躇わず、透明な水中に浮かぶ文字をなぞり、解放し、魔術を紡ぐ。
――――ラプラス式位相配列レーダー、探査ON
――――誘導波動フレイソード照射
――――背部VLS、胸部翼砲搭、肩部機関砲、全面展開、
――――迎撃白華弾 氷結粒子砲、雹弾砲、全弾解放
「『術式―――”愛と平和”―――起動!』」
神話において、ムスペルの子、炎の巨人は世界を焼く炎を放つという。
黒い巨人が、伝説を彷彿させる、莫大な量の火の玉を。火龍を模した業焔を。三日月状の炎の刃を、全身から突き出した砲台から射出した。
神話において、邪神が舵取るナグルファルに乗る、雪の巨人は、雹と霧で世界を霜に包むという。
白い巨人の背から氷のロケットが飛び、胸部から凍て付く白い閃光が迸り、肩部から現れた機関砲が雹の弾丸を嵐の如く吐き出した。
氷が、炎を駆逐する。
自ら飛翔し敵を切り裂く、豊穣神フレイの剣が如く。
すべての赤き力を、白き力が追尾し、打ち払う。
「あ、有り得ん!?」
ドミトリー・カウフマンは絶叫した。
確信していた勝利、約束されていた凱歌が、虚無の縁へと消えてゆく。
こんなものは知らない。
こんなことは知らない。
黒い巨人が白い巨人の砲撃を防いだように、障壁を張るのではなく、あるいは高度の魔術で軌道を捻じ曲げるのでもない。
放たれた魔砲すべてを、同じ魔砲でもって叩き落とすなどという思考は、ミズガルズ大陸には存在しない。
「注文通り。どこの国でも技術者は国の宝だな」
アカエダは、サングラスを外し、呻いた。
物に命を吹き込む職人の意地のみが可能にした芸術品。
対米黒字の穴埋めに押し付けられた欠陥船を、各界の技術者が全力を尽くして改造し、本家本元の船に勝るとも劣らぬ水準にまで高めてみせた。
この異世界でもそうだ。
互いに必要であったとはいえ、不完全なアカエダの知識から、携わった職人と技師たちは、千年前の遺物を、実験機とは思えないほど完成度の高い傑作機へと改造してくれた。
アカエダが参考にしたアイデアは、簡易量産型を除けば、世界中で、米国と日本だけがもつ、ただ守るだけの兵器だ。
しかし、驚異的な基礎技術と電子技術に裏付けられたそれは、弾道ミサイルをも防ぎうる。
故に、かのシステムは、名付けられた。
天神の雷を受け止め、堕神の瘴気をも断った神話にちなみ。
『不破の盾』――――と。
それは、衛星と連携し、艦隊と航空部隊の目となり脳となり、単艦で三艦を相手取るとされる船の名前。
異世界で作り出された白い巨人の不破の盾を前に、黒い巨人の砲撃はすべて撃ち落され、そればかりか、ハリネズミのようについた砲台が、ひずみ、ゆがみ、くだけ、自壊し始めた。
「こんなことは、有り得ない!」
ドミトリー・カウフマンは哀哭した。
このアーティファクトは、ナラールが誇る最強の力だ。
これほどの火力。これほどの数。
負ける理由は、万がいちにもなかった。
狂ったように、ドミトリーは砲撃を続け、衝撃と整備不良から、炎の巨人は自壊の速度を速めてゆく。
「たかが、革命組織に、たかが豚の足どもに!
この栄光ある良血種たる我らが負けるなど!」
そうして、わずかに残った理性が、彼に思い出させた。
貪欲にあらゆる資源を飲み込み、使い潰す共和国とは真逆。
徹底的な小型化と高機能化によって、エネルギーの効率化、高出力化を進め、循環を求めて自然との共生を目指す国。
臆病者と謗られ、しかし、経済力と技術力をもつ、忌まわしき国家を。
「有り得ぬ!」
あの国は、ナラールとナロールにとって奴隷に等しい。
負けるわけが無い。
正しい事はいつだって正しいのだから。
奴隷が主人に勝つなんて有り得ないのだ。
ドミトリーにとって、不幸にも、それは絶対的な真実であり、前提条件から間違っているなど、考えもつかなかった。
「我らナラールは一万年の歴史を持つ、大陸の盟主!」
残弾も、魔力も枯渇して、棒立ちになる黒い巨人。
大地を蹴り、重心を移動させ、間合いを詰める白い巨人。
「我らは不敗、我らは常勝、大陸全てに愛される……っ」
炎の巨人の意思が、自動防衛術式を働かせ、炎のカーテンで、雪巨人の進路を阻んだ。
だが、エネルギーの残量は少なく、身体ごと突進してくる敵を止められない。
「奥義。落下流水――――」
白い巨人が、黒い巨人に向かって踏み込む。
人体に、人型に意味があるとするならば。
それは合理的動作によって、速度と、破壊力を高められる事に他ならず――――。
雪巨人の正拳突きが、炎巨人の心臓部を貫き、内燃機関を凍結させた。
☆
千年前の遺産は、まるで刹那に千年の重みを過ごしたかのように、灰となって崩れ去った。
泣き喚く、盟約者を残して。
それが、カマキリと怖れられ、暴力で収容所を支配した所長の末路だった。
―――
―――
「いない、か」
アカエダは雪巨人の操縦席で、メンシェビキが助け出した囚人達の顔を、ひとりひとり拡大して確認し、深いため息をついた。
上着のポケットから、小さな額縁に入った写真を取り出す。
「生きて、いてくれよ」
二年前、暴走した車が、路地に飛び込んできた。
おそらくは、凄惨な事故になっただろう、事件。
そして、アカエダにとって、アカエダの友にとって、事故以上の事故となった、災厄。
「皆、必ず俺が、見つけるから」
―――
―――
ナーシャ・キスカはシーツをまとい、アレックス・ブラウンにおぶわれて、収容所を出た。
「馬鹿ね。こんなことをして。私にとって、あなたはただの友達だったのに」
「うん。知っていた」
アレックスは、歩く。
ぬくもりを背負って。
ずっと届かなかった、ずっと焦がれていたオモイを背負って。
「私はもう、キスカ家の娘じゃない。私を助けても、何も・・・・・・」
「僕が助けたかったのは、守ると約束したのは、君だから」
「馬鹿」
ふと、ナーシャの声が小さくなった。
「右に跳んで」
「え?」
訓練されていたからだろう。
ナーシャのアドバイスに、咄嗟に反応したのが、アレックスの命を救った。
囚人に紛れていた兵士のナイフが、先ほどまで二人の居た空間を斬っていた。
「くそっ」
アレックスはナーシャを背負い、ナイフに手を伸ばせない。
けれど。
「―――」
アレックスのナイフが、腰のベルトから抜かれ、投擲される。
他でもない、ナーシャ・キスカの手によって。
ナイフは、非力ながらも兵士の太ももに突き刺さり、足をとめた。
「このダブルめ! メスぶっ」
兵士は、それ以上罵ることができなかった。
囚人達が、蜜に群がるアリの如く押し寄せて。
何か、潰れる音がしたから。
「これから、どうするの?」
ナーシャが、アレックスに問いかける。
以前なら、考えさえしなかったことだ。
でも、今は違う。
「この国を変えようと思う。
それが正しいのかわからない。
でも、もう、他に道はないから」
「そう……」
背中から、ナーシャはアレックスに頬を寄せ、言った。
「私も、そうしようかな。やられっぱなしは性にあわないの」
アレックスは笑った。
それでこそ、ナーシャ・キスカだ、と。
陽は、いつの間にか昇っていた。
くすんだ赤い髪と、すこし傷んだ金の髪が、日差しを浴びて、きらきらと輝いた。
7
テムスン収容所から、メンシェビキと囚人達は、マートフの第六位契約神器、陸上輸送艇『火花』で逃げ出した。
この後、彼らは地下に潜り、ユーリ・オールドマン政権打倒の戦いを続けるのだろう。
アカエダもまた、がらんとした収容所を後にして、隠れ家に戻ると、しばらく枝を噛んでいた。
昼を過ぎた頃、通信用の魔術水晶が振動し、アカエダはボールサイズのそれを手に取った。
灰の混じった栗色の髪と髭の老紳士が、茶の入ったカップを手ににこやかに微笑んでいる。
「爺さん……」
アカエダは、がっくりと膝をつく。
「やめろよな。俺のような工作員と話してるのバレたら、終わりだろ?」
「なに、パラディース教団の鼠に探られて痛い腹などない。
それに、二個師団、とはいかずとも、二個大隊に匹敵するエージェントとの交渉を、他の者には任せられんよ」
アーティファクトを持っていれば、誰だってそれくらいは出来るだろうとアカエダは思う。
世界を動かす諜報員になんて、アカエダはとても届かない。
「依頼は果たした。ナラール、三つ目のアーティファクトは、確かに破壊したよ」
「連絡は入っている。
相変わらず、見事な腕だ。
報酬は、いつものところに振り込んでおく。
今度また遊びに来なさい。
可愛い子が、我が家に遊びにきていてね。
少々人見知りするのが玉に瑕だが、きっと君も気に入ると思う」
アカエダは眉をひそめた。
老紳士は、彼が知る限り、共和国でもっとも信用の置ける人物の一人だ。
とはいえ、共和国で相当に高い地位にいることも間違いなく、それは相応の闇を飲んできた事に他ならない。
パラディース教団が運営する、処女の首に番号をつけた休息施設を思い出し、アカエダは吐き気を催した。
割り切るべきだと考えても、故国の倫理が、彼自身が、それを肯定できない。
「爺さん、俺は」
「そういう意味じゃない。大切な……朋友の養女だ。
遊び相手を欲しがっていて、君のような”客人”と話す事は、貴重だと思ったからだよ。
いいお茶といい菓子を用意して待っている。
その時には、君のアーティファクトも見せてほしいものだな」
通信は、終わる。
老人が何のために、ナラールのアーティファクト破壊を依頼したのか、アカエダにもわからない。
ほとんど奴隷国家の扱いとはいえ、ナラールは共和国の同盟国だ。
なぜ共和国に属する兵器を破壊させる?
「まさか、国を割るつもりか?」
彼は複数の軍閥を束ねる領袖であるが、共和国では非主流派だ。
「……」
アカエダは、思考を止めた。
まだ材料がそろわない。
パズルのピースが足りていない。
今為すべきことはただ一つ、情報と金を集めること。
そして、いつかは、王国や共和国を出し抜いて、七つの鍵をこの手に掴む。
「必ず、元の世界に、皆で帰る。それまで、俺は”逃がし屋”だ」
了
 




