第4話 とらわれの令嬢
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1000年の昔。
魔道技術を極めた世界は、戦争によって滅んだという。
辿り着いたものに、あらゆる願いを叶えることができる「世界樹」へと至る虹の橋。
その扉を開く鍵となる、七つの神器を巡り、人の世の国々が、妖精が、巨人が、小人が、魔が、互いにあい争った。
戦乱によって、あまたの国と大陸が炎に飲まれ、あるいは海へと沈んだ。
伝承は、この世の破滅を願う「黒衣の魔女」を、「神剣の勇者」と呼ばれる少年が討つ事で幕を閉じる。
どこにでもありそうな、創世の、あるいは、終焉の神話だ。
天使が喇叭を吹き鳴らしたり、黒い神様が帰ってきたり、海の底で眠るよくわからないものが目覚めたり……
あるいは、膨張する宇宙が収縮して大爆発を起こすとか、そんな、よくある話。
ただ、困った事はひとつ。
ミズガルズ大陸には、痕跡が残っていた。
大陸を東西に真っ二つに分ける、奈落のごとき断崖と、天を貫く山脈の存在。
そして、千年前の遺跡から、彷徨い出る怪物と、戦争の”遺産”が確認された。
現在の技術では、再現不能な超兵器の数々。
”盟約者”と呼ばれる主と契約する事で起動する、一国をも滅ぼしうる”殺戮兵器”が存在するのだ。
これらの兵器は”アーティファクト”と呼ばれ、大陸の軍事バランスを左右する重大な懸念として、黒い影を落としていた。
――――
―――――
(つまりは、核の平和ってやつ?)
第二次世界大戦において、アメリカ合衆国が生み出した”破滅の炎”
後を追うように、ソ連が、中国が、イギリスが、フランスが、次々と保有した。
いずれかの国が核を使えば、報復の連鎖によって、地球そのものが滅びかねない。
だから、世界は、これ以上核兵器を持つ国が増えないように、国際原子力機関(IAEA)によって、軍事転用を防止する動きに出た。
(大陸諸国は、ナラールという犯罪国家の、アーティファクト所有を認めない)
白い巨人が、腹部を開いて、アカエダを胎内に誘う。
たまごのような操縦室に満ちた、海を思わせる、青く暖かい液体が、ヘルメットを外した長髪を、掛けたままのサングラスを、鍛え上げた手足と肉体を包みこむ。
状態を知らせる、色とりどりの魔術文字が、水中を流れるように映し出されてゆく。
――――”状態異常なし(システム・オールグリーン)”
(行こう。ユミル、我が相棒)
アカエダの指先が、”起動”を意味する文字に触れ、文字が明滅する。
瞬間、青い水は見えなくなって、視覚素子から転送された映像が360度に映し出された。
ハリネズミのような黒い巨人は、すでに数十もの砲口から牽制の砲撃を放っており、白い巨人はオートパイロットでこれを回避していた。
「なんなのだ。なんなのだ、貴様は!」
激昂しているせいか、妙に高く裏返っただみ声が、音声素子によって拡大され、収容所を振るわせる。
「報告は受けているぞ!
スホンのダム、アエリアの鉱山。貴様のせいで、我が国は、すでに二つのアーティファクトを失ったそうだな。
白い巨人よ。貴様は、アメリアの工作員か? 王国の狗か? それとも南部国家の鼠か? 応えよ!」
テムスン収容所所長、ドミトリー・カウフマンに、逃がし屋、アカエダ・キイチロウは笑って答えた。
「なんだ、知らないのか?
どこの国にも縛られず、どこの軍にも所属せず、ただ、…革命の正義に従って武力を振るう存在を。
そう、俺こそは”地球市民”だ」
「ただのテロリストかぁ!」
「そうとも云う」
「そうとしか言わん!」
黒い巨人の砲撃を、アカエダは鉱山を背に白い巨人を無軌道に跳躍させることで、照準から逃れ続けた。
赤い火の玉が、雪崩を思わせる量と大きさで、次々と吐き出されるが、当たらない。
かすりさえもせず、無情に鉱山の枯れた大地を叩くのみ。
(人間の身体は、そもそも鈍いものなんだ)
走り、飛び跳ね、踊る。
ただそれだけの行為に、重すぎる上体を支えるため、常に二本の足と腰に負荷をかけ続ける。
裸でさえそうなのだ。
たとえば、あのような、ハリネズミの如き砲台という、体重のウン倍ものチョッキを着れば、どうなるか。
(KDX計画と言ったか? 軽駆逐艦にアホみたいな量のミサイル積んで、対潜魚雷を積み忘れた冗談みたいな船があったが)
実戦となれば、過重から身動きもとれずに潜水艇の餌食となるだろう某国のナンセンスな船を、アカエダは思い出す。
だが、あの黒い巨人の無意味さは、その更に上を行くだろう。
(”契約神器”は、大陸の軍事均衡を揺るがす、強大な力だ。しかし、それも、使い方次第)
人間に、人型であることに意味があるとするならば。
それは、「合理的な動き」で速度や跳躍力を高められること。
あるいは、複数の武器を使いこなすなどの「複雑な動き」を可能とすることにある。
ただの固定砲台としてしか扱えないならば、人型である意味はなく、むしろ構造上致命的な程に装甲が脆くなる。
(お前たちには、過ぎた力だった)
黒い巨人は、白い巨人の高機動を捉えられない。
旋回すらままならず、めくらめっぽうに炎の玉を吐き出すだけ。
蝶のように舞う、白い巨人の胸に小さな翼が生えて、左翼から五本の砲塔が飛び出した。
アカエダの目前、360度を映すモニターに映る5つの照準が、黒い巨人と一致する。
「破壊する!」
凍てつく白い五条の閃光が、黒い巨人へと向かって迸った。
☆
アカエダに見送られ、収容所へと入ったアレックス・ブラウンは、歩きなれた廊下を飛ぶ様に疾駆する。
「おい、ダブッ」
槍と石弓を抱えて飛び出してきた警備兵の首に、すれ違いざまナイフをねじ込んだ。
「ごふっ」
間欠泉のように赤い血しぶきをあげて倒れる元同僚を、アレックスは酷薄に見下ろした。
彼は何かにつけ暴力を振るい、からんでくる嫌な男だった。
だというのに、何の感慨も起きないのは何故だろう?
「ああ、そうか」
色あせた赤い髪の下、鮮やかな血潮に濡れた両の掌を、血走った右目で見つめて理解した。
「あんたの生命は、僕の人生に無価値だった」
ただ、それだけのことだ。
単純な、ひどく簡潔な、理由。
―――
―――――
マートフたち、メンシェビキが囚われた囚人達を解放する中、アレックスは無言で警備兵と看守を処理した。
ダブルと蔑み、反逆されるなど欠片も疑わなかったのだろう、愚かものたちは『敵』にすらなりえなかった。
最初に殺した同僚から奪った石弓の引き金を引く。
ただ、それだけで、数名のともし火が、……消えた。
「同志アレックス。早まってはいけないネ」
マートフがごつい手で、わしゃわしゃとアレックスの赤髪を撫でた。
「キミは、まるで死に急いでいるように見えるヨ」
異な事を言うと、アレックスは思う。
生きているという実感が無いのに、死に急げるはずも無い。
「メンシェビキが救うのは、ここに囚われた労働者だ。
けれど、囚われの姫を救うのは……」
パチンと、ひげもじゃの顔でウインクする。
似合わないと思う。けれど、凍っていた感情が、少しだけ緩んだ。
「ええ、助けに行きます」
戦闘と囚人の避難誘導をひとまずメンシェビキに預け、アレックスはナーシャ・キスカが捕らわれているだろう区画へと進んだ。
鼻腔を突く香水と体臭の入り混じったにおい。
彼女を、ここから解放する。
その為に、逃がし屋を探し出した。
アカエダと闘った。全財産をはたいた。マートフと出会った。
(ううん。そうじゃない、きっと僕は)
今日、この日のためだけに生きていた。
「っ!?」
誰もが迎撃に出払っただろうと思っていた仕官室。
その廊下に、熊のような大男が石弓を構えて立っていた。
矢は、眼帯をつけたアレックスの左目の下、頬を切り裂いて飛び、一筋の血が流れた。
「何をするんです。隊長?」
「反逆者どもの手際が良すぎるわ。内通者がいるはずだ」
「それが、僕だと?」
テムスン収容所警備隊長、ピョートル・コルチャークは、ガハハハと腹に響く声で笑った。
「貴様がそうであろうとなかろうと関係ない。
穢れたダブルは、処分する」
「そうか。僕もずっと望んでいた」
「何をだ? 言ってみろ」
「あんたを殺す」
アレックスとピョートルは、互いに部屋のドアを蹴りあけ、振り向きざま、廊下越しに矢を放ちあった。
「愚かだな。ダブル。何が貴様を駆り立てた?
私怨か? 憎悪か?」
それとも、と、巨躯に似合わぬ猫なで声で、ピョートルは付け加えた。
「好いた女でも、この収容所に居たか?」
アレックスの、指が、腕が、力み、矢が…外れた。
「ガッハッハ、図星かぁ!?
誰が穢れた二重雑種の貴様を愛する?
そのような女などいない、この栄光あるナラールには!
まったく最高の道化だよ、貴様は」
「…………っ」
部屋の椅子や机を盾に用い、石弓を撃ち合いながら、アレックスは胸の痛みに耐える。
知っていた。そんなことは知っていたのだ。
(僕は、思い出だけで良かった)
高級将校の娘と虐げられるダブルでは、最初からつりあうはずも無い。
ナーシャはいずれあの日々を忘れ、誰かと結ばれるだろう。……それでもよかった。
彼女が与えてくれた時間と、胸の中に芽生えた淡いオモイは、アレックスが覚えているから。
(その記憶がある限り、兵士として闘えた。
国のためでも、独裁者、ユーリ・オールドマンのためでもない、ただ、彼女一人のために!)
そう、思えば、アレックスには何一つなかった。
何一つ与えられなかった。
ただ踏みにじられ、潰されるためだけに存在する、そのためだけにしか許されないダブルという身分。
何のために生きているのかわからなかった。
生きたいとも思わなかった。
空っぽだった。
ただ、心の中に鍵をかけた、幼い思慕だけが、半生で唯一彼が得た、生きた感情だった。
「ピョートル・コルチャーク。
あんたは、どうして社会に格差や階級差があると思う?」
「何をくだらぬことを? それは偉大なる元帥様がお決めになることだ。
オレたちのような名家の血筋と、貴様のごとき豚の前足のような屑は生まれからして違うんだ!」
「そう、ユーリ・オールドマンが決めること。
彼は、この国の生産手段と財産のほとんどを握り、独裁を強いている」
「貴様、何が言いたい!?」
「生産手段と財産の占有を認めるから、社会に平等は生まれない。
だから、平等な社会を作り出すためには、一切の財産の、土地の、道具の、私有を認めず、共有化すればいい」
「戯言を!
そのようなこと、元帥はもとより、法律家の先生達も認めるものか。
机上の空論にすらならんわっ」
「だったら、殺してしまえばいい。
”下手に頭のいいインテリは、革命には邪魔だ”」
「ダブル、貴様」
強面のピョートルの顔がわずかに硬直した。
おかしいと、こいつの論理は、言葉は破綻していると。
何かが狂っていると、警鐘を鳴らす。
「ちぃ」
どれほど撃ち合ったか、ピョートルの矢は、遂に尽きた。
アレックスも同じなのだろう。
撃ち合いを始める前に確認した矢は、とうに使い尽くしたはずだ。
戯言に乗せられて、矢を使い果たした自分に、ピョートルは腹を立てた。
「出てこい、アレックス!」
大振りのナイフを手に、ピョートルはそろりと廊下を伺う。
「!?」
いつから潜んでいたのだろう?
どうして気配が消せたのだろう?
アレックスが、汚れ役として、内部粛清者の役割を押し付けられていた事を、ピョートルは愚かにも失念していた。
力任せに振り下ろしたピョートルのナイフは、急襲するアレックスのナイフと噛み合って火花をあげて。
次の瞬間、ピョートルの視界は赤黒く染まった。
「ぐおぉおおおおあああおおおおっ」
声にならぬほどの絶叫、否、野生の咆哮が、断末魔の如く響いた。
ピョートルの両目を、二本の指で潰したアレックスは、耳元で柔らかに囁いた。
「搾取階級などいらない。
誰もが農村で働き、誰もが労働し、誰もが生産手段を分け合う、そんな社会を作ればいい。
国や国境などという概念も要らない。
世界中のすべての権力をソビエト(人民議会)に集め、平等な理想社会を作ろう。
そして、ボリシェビキ(多数派)を率いて君臨すれば、僕が王だ」
「グオォオオオオオオ」
そして、アレックスは誓いを果たす。それは、かつての上官へのせめてもの情けだったのかもしれない。
☆
燃え盛る火柱が盾のように広がり、黒い巨人を守るのを、アカエダは視認した。
「なるほど、これが異世界」
「もはや、いい。
反逆者も、囚人も、ナラールにはいらぬ。
焼き尽くしてやる!」
「火病ってんじゃねーぞ。このタコ野郎!」
黒い巨人が、数十もの砲台を収容所に向けるのを見て、白い巨人は守るように立ちふさがった。
「もろともに滅びされ!」