第3話 赤ら顔の反乱分子
第3話 赤ら顔の反乱分子
3
「僕はナーシャを救いたい。その答えに変わりはない」
「何を犠牲にしても?」
逃がし屋の問いに、アレックスは薄く笑った。
「失うものなんて、何もない。」
――――
―――――
ナラール辺境にあるテムスン収容所は、思想犯の収監所として用いられている。
収容所は、アーティファクト(古代魔道兵器)のメンテナンスに用いられるレアメタルの鉱山と繋がっており、男の囚人は発掘作業に、女の囚人は研磨に駆り立てられる。
過酷な労働環境から戻る囚人達を迎えるのは、歩く隙間もないすし詰めの監房。
人と人が折り重なるように敷き詰められ、彼らの汗や、尿、糞便の入り混じった異臭は廊下にまで漂って、近づくと頭がおかしくなりそうになる。
過酷な労働と生活環境で、囚人達は生きる気力や体力を奪われて、まるで傀儡のように働くだけの……人形となっていた。
かつて、所長であるドミトリー・カウフマンが、戯れに女性の囚人達の服を剥ぎ、男子房へと追い込んだことがあった。
しかし、疲労の極致にあった囚人達は、動くこともままならず、看守たちの非道を見守るだけだった。
そんな異臭を嫌い、看守と警備兵の詰める区画は、ありったけの香水が撒かれ、異臭を誤魔化していた。
薄い部屋の壁からは、多くの女と、僅かな男の悲鳴が漏れ聞こえてくる。
最悪だ。と、アレックスは胃の中に重いものを飲み込んだ。
これでは、あの忌々しい”逃がし屋”の言葉を否定できない。
ナラールの軍人は、ナラールを護っているのではなく、ナラールに寄生しているだけ。
ろくな警戒も整えず、ただ猿のように暴行に熱中する看守や警備兵など、有事においてなんの役に立つものか。
(かつての戦争で、共和国の援軍を借りてナロールに攻め入ったとき、勇猛なわが軍を前に、臆病なナロール軍は一戦もせずに首都を放棄したと聞いているけど)
ナロール屈指の名将にして、現在は新王国派のレッテルを貼られて追放された……、ミハイル・ジューコフ将軍の率いる第一師団は、ナラールの攻勢に泡を食った浮遊大陸アメリアが派遣した膨大な連合軍の力を借りて、どうにかこうにか首都を奪回したという。
だが、果たして次に戦争になったとき、果たして一戦もせずに首都を放棄するのは、果たしてどちらになるだろう。
あの逃がし屋の言い分を信じたわけではないが、共和国がユーリ・オールドマンの現政権を見捨てているとするならば、将来的には軍事侵攻すらあり得るかもしれない。
大陸最大の人口と、最強の軍備を誇る軍事国家が相手となれば、ナラール如き小国では一日ももたずに崩壊しよう。
むしろ、率先して共和国軍に寝返り、ユーリ・オールドマンの首を狙う裏切り者が現れるかもしれない。
「何だ。ダブル、貴様も遊びに来たのか?」
「見回りです……」
廊下をうろうろと彷徨っていると、 アレックスの上官である、警備隊長ピョートル・コルチャークが熊のような巨大な体躯を震わせながら歩いてきた。
「ふん。うまいことを言うなあ。貴様が遊んだ相手は、このオレに報告するんだ。穢れたダブルと義兄弟になるなど、ゴメンだからなあ」
「必ず……。隊長はどちらに?」
「フン。中央軍士官の令嬢を泣かせる機会など、早々無いからな。今日もいい声で鳴いてもらう」
ピョートルはガハハと下品に笑うと、上機嫌で、士官室を改装した拷問部屋へと入っていた。
(ピョートル・コルチャーク。貴様は、必ず、殺す)
アレックスが後ろ手で掴んだ腰のナイフが、ギラリと……鈍い光を放った。
☆
「テムスン収容所の正確な見取り図と警備兵の勤務時間表を一週間以内に用意してくれ。そのナーシャって子が正気でいる内に助け出す」
「わかった。だけど、いいのか? お金はこれが全財産だ」
逃がし屋曰く、はした金しか入っていない通帳を、アレックスはぴらぴらと見せた。
「わかっている。だから、今回のヤマは掛け持ちだ。ちょうどテムスンの収容所に用がある連中を知ってる。足りない分は、そいつらからむしりとる」
「守銭奴……」
「金がなきゃ、生きていけないんだよ!」
逃がし屋とアレックスの間で、そういったやり取りがあったのが三日前のこと。
首尾よく見取り図と勤務表を書き上げたアレックスは、打ち合わせのために、指定されたスラムの一軒屋を訪れた。
逃がし屋は、治安局の捜査を怖れてか、毎日のようにねぐらを変えているらしい。
そんな彼は、誰も居ない家の中で奇妙な踊りの真っ最中だった。
「なあ、あんた、その奇妙な踊りは何なんだ?」
「踊りじゃない。型だ、型!」
客が来たというのに、茶を出すでもなく、逃がし屋は足と手を動かし続ける。
よくよく見れば、窓の外からでは、意味不明な踊りにしか見えなかった逃がし屋のパフォーマンスは、連続した格闘の動きであることが理解できた。
「わからない。あんたは、どうして素手なんかで戦う? あの鉄棒で戦った方が強いじゃないか?」
「最後に頼れるのは、自分の力だけだからだ。アレは、借り物の力。俺のものじゃない」
逃がし屋の言葉は、アレックスには意味不明だ。
たとえば、アレックスはナイフが得意だし、石弓もそこそこ使える。
そして、武器は武器でしかなく、使い手は自分だという自負がある。
「アレックス。俺にとってはお前の方がわけわからんよ。たとえ助け出せても、金も職も失うだけだ。たかが女一人のために、どうしてそうむきになる?」
「おかしいか?」
「おかしいね。女と宗教は麻薬だぜ。手をだせば、破滅するだけだ」
褐色の色眼鏡で隠した逃がし屋の視線が、なぜかアレックスには気になった。
「ひょっとして女嫌い、とか?」
「まあ、な。・…………おい、そこ! なんで距離を取る!?」
つい、カマキリみたいな雰囲気の所長ドミトリー・カウフマンを連想したから、というのは内緒だ。
彼は極度の女嫌いで、部屋に連れ込むのは、いつも幼い男の囚人に限られていた。
「い、いや、そういう趣味もあると思うよ。僕は、身体で払うのはできれば遠慮したいけど」
「俺は男色家じゃない!」
「ち、違うのか」
「違う! ……昔からあるだろう。色仕掛けってヤツが。
にこやかな顔で媚売って、股開いて反政府運動や宗教に誘いこむ。
身体張って組織に貢献するといえば、聞こえはいいが、ああいうやり方は反吐が出る」
逃がし屋の言う台詞か? とアレックスは思ったが、そこは指摘しないでおいた。
むしろ気になったのは、逃がし屋の態度だった。
「ひょっとして、以前ひっかかったとか?」
「俺じゃない。が、ダチが絡め取られた。
もう、いかにも宗教ハマってますって顔した陰気な女で、おまけにそいつの親は宗教団体の有名な活動家だ。
関わるなって忠告したのに、あのお人よしの馬鹿は「大丈夫、大丈夫」と言って聞きやしない。
しょうがないから、警告するつもりで呼び出したら、あの根暗女、ちょっと胸元を掴んだだけで問答無用に投げ飛ばしてくれやがった」
若い女を呼び出して、警告のつもりで胸元を掴んだ……。
どう客観的に見ても、暴行する気満々だ。抵抗されないわけがない。
「あれ? ひょっとして、その女の人って、あんたより強いのか」
「……」
渋顔で頷く逃がし屋の顔がおかしくて、アレックスはふき出してしまった。
「笑うなよっ。しょうがないだろう。
俺のはなんちゃって空手なのに、あの陰険オトコンナ、剣道と合気道を真面目に修めてるんだ。
あいつの投げは凶器だぞ?」
身振り手振りで真剣に論じる逃がし屋がおかしくて、アレックスは笑いが止まらない。
背を震わせながら、何度も深い息を吸い込む。
「あんた、さ。本当はそのひとのこと、嫌いじゃないんじゃないか?」
「ハァ? ふざけんな」
苦虫を噛み潰すように否定する逃がし屋だったが、アレックスはなんとなくわかった気がした。
彼女の事を話す逃がし屋の、色眼鏡の向こう側に映る彼のまなじりは、とんがって見せた口元は、ゆるんでいたのだ。
(守銭奴の嫌なヤツだけど、こいつにもあるんだ。護りたいものが)
アレックスが軍に入った理由。
ダブルと蔑まれながら、今まで鍛え続けた理由。
何もかもを望んだわけじゃない。
ただ生き延びる力が、ただひとりを守れる力が欲しかった。
「アカーシ!」
不意にドカンと、大きな音を立てて、入り口のドアが蹴り破られた。
酒瓶をもった、赤ら顔の大柄な男が走ってくる。
アレックスが慌ててナイフを引き抜くも、彼は演舞をやめてぽかんと口をあけたままの逃がし屋に突進し、強引に抱きしめた。
「久しぶりだネ、アカーシ。また会えて嬉しいよ。元気だったかい?」
「痛い。痛いって。離せ、マートフ。酒臭ぇ~。だいたい俺はアカシじゃなくて、アカエダだ。」
「カンジの発音、わかりにくいネっ! いいじゃないか、キミとボクの仲なんだから」
「どんな仲だ~!」
もがく逃がし屋を見て、アレックスはああ、と感嘆した。
こいつは、やっぱり本物だった。
「僕は邪魔のようだから、この辺で。しばらく席を外すから、どうかしっぽりと友情を暖めてください」
「助けようとは思わんのか!」
「はは。そんな義理あるわけないだろー」
「うぉ、納得。じゃなくて、話を聞け。この酔っ払いのおっさんが」
「アカーシの愛人ネ」
赤ら顔の酔っ払いは、濃い茶色のひげの下で白い歯を光らせる。
いい笑顔だ、とアレックスは思う。
愛の時間を邪魔してはいけない。早々に退散するとしよう。
「違う! アレックス。聞くんだ。
マートフは今回のヤマの協力者だ。うぷ、よ、酔いが回る」
「そんな戯言を、信じろって言うの?」
「フーム。信じられないかもしれないが、本当だよ」
「愛人?」
「そう」
「いい加減にしろ!」
アカーシだかアカエダだかわからない逃し屋は、長い髪を振り乱して暴れ、肘でマートフと呼ばれた酔っ払いのみずおちを軽く突き、どうにか抱擁から逃れでた。
最後に頼りにできるのは自分の力だけ。とは、こういうことか。
「紹介する。この酒癖の悪い抱きつき魔のおっさんは、エリ・オシポヴィチ・マートフ」
「メンシェヴィキの代表を務めているんだ。歓迎するヨ、アレックス。我等が新しき同志」
こんなヤツらに全財産を投じて救出を任せていいのか?
アレックスは本気で頭を抱える事になった。
☆
マートフのおっさんが持ち込んだウサギ肉を焼きながら、打ち合わせが始まった。
ちなみにウサギは、たくさん子供を産むことから、蛋白質の補給源として飼育が推奨されている。
最近では、生まれたウサギを納めるようにという「ウサギ税」も導入された。
こういうことを考えると、本気でナラールが末期的な気がしてくる。
なら、赤ら顔の酔っ払いが反政府運動の代表であってもなんら問題は無い……気もする。
「メンシェビキ(少数派)ねえ?」
「我々の同志は、未だに少ないからネ。戒めの意味もこめて、そう名乗っている。
同志アレックス・ブラウン。我々は、この世界に理想郷を作ろうとしているんだ」
メンシェビキ代表、マートフ氏は香ばしいウサギ串を手に、熱く語り始めた。
ユーリ・オールドマン体制の腐敗、新しい思想に基づく政権の必要性を。
「同志アレックス。今日まであらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史なのだよ。
支配するものとされるものがいる、だから不幸が起きる」
農民を支配する軍人、混血を蔑む純血者、ユーリ・オールドマンが一方的に定めた百の階級。
「搾取するものと搾取されるものが居る。
これこそが世界の不幸だと、我々は理解した。
だから、すべての者が平等に働き、富と成果を分かち合う、そんな理想郷を作るんだ。
身分も、貧富も、国境もない世界政府、被搾取階級による楽園、
ソヴィエトを、我々はこの手で作り上げなければならない。
我々、共産主義者は、そのために腐敗したユーリ・オールドマン政権を打倒する!」
「共産主義って、よくわからないけど、随分と好戦的な団体なんだ」
「”共産主義者は、彼らの目的が、既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する”――カール・マルクス著作、共産党宣言だ。
俺の故国じゃ、平和主義の代表みたいな仮面被っていたが、実際は、全世界規模での政府打倒を目指す超武闘派団体だからな。
各国で警戒されるのも当然の話だ」
「真理に目覚めたものが言われ無き弾圧を受ける。
だが、我々は屈しない! ソヴィエトがこの大陸を覆う日まで!」
「カール・マルクスって名前は聞いた事がない。どこの国の人なんだ?」
アレックスの問いに、逃がし屋はしかめつらして黙り込んだ。
「遠い昔、遠い国にいた爺さんさ。
裕福な弁護士の息子のくせして、浪費が祟って借金大王になった。
友人に職をたかるは、友人の奥さんを寝取るは、最後には未完成の論文まるごと友人に押し付けてくたばるは、どこまでも身勝手に生きた。
いたんだよ、そんなロマンチストが」
「だが、彼の志が、世界を救うのだ。
キミも読みたまえ、同志アカーシがナラール語に訳した『資本論』と『共産主義宣言』だ!」
マートフに押し付けられた書物は、あまりに分厚くて、あまりに巻数が多く、とても一朝一夕では読み終われそうに無かった。
「あんた、こんなにたくさんの本をよく訳せた…」
「ン。金の為に、な。
今じゃ、少しだけ、後悔しているよ。
俺はひょっとしたら、核兵器よりタチの悪い代物を、持ちこんじまったのかもしれない」
初めて会った時、木の枝を齧っていたように。
訳者 赤枝基一郎アレックスには読めない文字で、そう表題に印字された無数の本を見ながら、逃がし屋はがりがりとウサギの串を噛んだ。
4
そうして、テムスンの収容所からナーシャを奪還する日がやってきた。
逃がし屋、アカエダがメンシェビキと打ち合わせた結果、朝日が昇る前、囚人達が鉱山に追い立てられる前に決行することが決まった。
「ナーシャ一人を助けるんだったら、昼でも構わないんだがな。
マートフたちは、とっ捕まってる政治犯達を、仲間に引き入れたいらしい。
革命ってのは、収容所を襲うのがお決まりのセオリーでね。
こいつで名前を売って、民衆の支持を取り付けたいって見込みもあるんだろ」
そう言って、逃がし屋はまたどこからか折ってきた木の枝を噛みはじめた。
マートフが連れてきたメンシェビキの私兵はわずかに20名。
テムスンの収容所に詰めている警備兵は、看守を合わせておよそ50名。
(たとえ奇襲を掛けるにしても、二倍以上の戦力差。勝てるのか?)
アレックスの胸の中を、不安がこみ上げてくる。
特に、メンシェビキの装備を見つめれば。
「なあ、あんたら、それはいったい何の冗談なんだ?」
彼らが着た、そろいの皮のつなぎとコートは問題ない。
だが、ヘルメットを被り、グローブをつけた手には「労働者解放」とか「革命成就」と書かれたプラカードと酒瓶。
いったい何をしにいくのか、わかったものではない。
「遠足やデモに行くわけじゃないんだぞ? 何考えてるんだ、あんた達は!」
アレックスの叫びに、マートフは白い歯を見せて笑い、ごつい親指をびしりと立てた。
「問題ないネ!」
そうして、プラカードの頭部ををちょいちょいとねじると、あっさりと外れて、巨大な棍棒の如き角材が真の姿を現した。
「どうだい? これはゲバルト棒といってネ。
プラカードに見せかけて、実は凶器になるというマジックなアイテムなのさ。」
「……」
絶句するアレックスに、今度はアカエダが酒瓶をおしつける。
「この酒瓶、中に油が入ってるから、注意しろよ。
濃硫酸と塩素酸カリウムを使った触発式だ。
普通はガソリンだけで作るんだが、おまけに亜鉛とリン、ナフサにパーム油なんかを混ぜてある。
一応調整はしてあるが、下手な爆弾とは比べ物にならないほど燃え広がる。
割れた瞬間、大惨事になるから注意しな」
「あ、あんたら……」
この時、初めてアレックスは、アカエダやマートフを心底恐ろしいと感じた。
「なんで、こんな面倒な真似を……」
「そりゃあ、子供達に、こう言い聞かせるためさ。
”我々はあくまでも非暴力で革命を目指した。
それにも関わらず、官憲は暴力で我々の運動を弾圧したのだ”……ってね」
アカエダの瞳は、ヘルメットと、色眼鏡で隠れて見えない。
「どこがだ? 棍棒と爆弾を持って。どう見たって立派な反政府活動じゃないか」
「あるいは、こう言い換えてもいいかもな。テロリ…」
アカエダの背中を、マートフが丸太のような腕が抱きしめた。
「アカーシ。我々はレジスタンスだよ。
キミの故国がどうだったか知らない。
だが、このナラールに議会は無く、政治を変えるには、武力しかないんだ」
「悪い。失言だ」
「気にする事はない。
キミは理想主義者で平和主義者だ。
”だが、この国も、世界も、それがまかり通るほどに甘くない”」
アカエダは、沈黙する。
その静寂を払うかのように、マートフが号令を掛け、収容所解放作戦は始まった。
☆
「不当なる弾圧によって収監されたぁー、すべてのぉー、労働者、諸君!」
マートフがハンドマイクを片手に、収容所の正門前でアジ演説を始めた。
朝駆けの大騒ぎに、警備兵達が石弓や槍を手にわらわらと集まってくる。
そこに、メンシェビキの同志が、火炎瓶を投げ込んだ。
天を焼く、火柱が立ち上る。
ナパーム。
アカエダが故郷の世界から持ち込んだ知識によって作られた、この世界におけるオーバーテクノロジー。
湾岸戦争でも使われた、焼夷爆薬だ。
火達磨になって警備兵達が倒れるのを、アカエダは酷く覚めた目で見ていた。
異世界。
その響きに人は何を連想するだろう?
救世主とか、選ばれた戦士として歓迎されたり、世界を救ったり、ロマンスがあったり。
「どこへ行っても、人間は変わらない。
そんなこと、わかっていたはずなのに、な」
争い、貧困、暴力、疫病、戦争。
人類の歴史は、血の色で染められている。
半世紀にわたる平和。
飢え死にすることも、夜を怖れる事もない日常。
それは、奇跡のように貴いものだと、知らなかった。
次々と火柱が立ち上る。
初めの奇襲で相手の戦闘力と、通信手段を奪わねば、皆殺しにあうのは、数に劣る革命主義者達だ。
マートフたちは、それをよく理解していた。
武器庫と、馬屋が灰燼に消え、角材を手に殴り込みを駆けてゆく。
「そろそろだぜ、アレックス。
もうすぐ混乱が最高潮に達する。
その隙を突いて、ナーシャを助け出せ」
「あんたはどうするんだ」
不安そうに見上げるアレックスに、アカエダはにやりと笑って見せた。
「俺は、相手をしなきゃいけない敵がいる」
そう言った直後だった。
天を染める煙と火の中で、塔ほどもある、巨大な影が立ち上がったのは。
「偉大なるユーリ・オールドマン大元帥に逆らう不穏分子ども。
ただちに武器を捨て、降伏せよ!
繰り返す。暴徒どもよ。ただちに武器を捨て、降伏せよ。
さもなければ、共和国から借り受けた、この第五位契約神器。
『炎巨人・“威風堂々”』の力を以って、諸君らを殲滅する!」
収容所に響き渡る大音声に、アレックスは覚えがあった。
カマキリこと、所長、ドミトリー・カウフマンだ。
「あ、あ、あ」
アレックスは、恐怖のあまり、立ちすくんでしまった。
契約神器、アーティファクトとは、一千年前、世界を滅ぼした《力》
七つの鍵を巡る人間と巨人、妖精族の最終戦争で投入された最終兵器のことだ。
(もう終わりだ。勝てるわけが無い。最初から無理だったんだ、革命なんて)
鉱山で発掘されたレアメタルは、共和国へ納められるが、その一部はあの巨人の整備にも使われていたのだろう。
全長10mを越える巨大な黒鉄の身体。
ハリネズミのように、身体中から、何本も突き出た、巨大な砲台。
世界を焼き尽くす、炎の巨人。
「阿呆か?
砲台積み込みやいいってもんじゃねーだろ。あれじゃあ、ろくに動けない。
それに、あの腰のとげ玉って、水中用の機雷じゃねーの?
水上艦に飛ばない対地ミサイル積み込んだ呆けた国を知ってるが、
あの巨人はそれ以上にナンセンスだな」
怖れていない。
逃がし屋は、アカエダは、この窮地にあって怖れていない。
バールのような黒ずんだ鉄梃子を振り上げ、大地に円と六芒星からなる魔方陣を描く。
「契約者、アカエダ・キイチロウの名において宣言する。
盟約に従い、来たれ、氷雪の巨人。
ともに神焉の舞を踊らんがために!」
白い光が、魔方陣から噴出する。
輝く結晶が鋼となり、骨格を、内燃機関を、演算機器を、操縦室を、装甲を。
わずか一呼吸にも満たぬ間に形作り、真っ白な巨人となって降臨した。
「これが俺の、第五位契約神器『雪巨人・“愛と平和”だ。
炎の巨人は俺が抑える。行け、アレックス!」