表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

第1話|わたしの選択

「ママはね……あなたのことを、本当に愛していたのよ。だけど……ママ、行かなくちゃいけないの。

……待ってる子が、いるから。」


涙でにじんだ視界の向こう、小さな手が、何かを言いたげに伸びてくる。

声を出せば崩れてしまいそうで、私は黙って首を振った。


そして、静かに背を向けた。


振り返ることは、できなかった。


その瞬間、世界が音を失った。


───


私は、葉月詩織。

8歳の娘と5歳の息子の、二人の子どものママです。


夫とは2年前に別れました。


理由は、彼が別の女性と関係を持ち、そのまま何も言わず家を出て行ったから......


離婚後、養育費は滞りがちで、最初の数ヶ月こそ振り込まれていましたが......やがて口座は空のまま...


私は、週5のドラッグストアのパートで何とか生活を支えています。


住んでいるのは古い市営団地。築何十年になるんだろう...

エレベーターもなく、階段を何往復もしながら、重い買い物袋を運びます。


服は、新しいものを買う余裕がないので、少しぐらい穴が空いていても、我慢して着るしかありません。


美容院には半年に一度だけ。

お金の節約のためにショートヘアとロングヘアを交互に繰り返しています。


長くなったらショートヘアに。

そうすれば、半年行かなくても何とかなるから。


お化粧もできるだけ手を抜きたくて、外出時はマスクが手放せません。


電気代を節約するため、真夏でもエアコンは控えて、扇風機一台で子どもたちを寝かしつけています。


近所のスーパーのお惣菜が、何時に値引きされるか、全部覚えているのは自慢です。


少しみじめですけど...


それでも、頑張れていたんです。


「ママ、だいすき!」


そんな無邪気な笑顔に、どれほど救われたことか。

この子たちのためなら、私はどんなことでも耐えられるって、思ってた。


……でも、限界は突然やってくるんですね。


ある日、Instagramを何気なく見たんです。

エステに通って、オシャレして、毎日お弁当がキラキラで。


「#3児ママ」

「#育児も仕事も楽しむ」


そんなタグが、まるで私の存在を全否定してくるみたいで、息が詰まりそうになりました。


「違う人生だったら、私だって……」

「私はこうやって、惨めな思いをして死んでいくのかな......」


そう思った瞬間、涙が溢れて、止まりませんでした。


家に帰っても、子どもたちの喧嘩が始まる。


「ママ、これ見てー!」

「ママー、ジュースこぼれたー!」


私は立ったまま、食卓で寝落ちしてしまったこともあります。


寝不足と貧血でふらつきながら、それでも毎日、ごはんを作って、洗濯をして、学校や保育園に送り出す。


でも、ある朝、洗面所の鏡に映った自分の顔を見て、ふと、思ってしまったんです。


「……こんな生活、もう限界だな。......全部リセットしよう。」


そして気づいたら、私は駅のホームに立っていました。


「夏樹、春香……ごめんね……」


電車の音が近づいてくる。


誰にも気づかれずに消えたほうが、楽かもしれない。


そう思った瞬間、身体が自然に線路へと傾いた──


その刹那、世界は暗闇に包まれた。


「……え……?しん....だ?」


「いいえ、貴方はまだ、完全には死んでいませんよ」


どこからか、青年のような声が響いた。


「だ、誰……!?」


顔を上げると、そこには見たことがない、高校生ぐらいの青年が立っていました。


ただ、その服装は奇抜で...あまり見たことがないような和装をしていたのです。


「僕は、時と魂を司る番人。貴方は本来なら、あの電車に轢かれて死ぬはずだった。だけど……その直前、強く“後悔”したよね?子どもを残して、死にたくないって。でも、身体はもう線路に向かっていて後戻りはできなかった......」


私は、ただ息を呑むことしかできなかった。

確かに、死の直前に子どもたちの顔が思い浮かんで、強く後悔をしたから。


「その後悔の念が、僕を呼び寄せた。死の直前に、もう一度生きたいと強い信号が発生すると、時々僕の存在とシンクロする時があるんだ。」


「......どういう、ことですか?」


「難しくてよく分からないよね。結論から簡単にいえば、貴方がもう一度生きたいと強く願えば、“別の人生”を歩むことができる選択肢があるんだ。今度こそはこうならないような人生を歩む、そんな選択肢を与えるために僕は今ここにいる。

今から10年前、まだ貴方の元の夫に出会う前に戻ることができるよ。新しい未来を、自分の手で選び直せるんだ」


「……本当に……?」


「ただし、君が10年前に戻れば、パラレルワールドとして扱われるから、“今の世界”の君は消える。

つまり、夏樹君と春香ちゃんは……当たり前だけど存在しない世界で生きることになる。

万が一、元の夫と再度結婚したとしてもね。

......それでも、やり直したい?」


私は言葉を詰まらせた。

あの子たちは、私の宝物。

でも、この生活を続けていくことに、もう自信が持てなかった。


「……今なら、まだ戻すことはできるよ?あの線路に飛び込む前に。生活は辛いかもしれないけど、子どもたちは家で貴方を待っている。

それでも、貴方は……10年前に戻る?」


しばらく沈黙が続いた。

私は、ギリギリの選択を迫られていた。


でも、胸の奥で、小さな声が響いた。


「……やり直したい。今の人生じゃない未来を……もう一度、選び直したい!」


「わかった。貴方の願い、確かに受け取ったよ。

ただ──その選択の責任は、貴方自身が背負うことになる。それだけは、忘れないで。今を捨てるということは、そういうことだから。」


そう言い残すと、青年は静かに消えていった。


そして──私は、再び、目を覚ました。


10年前、まだ夫も子どももいない、私が独身だった一人暮らしの家で。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ