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第二章 耐愛

 太陽と月の間はやはり地球(たにん)が邪魔をする。

 本来なら月である僕が地球の周りを彷徨ってるだけだけどね。

 僕はクラスメイトやその他、男子生徒に殴られたり、いじめられたり、陰湿な嫌がらせを受けている。理由はだいたい検討はつく。

 人気なミオとの交際がバレたと考えるのが妥当だ。

 幸いミオの方には被害は出ていないようだ。

 なら僕が耐えればいいだけの話、メンタルは強い方だと思うので幾らでも耐えてやるよオラァ!ぐらいの気持ちで生きている。


 学校に朝来れば、上靴の中には大量の画鋲……これを見ても僕は昭和かよ!と場違いなツッコミを心で決め込む。僕だったら間違いなくここにボンドか、接着剤を着けるので甘いなぁとも思う。


 いじめの主犯には心当たりがあった。水族館でミオにナンパしていたヤツ。名前は知らない。

 陽斗達はこのいじめには加担していない。てか、していたら困る。僕にとって唯一の友達なので失いたくない。


 画鋲を隣の人の上靴に移し、画鋲が入ってないことを確認して履く。


「おい…」


 声は明らかに知っている人の物だったが、記憶の奥底に眠っていたため、顔も名前も浮かんでこない。

 声の方を向くと顔と声が一致した。

 水族館のナンパ男だ。


「お前さ、朝比奈と別れろよ」


「え、いやです……」


「……チッ。お前と朝比奈じゃつり合わねーの! 分かる?

 お前が朝比奈に付きまとってるせいで朝比奈は迷惑してるの!」


 つり合ってないのは自分でも理解しているので否定はできないが、付きまとってはないと思う。むしろ、向こうから来てると言っても過言じゃない。


「なんとか言ったらどうなんだ」


 なんとかっても何言っても怒られるというのが目に見えて分かっていたので、発するべき言葉が見えてこない。

 僕は人との対話において、器用に切り抜けるというか、相手の気に障らない言い方ができるような人間じゃない。


「おおーーい! 聞いてんのかぁ?」


「僕はミオが好きだ。

 確かにつり合ってないけど……」


 左頬を殴られた。

 口の中には血の味が滲む。

 血の味ではあるものの彼が僕に向けた怒りを味にしたように感じた。

 恋愛経験の少ない僕は好きな人を盗られる痛みが分からないので彼の怒りについていまいち分からない。ただ分かっているのは、今の拳に込められた力の強さは僕への怒りの大きさだということ。

 ていうか盗られたのはお前の落ち度だろ!なんで僕がこいつの機嫌とらないといけないんだよ!


「もういいっ……」


 なんだ意外とすぐ引いてくれるじゃないか。

 僕が悪いわけじゃないんだけど……


 僕もこんな性格だから人付き合いは苦手な方だ。中学の時は捻くれた性格を表に出していたから友達は離れていくし、陰口とか日常茶飯事だった。

 でも辛いとかは思わなかった。友達とか恋人ってたぶん気使ってまで一緒にいるものじゃないと思うし、相手の機嫌を取るくらいなら関わらないという選択肢を取る。



---



 テレビのニュースが耳に入る。


『被害者となったのは遥 花音さん(18)……』


 遥……花音……

 彼女は実は知人だ。花音は中学の時の同級生で俺の初恋の相手でもある。5年経った今では、ふ〜ん死んだんだくらいにしか思わない。人に対する想いは時間が経つとこんなにも薄れるんだなと思った。

 そう考えると俺がミオに抱いてた2年間の想いはとても価値のある物だと思うし、一途に想い続けた自分を尊敬する。


 関わりがあったのは中2の時だっただろうか、あまり人と関わりたくない俺からするとちょっとウザかった。めっちゃ話すタイプじゃないけど……無駄によく俺に構ってくるヤツだった。

 「僕に構ってもいいことないよ」とか「僕に構ってたら痛い目見ると思うよ」とか遠回しに関わりたくないアピールをしていたが彼女には届かなかったようだ。

 当時の俺は全く友達がいなかったわけじゃなかった。と言っても二人しかいなかったけど。俺と彼方と匠の3人でよくいた。

 彼方と匠とはあんま遊ぶことはなかったけど、休日用事もないのに適当に外をぶらつくことが多かった。家にいたくないわけじゃないけど、気持ち的に外の方が好きだった。

 外に出るのは好きだけど人と遭うのは絶対に嫌だったので、出来るだけ人と会わない道を選んだり、知ってる人が来ないところで一人で遊んだりすることが多かった。特に全く人通りのない公園があったから、そこでボーっとするのが好きだった。

 人が来て逃げようかなと思ったけど、逃げるより先に「いつもここいるよね?」って声かけてきやがった。

 正直ウザかった。まだ一言目なのに嫌悪というか、そもそも人と話したくないからここにいるの気づけって言いたい。まぁ花音からするとただ犬の散歩のついでに話しかけてきただけなんだろうけど。

 それでもこの場所を盗られたくないから通ったんだけど、会う度になんだかコイツと話してるの心地いいかもしれないって思い始めた。好きになってたと思う。「私達が結婚して遥が私の苗字貰ったら遥 遥になるじゃん!」とか言って二人で笑ってた。

 風の噂で彼方を好きっていうことを聞いて試しに訊いてみたら、「まぁ推しかな?」て言ってた……いや普通に好きでいいだろ。

 まぁ確かに彼方っていいヤツだし、本当はスゲーいやだけど俺ら3人の中では男として飛び抜けてたと思う。変なヤツだったらアレだけど彼方ならいいか、とか思って応援というか協力したくなった。

 余計なお世話だってことくらい分かってるんだけど、なんだか協力してあげたい。「連絡先教えようか?」とか「二人の時間作ってあげようか?」とか言ってみたけど、今考えるとなかなかキモいと思う。

 本当は俺が花音の隣にいたいんだって言いたいし、めっちゃ悔しい。でも口が裂けてもそういうことは言えないと思う。

 花音はその後も何もしなかったけど、なぜか俺の誕生日は知っててお菓子をくれた。いや、彼方の誕生日に何かしろよ、て思うけど同時に誕生日に何か貰ったことが初めてだった俺からすると目茶苦茶嬉しかった。

 貰ったんだし、返すのが普通だよな。「誕生日なんか欲しい?」て聞いてみたけど、「いらない」てなんか冷たかったっけ……。それから花音は来なくなった。

 今思えば、彼方と引っ付けたいとかじゃなくて、ただ花音と関われる理由が欲しかっただけかもしれないな。


 いや、もうよそう……そういうこと考えるの。

 今はミオがいるじゃないか。

 ミオのサポートが優先だし、花音は死んだし、思い出に感傷している場合じゃないと思うぞ?



 ミオが家に来てから1週間が経った。

 変わったことといえば、俺がバイトを始めたくらいだ。

 人との関わりが苦手なので、知っているヤツとバイトした方がいいと思って、陽斗と一緒バイトをすることにした。

 今日はシフトが入っているので、カフェに行かなくてはならない。

 6月ももう後半戦となり、今週は30度を越える日が3日もある。

 玄関扉を開けた瞬間、モアーッと来る熱気は一瞬で俺を憂鬱な気分にする。


「あっつぅぅ……」


 眩しいけど澄んだ青空が俺を応援しているようで少しだけやる気が出た。

 カフェ内ももうそろ冷房を入れる頃だろうと期待を込めて気持ち早めに歩く。


 チャリンチャリン……


 扉を開けると涼しい風が俺の全身の汗を冷やす。


「お、遥くん来たねー」


「こんにちわー」


 店長が挨拶をしてきたので適当に返した。

 店長は結構面倒見が良い人だと思う。飽きっぽい陽斗でも続けることができるバイトなのだから相当労働環境がいいんだと思う。


「よ!」


「お前も入ってたんだな」


「なんだ?嬉しいのか?」


「いや?別に?」


「素直じゃないなぁ」


「なんで男がいることに喜ばねーといけねーんだよ」


 正直に言うと割と嬉しい。バイトし始めて1週間も経ってない俺からすると、陽斗がいるってだけで少しだけ心強い。


「そういえば、朝比奈とはどーなの?」


「あーミオは……あれだよ……なんだ?あれ……えーと……」


「上手くいってないんだな」


「……チッ」


「舌打ちすんな」


「はぁ……

 なんかさ、もう付き合ってんのかも分かんねーよ……

 なんか喋ってもくれねーし……」


「なんじゃそりゃ。もう嫌われてんじゃね?」


「おい」


 ここ1週間水族館の時から何も進歩はない。必要最低限の会話だけ。母とはよく喋ってるのを見かける。

 ミオは家庭的な問題を抱えているって言ってたし、愛に飢えていたのかもしれない。そういう意味では母の存在はミオの中で本当の意味の母になっているように感じる。


「なんか最近この店のコーヒーがチョコの味する」


「それもう重症だな。

 精神科行って来い」


「舌じゃねーのかよ。

 てか、舌って何科に行けばいいんだろうな」


「確かに」


 精神科……精神科で思い出したけど、ミオの全盲が心因性視覚障害かどうかを確かめたい。

 心因性視覚障害なんだとしたらストレスの原因さえ取り除ければ治るんだよな……


「お前さ、朝比奈のことしか頭にないだろ?」


「なんで分かった?!」


「そりゃ分かるわ。何年一緒にいると思ってんだ?

 お前高校の時いじめられてたくせにケロッとしてたし、朝比奈さえ無事ならそれでいいとか思ってそうだよな」


「急に気持ち悪いな。

 お前なんかあった?」


「俺のことはいいんだよ」


 今日の陽斗はなんか変だ。らしくないというか、いつもより大人しいし、真面目に俺について話してくれるのは有り難いけど、それよりも陽斗は陽斗で悩みを抱えてそうだ。

 陽斗は悩みを抱えるようなタイプじゃない。好きな子に振られても、俺を振るとかセンスねーだろ!みたいなタイプだ。そんな陽斗の悩みに興味がないわけがない。

 訊いてみたいけど、この陽斗が悩むことなんだから相当辛いことだと思う。単刀直入(ストレート)に訊くのはまずいだろうな。


「まぁ確かにミオが幸せならそれでいいとか思ってるよ。

 全然出来てないんだけどね」


 こういう時は自分から悩みを話すと相手も話してくれることが多い。


 あぁそうか……そういえばミオに直接訊いたことはなかったな……何で悩んでるの?とか。

 俺に向けていた笑顔は本物だったんだろうか。偽りの笑顔、無理して笑顔を作っているんだとしたら、なんで俺はそれに気付けなかったんだろう。

 俺がいじめられ始めてから失踪したけど関係あるのかな。ヘイトがミオに向いたことはなかったし、ミオが直接傷つくことはなかったと思う。


「やっぱりな! どんだけ好きなんだよ! 引くわ〜」


「いいだろ別に!

 てかお前もぶちまけろよ!

 なんで今日ずっとソワソワしてるっていうか、いつもより静かだぞ?

 うるさいけど……」


「いや、俺だってたまには静かにしたいんです〜」


「はぁ?ゴチャゴチャうるせぇよ!

 ぶっ殺してやるよ」


「やめろ!お前が暴れたら止めれるやついねーだろ!」


 扉が勢いよく開かれる。


「お前らうるせぇよ。早く着替えて出ろよ」


「「はーい」」


 陽斗の悩みは訊けないまま、仕事に駆り出された。

 バイトの時間は面倒くさいことはほとんどないし、分からないことは陽斗とか店長が教えてくれるし、ミスしてもそこまで怒られない。何より、客の出入りが少ないので仕事はほとんどない。

 客は勉強したり、仕事したり、長時間滞在することが多いし、そもそもこの店はそこまで人気じゃない。

 そして、これだけの仕事量で時期1200円なのは、さすがに見合ってないと思う。俺達からするといいんだけど。


 あっという間にシフトの時間が終わった。


「ふあぁぁ早く帰ろ……ミオが待ってるぜ」


「いいよなお前、家に美女のいそうろうがいるって」


「そうだろ?」


「俺も振られてなければなぁ」


 陽斗は悲しげに呟いた。

 聞き間違いじゃなければ振られたらしい。

 大学とかの同級生だろうし、『誰か』を深掘りしても意味はなさそうだ。

 ミオに陽斗のことを相談する体で話せば、少しは話してくれるかもしれない。我ながら最低だけど使わせてもらうぞ?親友よ。


「うわーどんまい」


「お前にどんまいとか言われても煽られてるようにしか感じないんだが?」


「てか誰なんだよ相手は」


 口が滑った。

 俺はこういう場面になったらこういう言葉を言おうっていうのをある程度事前に決めている。そのため、恋愛関係の話になるとつい誰か訊いてしまう。

 興味はあるのでどんなヤツかくらいは聞き出したい。


「モモちゃんだよ」


「え?まじで?」


 ここのバイトのモモちゃんのことだろう。確か高校生だったはずだ。

 高校生狙うとかちょっとやばいんじゃね?て思うけど『好き』に年齢は関係ないし、口には出さないでおく。


「なんて言って告ったんだよ」


「いや、告ってはないんだ」


「なんじゃそりゃ、つまんな」


「おい」


「じゃあなんで振られたんだよ」


「たまに連絡取ったり、バイトの時話しかけたりするけど脈なしってのが明らかに分かるんだよ」


「俺には分からんが?」


「お前は一生経験人数一人だから分からないだろーよ」


 否定はできない。面と向かって恋愛をしたのはミオが初めてだし、たぶんこれからもミオの隣にいると思う。

 俺にはモモちゃんが全く陽斗に脈がないようには見えない。陽斗と話す時は嘘偽りない笑顔で楽しそうに笑っているし、連絡も返してくれるじゃないか。

 何がそんなに気に食わないんだ?


「まぁ好きな相手から脈なしと感じるのは振られるより辛いよな〜

 俺にはそれしか分からんけど」


 俺に分かるのはこれくらいだ。

 ミオが話してくれないこと、よそよそしいこと……好きな相手に一方的に注ぎ続けるって相当辛いことだし、それと似ている状態なんだと思う。


 カフェを出るため、チャリンチャリンと鳴らしながら扉を開けると外の熱気によって一気に汗を掻く。


「暑すぎる……」



 家に着くとミオが出迎えてくれた。


「おかえりなさい」


 なんかお嫁さん持った気分だ。しかもミオがお嫁さんとか最高じゃないか。


「ただいま。玄関の場所覚えたんだね」


「うん」


 このくらいの必要最低限の会話しかしない。

 出迎えてくれるのだから嫌われているとかそういうことはないと信じたい。


 いつものように、母とミオと3人で晩ご飯を食べて、父が帰宅して、風呂に入って寝る。この1週間はそんな毎日だった。

 今日は、早くバイトから帰ってこれたこともあって、晩ご飯が出来上がるまで時間があった。ミオも何か手伝いがしたいらしく、母と一緒に晩ご飯を作っている。

 そのため今日は一人で時間を潰さなくてはならない。表向きには自分は浪人生なので、勉強をする時間が確保できたので参考書を開く。

 勉強中、足がムズムズするタイプなので靴下を脱ぐ。


 1時間くらいだろうか、大問を5個くらい解いたが2問間違えた。

 半分も合っていないことに苛々しているとミオが部屋にやって来た。


「ご飯できましたよ」


「え、あーうん。ありがとう。

 場所覚えたんだね」


 目が見えない状態で1週間暮らして、その家の間取りを覚えるってすごいことだと思う。

 俺だったらたぶん一生無理だ。


「バカにしてます?」


「ううん」


 参考書に負けたまま席を立つのは、参考書に勝ち逃げされた気分で気に入らないが、仕方なく部屋を出る。

 ミオはもう補助なしでも歩けるらしく、手を繋ぐことはしなかった。

 部屋の扉を閉めると、ミオは壁を伝いながら歩きだす。


「階段大丈夫?」


「大丈夫です」


 あ、大丈夫なんだ……

 大丈夫と言ってはいるが、滑って怪我されても困るし、かなり不安だ。


「ほんとに大丈夫?」


「しつこいですよ」


「はい」


 トントントン……


 ミオが階段に足を置く音が響く。


 「ふぁ!」という声と同時に……ツルンッと音が聞こえてきそうなくらない綺麗に踏み外すのが見えた。

 咄嗟の判断で、ミオの腹あたりを抱え込むように持ち上げた。

 ミオの足は空中に浮き、なんとか怪我だけは避けられたようだ。


「大丈夫?」


「うん……大丈夫です」


 靴下を脱いでなかったら間違いなく俺もミオも怪我してたと思う。想像するだけで少しヒヤッとした。

 でも、なんだろう……ミオを抱き締めているはずなのに……ミオの体温を肌では感じるのに……心は何も感じない。


「降ろすよ?」


「うん」


 ミオの手を取り、補助をする。

 よく考えたら、補助のためとはいえ、ミオの手に触れているのに何も思わない……どうしてだろう……



 寝る前と起きた時だけ、ミオと2人きりで話すことができる。

 ミオに陽斗について相談してみることにした俺は微妙に切り出せずにいた。


「ねぇミオ?」


「何ですか?」


 ベットに座るミオは聞き耳を立てている。


「なんか陽斗がさ、好きな人できたらしいんだけど、話しかけても素っ気なくて、連絡も返してくれるらしいけど微妙らしい。

 ミオ的にはどう思う?」


 そのまんまじゃねーか!

 自分で言って思ったけど、もう少し工夫して話せないかな……


「えーと……分かりません、その人じゃないので……」


 いや、当たり前だろ!

 そういうことじゃなくて、ミオだったらどうかってことだわ!


「じゃあミオだったらどういう気持ち?」


「……え? んーーと……」


 ミオは困惑しながら答えを探している様子だった。

 言葉は出てこなかったけど、俺の訊いたことに対して自分なりに答えを出そうとしてくれていることがなにより嬉しかった。

 前のミオだったらなんて言ってたかな……


「そう。おやすみ!」


「…えっ……おやすみなさい」


 どうやったら前のミオに戻ってくれる?

 前のミオはどんなだったけ?

 前のミオに会いたい……

 そういう事ばかり考えてしまう。


 今のミオのことはどうやらあまり好きではないようだ。

 早く追い出そう、と言いたいところだが、視覚障害にしたのはおそらく俺だ。ミオが不自由なく生活できるようになってから考えよう。



 バイト先のカフェに向かっている俺は、2日連続でシフトが入っていたことに朝気づき、今日は勉強をしようと決めていた日なので、サボれる嬉しさと、サボってしまう罪悪感が混じっている。

 暑い中、外に出たくない俺はその2つの感情が暑さに消され、今日もシフトが入っていることに苛立ちさえ感じる。


 カフェの扉の鈴が鳴り響く。

 俺は昇天しかけた魂を引きずられるとように暑さから解放され、バイトへの苛立ちを一瞬で忘れる。ちなみにこの1週間はその繰り返しだった。


「あ!遥くんおはようございます!」


「あ、モモちゃんおはよ!

 この前までさんだったのに今日はくんなんだね」


「遥くんとはもう仲いいじゃないですか!

 私のこともモモちゃんって呼んでくれるのに私は遥くんのことさん付けで呼んでたら変じゃないですか?」


 だいぶ謎理論だな……

 確かに、さん付けよりくん付けの方が距離を感じなくて親しみ易いからその方がいいかもしれない。少なくとも不快ではない。


「じゃあ俺がモモちゃんのことモモって呼んだら、遥って呼んでくれるのかな?」


「え!? えーと……それは……もちろんです!」


 モモちゃんのシフトの日はなぜか人が多いので正直言うとハズレである。モモちゃんが歩く度に金でも落ちているかのように視線をやる客も少なくないので、万札が落ちた時だけ俺は瞬時に行動をしようと思う。


「遥くん、モモちゃん、人少なくなってきたから昼休みとっていいよ〜」


「「はーい」」


 俺とモモちゃんは休憩室に2人でいた。

 俺は厨房から小さめのカツサンドをパクってそれを食べている中、モモちゃんはモゾモゾして食事を取ろうとはしていなかった。

 ダイエット中か何かだとしたら、目の前で高カロリーなカツサンドを食ってるヤツがいれば、そりゃ腹も立つだろうと気づいた俺は、残りを口に押し込み部屋を出ようとする。


「あ!待ってください……」


「ぶぉおぅひたの?」


 口の中がいっぱいのまま喋ろうとしたので上手く喋れず、たぶん非常識なやつだと思われているだろう。


「一緒にご飯食べに行きましょう!」


「ん?」


 ここで俺の脳裏に浮かんだのは浮気に入るかどうかの心配である。

 今の状況ではミオと俺は付き合っているのかも怪しい状態だ。ミオが俺との関係において付き合っていないと断言できるならこれは浮気にはならない。対して、ミオが俺と付き合っていると言うならこれは浮気に入るだろう。そもそも、バイトの仲間と食事に行くことは浮気に入るのか……それすら俺には分からない。

 モモちゃんに俺の立場を言ってもいいけどこんな面倒くさい説明はこの場でしたくないというか、普通に面倒くさい。


「あー、人増えてきたね!俺仕事に戻るよ!」


「あぁ……」


 悪いなモモちゃん、俺には判断できないんだ……

 口の中のカツサンドを無理矢理喉を通した俺の声は情けなく、優柔不断さが伝わったことだろう。そんな非常識で情けない俺は二度と誘われないと思う。逃げれば勝ちなのだ。



 勝ちだと思っていた俺の考えは一瞬で覆された。バイトが終わってすぐモモちゃんは俺の元にやってきた。


「遥くん!一緒に帰りましょう!」


「え?! いいけど?」


 俺という人間をモモちゃんは、人と明るく振る舞える陽キャみたいに思っているようだが、そんなことはない。実際は表に出しているコレはほとんどが偽物で、本物の俺は引くレベルのコミュ症だ。


「えーと……遥くんは恋人とかいないんですか!」


「え?恋人?」


 初手からなかなか重い一撃を入れてくる彼女に少し困惑する。


「あーえーと……今日も忙しかったよねー」


「あーー!!ごまかしましたね!? 許しませんよ!!」


 木の実をほっぺに蓄えるリスのように頬を膨らまして俺の前にやってくる彼女の様子に目を逸らしてしまう。さすがにからかうのが上手すぎるモモちゃんだが、自分自身も頬を染めているので気恥ずかしいのだろうか。


「いや!別にごまかしてはないよ?」


「なんで疑問系なんですか!!はっきり言ってください!

 今更本当のことを言っても許しませんけどね!」


 自分の優柔不断さに嫌気がさしてきた。ミオとのことを真剣に考えなければならないのでいい機会なのかもしれない。


「で、どっちなんですか?」


 手をマイクの形にして俺の口元に近づけてくる彼女は、俺の悩みなんて知るはずもなく、その言動が俺の悩みをもっと深く重い物にしてゆく。


「えーじゃあモモちゃんはいないの?」


「いませんよそんなの……私モテませんもん!」


「えーモテそうなのになー」


「めっちゃ棒読みじゃないですか!」


「いや、ちゃんとおもってるよ!」



 モモちゃんの家付近まで送った後、俺は自分の家に棒になった足を無理矢理動かす。この疲れは間違いなくバイトによるものではなく、モモちゃんとのハードな会話によるものだと思う。


「ただいまー」


「おかえりなさい……」


 俺の仮妻が出迎えて来てくれた。ミオの美貌は相変わらずだが、昔のミオの光からはほど遠い。モモちゃんの方が昔のミオに近いだろうな。


「ミオありがと」


「いえ……」


 もちろんこの後の流れはいつもと同じでつまらないものだ。勉強をして、晩ご飯を食べて、風呂入って、寝る。それだけだ。このルーティンはしばらくは崩れることはないだろう。


「ねぇミオ」


「はい?」


「俺達って付き合ってる?」


 一切の迷いもなく訊けた自分が正直怖かった。ミオ本人に訊くのは外れている気がするが、ミオの答えを聞かない限り、次に進めないと自分の奥底では分かっていたのだろう。


「確かに……でも、別れ話はしてないですよね?」


「まぁ確かに?」


 そもそも付き合っている、付き合っていないの定義はなんだろうか。そしてその定義は大事な物なのだろうか。誰かに聞かれても俺は答えることができないだろう。


 そして、この問題はそのまま2日の間深淵に眠ることとなった。


「あっ!遥くん!こんにちは!」


「おはようございます」


「今朝じゃないですよ?」


「じゃあおはようございま"した"」


「過去形にすればいい問題じゃありません!」


 バイトを2週間弱続けていた俺は、甲高いモモちゃんの明るい声にも、そろそろ慣れてきた。


「うーっす」


「なんだ陽斗かよ、今日他の人はシフトないのか?」


「今日この3人らしいぜ」


「ふ〜ん」


 いつもに増して陽斗の元気はなく、それと同時にモモちゃんの元気は陽斗から奪い取ったかのように倍増していた。


「さぁ今日も頑張りましょう!」


 モモちゃんが休憩室を完全に出て行ったことを確認した俺と、それと同時に完全に虚脱感に負けて机に伏せ、グッタリしている陽斗が休憩室に取り残された。


「おぉぉぉおお!陽斗大丈夫か?!」


「もう駄目だ……おしまいだぁ……」


「ベ◯ータか!」


 モモちゃんの姿がなくなった途端この状態になった陽斗……『モモちゃんとの間に何かあった』という値を入れることで方程式が成り立ったようにも見えるこの状況は、さすがに気まずくて1日耐えられるものではない。


「くそ……ついに……くそぉぉおお」


「おい!何があったんだ! ブ◯リーが来るのか?!」


「まぁ……バイトが終わったら分かるよ」


「ん?」


 バイトが終わった後に説明されても1日気まずいじゃないか、やめてくれ。

 モモちゃんは特に何も思ってないように見えるのでモモちゃんは陽斗の気持ちを知らないのかもしれない。


「モモちゃん可愛い……」


「なんだ、元気じゃないか

 てか、そんなに可愛いか?」


「昔から女子の可愛いさにお前なんか……疎いよな」


「そうか?」



 こんなにバイトが苦だったことは初めてかもしれない。といっても始めて2週間も経っていないがな。いつも陽斗とモモちゃんはバイト中でも話していたが、今日は微妙の空気を漂わせていた。


「はぁ……やっと終わった」


 それにモモちゃんがいるせいで人が多かった。たださえ心に余裕がないのに二重にも三重にも積み重なり続ける苦の重みに俺の心は潰されかけていた。


「遥くん!」


 うわ……なんか面倒くさいの来た……


「今から少しだけ時間ありますか?」


「ん?!」


 ないことはないけど何の話をするんだろう。実は陽斗のこと好きだけど正直になれないんです〜的な何かか?絶対にそんなことはないけどさ、雰囲気的に。なんの話か検討もつかない。


「こっち……来てください……」


 俺の手を引っ張りながら、公園まで連れてきたモモちゃんは一度も顔を見せずに珍しく静かだった。


「夜の公園ってこんななんだ……」


 向かい合う俺とモモちゃんの間は心地良くないというか、明るいモモちゃんからは考えにくい沈黙が生まれていた。

 「少しだけ」て言ってたしたぶん何か話があるのだと思うが、俺に相談事をしてもいい答えは返せないぞ?


「あの……」


 口を開くモモちゃん……その声はいつもの甲高く明るいモモちゃんの物ではなく、どこか不安と恐怖さえ感じさせる声だった。

 モモちゃんは俺の胸に額を当ててくる。


「え?、ちょ……」


「恥ずかしいのでこのまま言わせてください」


「え?あ、はい?」


 俺はここでようやくモモちゃんが何を言おうとしているのか察した。

 モモちゃんが言うであろうことに対して返答する答えと覚悟はどこにも見当たらない。俺だって好きでこんな状態なわけじゃないのだから。


「私……遥くんのことが好きなんです」


「……」


「高校の時のこと、遥くんは覚えてないかもしれませんけど……助けられて、お礼も言えずに遥くんは卒業してしまって……でもバイト先で会えたことに運命を感じたんです……」


「……」


「今の状況は陽斗さんから聞いています」


「ん?!」


 なるほど、陽斗とモモちゃんがよく仲良さそうに話していたのは俺のことだったのか。外れていたパズルピースは俺の思考の中でピッタリはまった。


「もちろん、私はミオさんから遥くんを奪うために来ました。

 遥くん……私を選んでください」


 抱きしめるか、抱きしめないか……その2つの選択肢が俺の中の天秤で戦争をする。

 もうここでモモちゃんを選んでもいいんじゃないか?

 だってミオに愛をいくら注いでも溢れ返ってこないじゃないか……

 モモちゃんだったら返してくれるじゃないか?

 俺って何のためにミオに尽くしてきたんだっけ?


 俺の中はモモちゃんを選ぶ選択肢の方が優勢だった。もちろんミオを裏切りたいわけじゃない。裏切りたいわけじゃないけど返してくれないじゃないか。モモちゃんだったらいくらでも返してくれそう……何倍にもなって。陽斗には悪いけどそうする方が俺のためになるんじゃないのか?


 いや、待てよ……愛を返しきれていないのは俺の方じゃないのか?

 そうだろ……だってミオは3年前の俺を暗闇から照らして、出してくれたじゃないか。


「ごめん……」


 俺はモモちゃんを引き剥がした。


「私よりミオさんの方がいいんですか!

 絶対私の方がミオさんより遥くんを幸せにできます!

 私……絶対諦めませんから!!」


 泣きながら走り去るモモちゃんを目で追いながら「ごめん」と心の中ので繰り返す。

 もっとミオとのことを考えなければならない。適当じゃだめなんだとモモちゃんから教えてもらった、そんなつもりはないんだろうけど。それでも俺の心には響いた。目の前のことから逃げるな……そんなんだから共通テストでも、恋愛でも、人間関係さえも失敗するんだろ。



「ミオ!」


「え?!おかえりなさい?」


「話があるんだ!」


 ミオをギュッと抱きしめてみた。鼓動……普通。脈……普通。体温……普通。体はミオに反応しない。


「ど、どうしたんですか?」


「ううん、抱きしめたくなっただけ」


 ミオはゆっくりと俺の背中に手を回して抱き返してくれた。その瞬間俺の中の歯車が動いた気がする。ずっと凍っていた歯車が……動きはゆっくり、大きくは動かないけどこれでいい……。ミオと向き合わなきゃいけない。


「そうですか……

 今日なんかありました?

 辛いことがあるなら聞いてあげますよ?

 だって私は……いえ、ミオはハルくんの彼女ですから」


 俺はその言葉を聞いて涙が溢れた。下まぶたに収まりきらない大粒の涙が目尻から頬の上を通るのが分かる。その涙の大きさは『嬉しさ』を表す物もあれば、ミオが少しだけだけど元気になっていることへの『安心』もある。

 俺の2年間の想いはここでやっと認めてもらえた。


「私ずっと考えてたんです。「付き合ってる」ってどういうことを言うのかなって……今の私はハルくんに迷惑をかけてばっかで何も返せていませんし……でも、私はハルくんの支えくらいにはなりたいんって思うんです。

 あと……その……私……今見えてるんです……」


「え?!ほんとに!?」


「光とか色が分かる程度ですけどね。でもミオはハルくんを認識できればそれで充分だと思っています」


 ミオのメガネを通して見える彼女の薄青色の瞳が光を帯びていて、その光に俺は無限大の希望すら感じていた。

 一瞬でもモモちゃんに気持ちが傾いたことを許してくれるだろうか。言わなきゃ伝わらないだろうが……いや、そんなことミオは気にしないかな。とにかくこれからも俺はミオの隣で歩んで行きたい……そう思う。


 今まで思わなかったことを思うようになった。例えば、一緒にベットで寝たいなとか、デート行きたいなとか、手繋ぎたいなとか……こんな急に気持ちが変化するのはクズだろうか。誠実でありたいって自分で思ってもそれは難しい。結局俺は見返りがないと頑張れないらしい、けどそれでもいいじゃないか……ミオと与え合えれば……それで。



「今日曇りか……」


 今までの、ただ暑いだけの天候とは違って、夏の心地良さをなくした不快な暑さが俺を襲う。そんな不快な蒸し暑さも今の俺には効かない。なぜならミオが家で待っているのだから。


「こんにちは!」


「今日お前元気だな……」


「はは!そうか?」


 今日の天候を象徴するかのような陽斗との会話を適当にスキップして、仕事に入る。今日はモモちゃんがいないので客も少なく、良いことが重なる。

 いつもより仕事に対する気の重さがなく、むしろすべてが楽しいとさえ感じる。


「お前、なんかあったのか?」


「いや?別に?」


「絶対なんかあっただろ!ふざけんなよ!

 てか、お前!モモちゃんとはどうなったんだ!」


「いや、それはこっちのセリフだろ?

 俺はちゃんと振ったぞ?」


「贅沢なやつめ、絶対痛い目みるぞ」


「言ってろ」


 バイトを終えた俺はスキップでもしながら帰りたいところだが、外は雨が降っていた。雨の特有の匂い、カビ臭いような匂いが鼻をくすぐる。だが、今の俺には雨さえも効かない。

 走って帰る俺は雨に打たれながら家に辿り着く。帰ってすぐミオを愛で散らかしたい気分だが、さすがにシャワーを浴びてからじゃないと怒られそうだ。いや、怒らないかな?


「ただいまー!」


「……」


 今日は珍しくマイハニーが出迎えて来てくれなかった。とりあえず俺は荷物を置きたいので洗面台からタオルだけとって自分の部屋に向かう。


 母のいる気配もないので2人で買い物でも行っているのだろう……そう思っていた。


「何やってんの父さん?」


「あ、いや!これは」


 状況を把握する、何かを考える、その前に俺は体が動いていた。気付くと父を下にして何度も何度も殴っていた。机の上からカッターを取り、俺は父の腹にぶっ刺した。


「待って!ハルくん! "まだ"私なにもされてないから!」


「まだ?」


「……」


「『ミオを襲おうとしていた』それだけで殺すのには十分な理由だろ」


「何の騒ぎ?!」


「あ、母さんいたんだ」


 俺はミオと母に押さえつけられ、自分が何をしていたのかようやく理解した。

 あぁ……やっとミオと上手くやっていけそうだったのに、俺は牢屋に入れられるかもな……

読んで頂きありがとうございます!

自分の彼女が家族に襲われていたらあなたならどうしますか?

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