第×話 《番外編》事件の夜に凍る花
メルは、楽しそうに魔法店へと出かけて行きました。
どうせ、徹夜で本を読んで、明日の午前中はウトウトして終わりでしょう。
あの子は出会った時から、容姿以外は全然変わりません。好奇心旺盛で、大好きな魔法の事となると寝食を忘れてのめり込んでしまう。魔法以外はめっぽう疎くて、放っておくと魔法がある方へ行ってしまう……。はぁ……。
『天涯孤独の聖女候補の友達になれ』と、叔父に言われた時は彼を恨みました。当時の私も、そこそこ夢を追って忙しかったので。しかし、彼女は私が騎士の道を諦めざるを得なくて、腐っていた時にも寄り添ってくれた。それ以外にも精神的、物理的に何度救われたことだろう。
まぁ、明日の儀式でウトウトして、シアンの耳に『聖女様が儀式の間、眠そうでした!』なんて情報が入ったら、また出会いがしらの説教が始まりますね。それも可哀そうなので、眠気覚ましの練り香でも準備して助けてあげましょう!
と、言っても……こんな格好なので、それは明日の早朝に準備にすることになります。今はメルの影武者らしく、眠りに就こうと思います。
こんな生活がずっと続けばいい。そう思っていましたが……終りを告げる足音は、すぐそこまで迫っていたようです。
――コンコンコン
「メルティアーナ様、まだ起きてらっしゃるんですか?」
ベッドに入ろうとしたら、宿直当番のアリサが尋ねてきました。私はメルの柔らかく温かい声色を真似て、扉越しに答えます。
「ええ。でも、もう寝ます」
「そうですか、気が安らぐお茶とお菓子をお持ちしたのですが……」
お菓子……見る位ならイイですかね?
私がガチャリと扉を開けると、ランプを持ったアリサがいました。その傍には茶器とお菓子が乗ったワゴンも。
「ありがとう。気持ちが高ぶって眠れなかったの。……お菓子なんて珍しいね?」
眠れないメルに、お茶を提供する事は有りましたが……お菓子までとは。しかも見た事の無い青い菓子が皿に乗っていたので、思わず言葉にしてしまいました。途端に、アリサは目を泳がせ、言葉もしどろもどろになります。ああ、これは……
「えっと……料理長が故郷のお菓子を送ってもらったそうです……で、でも、寝る前のお菓子は健康に悪いので、持って帰りますね!」
(ええっ! 何で持って帰るんです!? まさか、アリサが食べるのですか? 隠し事をしている顔ですよ? アリサ!?)
私は皿を取り上げようとしたアリサの手を掴みました。
「……冷たい」
彼女の手は冷え切っていました。ずっと水に手を浸けていたかのように……そして、震えていた。彼女は皿を引ったくり菓子を回収します。
「……えっと……変わったお菓子ですし、悪くなってたら明日に支障が出るので……期待させて申し訳ございません。では、おやすみなさいませ」
「……わかりました。 夜勤頑張ってください」
彼女は菓子が乗った皿とランプを持って、慌てて行ってしまいました。何に動揺していたのでしょう? それに半ば強引に菓子を回収した……食べさせたくなかったのでしょうか? それとも本当に悪かったのか……。
扉を閉めるとドレッサーの鏡に映った、自分の顔と目が合います。目を細め、怪訝な顔をした……。
やってしまいました。前々から、第三騎士団のルイスに指摘されていたのでした。
『フローティアは嘘をつく時、目を細めるんだな。分かり易い』
あの男、人の細かな違いに気付くから気持ち悪いというか……只者でないと言いますか。仕事はできますが、いけ好かない男です。
嫌な事を思い出してしまいましたが、せっかくお茶を頂いたのでカップに注ぎ、一口含みました。いつも見る茶器。メルが眠れない時に淹れる茶葉の香り……だけど、一瞬舌が痺れたような……。
直ぐハンカチに吐きだし、それ以上飲むのはやめました。人より毒や薬が効きづらい体質ですが、過信はできません。どんなものが入っていたのか分りませんが、もしメルがこれを飲んでいたらと思うと、怒りが沸きました。アリサが何か混入させた? それとも事故? 明日、このお茶の中身を調べて貰いましょう。
反聖女派なる派閥も出来て、厄介この上ない城内。キナ臭くなってきました。
守衛が居るとはいえ、寝こみを襲われても癪なので扉に鍵を掛けましょう。メルは猫のように窓から出入りしますから。この窓が開いていれば……
窓から大聖堂の前に人影が見えました。見知らぬ服装の金髪のくせ毛男と、黒髪の侍女・アリサ。 男はアリサに向き合うと、彼女の腹を殴って……!
助けを呼ばなくては!! 近くに誰かいるはず!!
「ひゅ…………」
声がでません……もしや、あのお茶の中身は魔術師封じの薬でも入っていたのでしょうか?
窓が開くが聞こえたのでしょう。男と目が合いました。彼はニヤリと笑うと、痛みで蹲るアリサを無理矢理立たせ、彼女の腕を掴み大聖堂へと向かいました。
これは……さすがに暴漢に襲われている同僚を、見捨てる事はできません。茶に薬を入れたのは彼女と決まった訳ではありませんし。
護身用のタガーを持ち、部屋を飛び出し大聖堂に向かいます。途中で騎士を見かけたら、彼らに救出をお願いしましょう……
しかし、大聖堂に至るまで警備の者とすれ違う事すらありませんでした。
疑問に思いながらも、大聖堂の前に来てしまいます。大聖堂の扉は私を招き入れるかのように開いていました。意を決して建物の中へと進みます。
ステンドグラスの光を浴びる女神の像の前に、例の男がいました。
彼は満面の笑みを浮かべると、ずれた眼鏡を直し、両手を広げ仰々《ぎょうぎょう》しく話し出しました。
「初めまして、聖女様」
タガーを構え、周りの様子を伺いました。大聖堂にはこの男と私の二人きりでした。アリサがいない……。私の様子を察してか、男が親切に説明を始めました。
「ああ、あのドジな女をお探しですか? ご安心ください。あの駒は気を失てしまったので外の物陰に置いてきました。あの方の所有物なので簡単に壊せないのですよ」
駒……アリサはこいつに利用されているのですね? それにあの方とは……?
私を聖女だと思い、ペラペラしゃべるこの男は止まりません。
「貴女にお菓子を食べさせたかったのに、あのドジは断られたと言って、持って帰って来たんですよ? そこを上手く言いくるめて、食べさせるのが仕事なのにねぇ? しかしハサミと何とかは使いようと異国の旅人から聞きましたが、本当でしたよ。こうやって、あなたが釣れたのですから」
なるほど、アリサはあの菓子を私に食べさせる様に命じられたけど、良心の呵責で実行できなかったのですね。同僚に失望せずに済みました。この男の話は長そうなのでこれ位でお暇しましょうか。
「ああ、紹介が遅れました。僕は……って!ええっ!?」
私は彼の自己紹介を聞かず、出口に向かい走り出しました。声が出せないなら、大きな音でも出しながら城中を走り回れば皆、異変に気付くでしょう。最初からそうしておけば良かったです。
もう一歩足を踏み出した時、私の視界は大きく揺れます。そして崩れるように地面に倒れてしまいました。
「ははは! 途中で逃げるだなんて。あの駒は仕事が出来ないと聞いていたので、僕はさらにもう一手を打っていたのですよ。僕のぺシャルブレンドティーいかがでした? 」
沈黙だけじゃなかったのですか。これは、まずい状況ですね。
彼は私を抱き上げると、女神像の前に寝かせました。この男何をする気なのでしょうか?
「女神の前で聖女を殺し、アンデッドとして使役する。ああ、何と背徳的で刺激的で官能的なのでしょう! 貴女には死んでもらいます。そして、僕の下部として働いてもらうので……よろしくお願いしますね?」
死は怖い。この状況も怖いです。……でも、この恐怖をメルが味わう事が無くて良かった。メルを守ると決めて侍女になったのは正解でした。興奮した男はナイフを振り上げ私に問います。
「女神よ! あなたが愛し慈しんだ子の命。僕が頂きます! さあ、聖女様? 怖いですか? 怖いですか?」
彼の問いに、私は穏やかな笑顔を答えとして見せました。
(メル、もっとあなたの近くに居たかった……さようなら。ルイス、後は頼みましたよ……)
そして、ナイフがギラリと光り、乙女の心臓目掛けて突き立てられる。
月下美人が咲いた夜、一人の乙女が天に召された。




