第69話 聖女と天使の終焉(前編)
脚が治り、地面に降り立ったベルメールは“パチン!”と指を鳴らした。
「そちらが女神と契約しているなら、僕も本気を出しましょう!」
ケルベロスとベルメールの姿が黒く揺らめくと、そのシルエットが変わった。
ベルメールは耳が尖り、体中に赤い紋様が浮かび上がる。彼の手足からは魔力の糸が伸び彼の背後には黒い影が浮かぶ。
そして残り一匹となったケルベロスは目が6つに増えた。毛を逆立たせ、巨大な牙がにゅるりと生えた口からは涎を垂らす。結界の光で気付かなかったが、丸い月が浮かぶ空に、それは吼えた。
その光景を見ながら、ムーナとアーリィは目線を合わせて頷いた。彼女は軽く屈伸をして肩を鳴すと、不敵に笑う。
「アーリィ! いくぞっ!!」
「おう! みんな、伏せとけ!」
目を爛々と光らせたムーナと鋭い視線のアーリィは、ケルベロスに向けて駆け出した。私とルイスは彼の進言通り体勢を低くする。
――ばちーん!!
アーリィが太い尻尾が頭上をかすめる。彼は尻尾を振り回し、ケルベロスを打ち飛ばした。ケルベロスは空中で身を捻り着地の姿勢を取るが、地に足が着いた瞬間にムーナからの打撃を受ける。息の合った連係だ。
屋敷では元気に暴れまわっていた二人。お互いの性格や特性を理解して、見事な連携を取っている。二人の戦いを見て勇気づけられた私は精神を集中する。
暗闇の中で一筋の糸を辿るように、どんな刃物よりも鋭く。どんな像よりも鮮明に。ひたすらに願った。
――フローティアに力を! 彼女に闇をも払う力を!!
禍々しい夜の森に、爽やかな風が駆け巡る。瞼を閉じていても、目の前で強い光を感じた。
「メル。完璧です」
フローの声が耳に届き、すっと瞼を開けた。彼女の神々しい姿に目を丸くした。先程までに負った傷はすっかりと消え、二対の翼が生えていた。頭上の輪の数も増えて、鎧も剣も様々な吉祥の紋があしらわれている。凛と立ち、勇敢に剣を持った彼女の姿に過去の思い出が過った。
「初めて出会った日を思い出したよ……」
「そうですか? そんな昔の事忘れてしまいました」
フローは目を細めて優しく笑った。
「では、参ります。ルイス、後は頼みました」
「ああ。分かっている」
彼らは短く言葉を交わすと、フローは電光石火でベルメールに切りかかった。
再びベルメールの両足を薙ぐが、ベルメールはバランスを崩すことなく立っていた。
「――!!」
驚いた隙を見逃さなかったベルメールが、フローに攻撃をする手番となった。彼は邪気を纏わせたナイフを持ち、舞うように彼女を攻撃する。物理攻撃の効かないフローティアですら、そのナイフは切り裂いた。驚くべきはそれだけではない。私達は彼の動きに驚愕した。胴から先の四肢が人間とは違う法則で動くのだ。人間のように動く前の力の溜めが無い。まるでマリオネットの動き……。
(((マリオネット)))
三人とも同時に気付いた! そして彼はフローを攻撃しながらも、私達に向けて無数のナイフを投げた。ルイスが剣で防ぎ事なきを得る。
「フロー! ベルメールの背後の影が本体だよ!!」
「ええ! わかりました!!」
フローがベルメールの攻撃を避けず、受けながらも背後の存在に切りかかった。
――ザンッ!
背後の存在の左腕に斬撃が通じた。黒い影からは左腕が落ちると同時にベルメールの左手がだらりと力を失った。ベルメール攻略の糸口を見つけたと思ったその時、彼はゼロ距離でフローに魔法攻撃を放ったのだ。
ボロボロに傷つきフローは吹き飛ばされる。泣きそうにながらも彼女の傷の治癒を祈った。彼女が動き出すまではこちらに魔法の刃が跳んでくる。魔法防壁を張ろうと指を動かそうとした時、ルイスがチラリと私を見て言う。
「メルは集中しろ、大丈夫だ」
その言葉のあと、彼は魔法防壁を展開したのだ。この展開にベルメールは笑いながらも、驚きを隠せなかった。
「ははっ! 騎士も魔法が使えるんですねェ!」
「大魔法使いの孫なもんでな? 魔法もたしなみ程度に叩き込まれている」
たしなみ程度にしては、しっかりしすぎている。ベルメールがこちらに気を逸らせているうちにフローを治療しなくては!!
「では、これはどうです? 」
私達の周りを黒い魔法の刃が取り囲むと一斉に飛んで来た。ルイスの防壁は一方向だけだ。……しかし、これも魔法同士がぶつかり合う音と煙だけが一帯に響く。
一陣の風が煙を攫った後、攻撃前と変わらずルイスと私はその場に存在していた。
ルイスはニヤリと笑い、ベルメールに左腕に煌めくバングルを見せつける。私がルイスに送った物だ!
「僕も聖女の加護がを受けているものでね」
「ぐっ……そんなデタラメな!!」
悔しそうに顔を歪めたベルメールは、再び同じ攻撃を繰り返した。しかし結果は変わらない。轟音が響く中、フローを治癒する祈りも終盤に差し掛かる。もう少しで動けるよ……フロー!
ベルメールの背後でむくりとフローが起き上がった。負った傷もじわじわと消えて行く。
――あと少し!!
その時……ビキッと堅いものが歪む音と一緒に、私の右腕に激痛が走った。
「あああっっっ!!」
その痛みを受けて、思わず腕をおさえる。私の悲鳴を聞いて、みんなの視線が腕のそれに集まった。押さえた指の間から、透明な水晶――魔晶石が見えていた。……聖女の力では発症しなかったのに。こんな時に!!
「ごめん……大丈夫だから!!」
私はそう叫んで再び手を組み祈った。心の中でも「大丈夫」と唱えて自身に言い聞かせる。……しかし祈るたびに、痛みが走り声が漏れる。
「ほほう、魔晶石ですか? それはさぞ痛くて魔力が使えないでしょうねぇ、しかしその色の魔晶石は初めてだ。もしや聖女の力の使い過ぎによって発症しましたかァ?」
「黙りなさい!この下衆!!」
邪悪な笑みを浮かべ、嬉々としてこちらを眺めていたベルメールを、鬼の形相のフローが攻撃した。しかし、彼はひょいと躱して私達から距離をとる。フローは悲鳴に近い声を上げた。
「メル! ダメです!! 力を使わないで!!」
「大丈夫!!まだやれる!!!」
これだけは絶対に譲れない。
「大丈夫だから!……あと少しだから!!」
泣きそうな顔のフローと目が合った。私は軽く首を横に振った後、力強く頷いた。
(今日で決着を付けよう)
「メル……」
(もう、明日から魔法も聖女の力も使えなくてもいい……お願い!今日だけは!!)
私の願いを受け取ったのか、フローも剣を構えてベルメールに切りかかった。
ベルメールは好機と睨んでフローを挑発する。
「おっと!これはもう消耗戦ですね!! 僕には聖女の魔力が籠った石がまだ残っています。彼女はどれくらい持ちますかねぇ♪」
「貴方だけは! 絶対に許しません!!」
――ビキッ!
左腕にも魔晶石が発生した。痛みで冷や汗が流れる。
「はははは! 愉快ですね!! さぁもっと苦しんでください!さっさと殺されてください!!」
――ビシッ!!
両肩と脚からも魔晶石が生えてきた。
ルイスも傷を負いながら、必死に飛びナイフと魔法の雨に耐える。
――ビキビキビキ!!
とうとう頬からも魔晶石が生えてきた。痛みで気を失いそうになる。絶対に成し遂げる、みんなで帰るんだ!! その思いで意識を繋ぎとめ、耐えた。
傷だらけのアーリィがケルベロスを捕まえた。同じく傷を負いながらも闘争心の炎を消さないムーナが、ケルベロスの額の石を割ろうと必死に拳を振るう。
フローも羽を散らし、傷口から光が零れる。だが彼女は、ベルメールの右脚を封じ、その引き換えにフローは短剣で胸を貫かれた、二人は同時に膝をついた。
しかし、狂気の笑みを浮かべたベルメールが右手と左足を使いこちらに駆けよる。飛び上がり、私達目掛けて右手を構え、魔法を放とうとした。それは彼にとって勝利の一撃足りえるモノだった。
「僕は最強になるのです! 魔王を総べ、聖女を侍らせ、騎士を討ちすべてを手に入れるのです!!さあ!その聖女は頂きました!!」
だけど、ベルメールに勝利の女神は微笑まない。
太い木の枝のような物が、液体を滴らせながら放物線を描く。それは、どさっと地面に落ち、地面を赤く染めた。




