第63話 人質交換
手紙を受け取った翌日の夕方。私は指定された通り、魔界の扉の前に一人で佇んでいた。
ルイスとアーリィは早朝王宮に呼び出されてしまった。新聖女様を傷つけるといった犯行予告が届いたのだ。後ろ髪を引かれながらも彼らは責務を全うしに向かった。
聳え立つ黒い扉を見上げていると、誰かが来る気配がした。
黒く大きな犬――ケルベロスの背にベルメールが乗っていた。ケルベロスは口に人間を咥えている。女性ものの服を着ているが、手は拘束されて頭には麻袋をかぶせられていた。
「ほう、一人で来ましたか。ふむ。貴女以外の匂い魔力の気配ない。おまけに杖も置いてきましたか」
「約束通り一人で来たよ。でも、早くしないとみんな到着しちゃうよ? 時間だけ偽って皆にはここに来ることを伝えたから。その人を返して」
ベルメールはケルベロスから降り、咥えられている女性の元に近づくと彼女に向けてナイフを突きつけた。今日の私は彼の言った通り杖を持っていない。杖を持たない為、魔法の威力と精度は私の実力次第になる。
「ほう、他言ですか……あなたは勘違いしている。指図できる立場じゃないですよ?」
「そうかな? 杖のハンデをあげたでしょ? 屍術師を信じる筈ないじゃない。まずは彼女をケルベロスから降ろして、生きてることを証明して。取引のスタートラインはそこからだよ?」
私に脅しが効かないと分かったベルメールは面倒そうに、ケルベロスに向かい合図する。するとケルベロスは女を地面に降ろした。痛そうに呻く彼女をベルメールが掴み上げて立たせる。そして頭の麻袋が外されその正体が明らかになる。
麻袋で隠されていたのは、私と同じくらいの年齢の黒髪の娘……王宮では彼女と毎日のように顔をあわせていた。聖女担当の侍女・アリサだ。彼女は猿轡をされて話せないが、彼女は私と目が合うと、目を見開いて驚き涙を流した。
「どうです? 取引する気になりました」
「うん、始めようか? こちらは彼女の無傷での解放。彼女を傷つけたら交渉決裂、その瞬間から全力で戦う。そちらの要求は?」
私の要求を聞いて、ベルメールがおかしそうに笑う。
「何言ってるんですか? 決裂したら彼女助かりませんよ?」
「構わないよ。だって、聖女を殺すのに手を貸したんでしょ? 今は私の気まぐれで君の茶番に付き合ってるだけだから」
私の言葉を聞いたアリサの体が次第に震えだす。
「早くしないと、みんな到着しちゃうよ?」
「……チッ。元聖女の癖にドライですね。まあいいでしょ、その前に結界杭を抜いてください」
「やだ、同時交換で」
「下手に出れば生意気な口を!!! 僕を怒らせないでください? この娘を解放するのは杭を抜いてからだ……」
「分かった、杭は抜く。約束は守ってね」
私は両手で結界杭を握る。手に意識を集中させてゆっくりと杭を引き抜いた。
杭は光りを宿したまま、あっけなく抜けた。そして、場の空気は一気に変わった。近くの木々に居た鳥たちが夕焼けの空に一斉に飛び立つ。森の奥からも緊張感が伝わってくる。
私の背後ではゆっくりと扉が開いてゆく。その度に禍々しい気配が渦巻いていた。
私はそっと杭を地面に置き、ベルメール達に向き直る。
「結界が消えた……やりました! はははははは!! ……では、約束通り」
彼はアリサの背を強く押した。アリサはバランスを崩しそうになりながらも、駆けて私の元へやって来る。
「アリサ!!」
「んー!ん!ん!ん!!」
温かな彼女を抱きしめて安心した。猿轡と手枷を外すと、アリサは泣きじゃくる。
「メルティアーナ様!! 申し訳ございません! 私の所為で……私の所為で……」
「フローから聞いたよ。アリサは弟さんの為に頑張ったんだよね。大丈夫」
「亡くなったのは……もしや……」
「そう、フローティアだよ……」
「ああぁ……フロー……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「さぁ、ここは魔物があふれて来る。泣くのは帰ってからにしよう」
私達は立ち上がった。
ベルメールはおもちゃを見る子供のように楽しそうに私達を見る。
「ははは! おめでたいですね! 帰れると思っていますか!? 貴女達はここで死にます!! そして、最強の屍術師誕生の礎になるのです。さあ、魔界の扉が開き切りますよ! 世界は再び混乱に! 屍の山を作り出すのです!!」
ガコンと扉が鳴り、扉が開き切り止まった。開かれた扉の向こうは異質な空間が広がっていた。永遠に続く漆黒。闇の表面がボコボコと歪むと大きな魔物達が顔を覗かせこちらを見つめている。
恐怖で顔を引きつらせるアリサを抱きしめた。
そして完全に世界はつながった。




