第35話 聖女が信頼する懐かしい顔
王都の北に在る北部最大の街・サイレンに到着した。冬でも青々とした針葉樹林が生い茂る山が接した都市で、雪が良く降る土地だ。今日も空には灰色の重そうな雲がある。
この街にも女神寺院がある。王都より規模は小さな寺院だが、その建築物は王都と同じくらい長い歴史があり、市民から愛されている。
「さて、皆行こう」
今日の私はフローティアに扮してここに来ている。死んだ聖女・メルティアーナとバレないように眉間に力を込め『凍れる花』を演じた。
ルイスに促されて寺院の敷地に入ると、懐かしい声に呼び止められる。
「ルイス君にフローティア。 よく来てくれたね」
振り返ると、王都の女神寺院で大変お世話になった彼が居た。懐かしい顔に思わず眉間に込めた力が抜け、メルティアーナの表情になる。そう、彼は……
「クラウス様ご無沙汰しています」
「……導師様!」
王都の女神寺院で導師を務めていた、クラウス様だ!
ちなみに彼は、あの事件の当日私とフローが入れ替わっていたことに気付いている。彼は私が王都を離れるまでフローとして扱い、今も人前ではフローとして接する。
「……フロー。私はもう導師じゃないんだ。クラウスで頼むよ。さぁ、皆こちらにおいで、疲れただろう。私の部屋で話そう」
◆ ◇ ◆
私達は女神様に祈りを捧げた後、寺院の奥へと進んだ。
王都とは違い石と木を組み合わせて造られたこの寺院には暖かみがあり、職人の遊び心を感じ取れる意匠で見ていて楽しかった。クラウス様の執務室に入ると、彼は人払いをして扉を閉ざす。
私達はテーブルを囲む様に配置された椅子に掛けるよう勧められ、彼は部屋の中にあるミニキッチンでお茶を丁寧に淹れると、私達前にひとつずつ置いてゆく。ムーナにも優しく微笑みかけてお茶を渡した。
「寒かったろう? 君もお茶をどうぞ」
「むぅ! うれしい~♪」
そして、誰もいない席にもう一つ。
「遠路はるばるすまない。本来は私からそちらに尋ねるべきなのだが……老いぼれの頼みを聞いてくれてありがとう。君たちが元気そうで安心したよ……」
「いえ、クラウス様もあの事件の前から体調を崩されていましたし、恥ずかしながらあの領地は相変わらず魔物が多いので」
体調を崩している!? そんな話は初耳だった。思わず私は身を乗り出して聞いて聞いた。
「クラウス様、お体の調子は大丈夫なんですか!?」
「心配をかけて悪かったね。だがここに赴任してからは調子がいいんだ。安心しなさい」
彼は優しく微笑む、懐かしい笑顔をみて思わず涙腺が弛んだ。王都では毎日顔をあわせていたのに、気づけなかった自分が悔しい。
「……メルティアーナ、久しいね。元気そうで良かった。あんな目に遭って辛かっただろう……それにフローティア。また逢えてうれしいよ」
クラウス様は扉の近くに立っていたフローに向けて話しかけた。
私とルイスは驚いた。フローは眉と目だけで驚きを表す。彼女は一礼するとクラウス様に尋ねた。
「やはり、クラウス様も私が見えていたのですね?」
「ああ、あの事件の時もメルの近くに居たのも見えていたよ。立っていないで、ここに座りなさい。二人とも元気そうで良かった。というのは変かな? 」
お茶が注がれたカップだけが置いてあった席に来ると、彼女は一礼して座る。
「いえ、精神的に元気なので間違いはないかと」
「君らしいね。ルイス君、メルを保護してくれてありがとう。リズやアリサまで本邸で雇ってもらえるとは。改めて礼を言わせて欲しい。君には足を向けて眠れない」
「いえ、僕に出来る事はあれだけでしたので。しかし、上手くいってよかったです。アリサとリズは本家で上手くやっています」
「そうか、よかった……」
よほど心配だったのだろう、クラウス様はほっと胸をなで下ろした。
二人の会話はナチュラルに進んでいるが、私は置いてけぼりだ。
「お二人とも! 私を保護って、どういう事ですか?」
「……本物の聖女を野放しにしておけないだろ? それにメルの事だ、自分からベルメール探しに行って戦うなんて想像に容易い」
ルイスの説明にクラウス様はゆっくりと頷き、フローも力強く頷いた。3人して酷いなぁ……ええ、そのつもりですとも。でも、それだけ?
クラウス様はフローに話しかけた。
「フローティア、怖い思いをさせてしまったね。君の遺体は今も結界の中だ。メルが残した魔石を使って結界を施したから簡単には破れないだろう」
「ありがとうございます。これは私が選んだことですから。メルが無事なら私は満足です」
フローは優しく微笑み言い切った。でも私の胸はズキンと痛む。
「メルにも変装をさせて不便をかけてすまない」
「クラウス様? 事件があった当日、なぜ私の正体を明かさせなかったんですか? それに、ルイスは邪魔までして」
疑問に思っていたことを彼らに尋ねた。
「あの屍術師の狙いは魔力に満ちた君の体だ。一度失敗しても結界が弱まる時間帯を狙ってまた現れるぐらいだ。大人数の前に姿を晒すリスクを払ってでも、喉から手が出るほど欲しいのだろう。奴が大きな魔力を持つ屍を使って何をする気だったのか。その狙いが見えない以上隠しておきたかった。それはルイス君も同じだったみたいだね」
それを聞いて身震いする。そんな事をしてまで私を使役したいとは……奴は一体何を企んでいるのだろう。隣りに居たルイスも真剣な顔で話す。
「……だから、聖女が生きていたと知れれば確実に狙われ、新たな犠牲者も出かねない。だから隠していた。しかし、誤算があった。君がフローの姿をして大魔法を放った事だ。彼の最期の言葉を覚えているかい」
「確か……『聖女《《は》》諦る。でも収穫は有った』だっけ?……あ!」
「そう、フローを狙っている可能性がある。そのフローが聖女だと分かれば彼は全力で奪いに来るだろう」
「でも、彼をが私を狙っているなら……」
「『私を囮に』なんて間違っても考えないで下さいね? メル」
思考を読まれてしまった。フローの涼しい目元に睨まれた私は身を縮める。クラウス様が更に念を押す。
「彼女の言う通りだ。今回の件は屍術師の他に内部にも協力者がいる。一網打尽にしないと再び望まぬ死者が出るだろう。私もマジェンダもこんな老いぼれだが、まだ知恵と人脈はある。君が聖女と名乗り出る時は全て決着をつける時だ。だから、それまではルイス君の屋敷で身を潜めて欲しい」
「しかし、それを覆すほどの緊急事態が発生したと言う事ですか」
フローの一言に室内に緊張感が張りつめる。
「ここからは今日の本題だ。君に頼みたいことがある」
「頼みごと?」
「ああ。君に魔界の扉の結界を張って欲しい」
開くと厄災がやって来るあの扉。本来は私が結界を張るはずだったモノ。
時計がチクタクと進む音だけが室内に静かに響いた。




