病は気から、恋はどこから?
また短編を書いてました。
その日、風海生真は高校の入学式を欠席した。
理由は単純で、高熱でベッドから起き上がることすら辛かったからだ。
発熱は昨日の昼頃、病院に行ったところ流行りが過ぎたばかりのインフルエンザだと診断された。咳や鼻汁は無いが、発熱に強い頭痛と倦怠感があり、立ち上がるとグラグラと目眩がする。
春休み中は人混みに行く機会が多かったから、どこかで貰ってきたらしい。
入学式以降もしばらくは登校できないだろう。
今年はクラスでボッチが確定したな、と憂鬱な気持ちでベッドに潜り込んでいたら、同じ高校に通う事になった中学校の友人や彼女が、入学式が終わったら見舞いに来ると朝から連絡が来ていた。
両親は当然仕事なので出払っており、自宅に一人取り残されたまま大人しく眠っていたが、昼過ぎに空腹で目を覚ました。
だが、朝と変わらずベッドから立ち上がるのも大変だった。
時刻は午後14時過ぎ。
今頃は下校し始めているだろうから、申し訳無いが見舞いに来てくれるだろう彼女に簡単な昼食を買って来てもらおうと連絡を入れようとした。
すると、スマートフォンの画面の通知欄に彼女からの連絡が来て居ることに気付いた。
それと同時に、インターホンの音が耳に届いて来た。
もう家に着いているのなら鍵を開けに行かないと、なんて考えながらチャットを開いて、その画面を呆然と眺めた。
『ごめん、お見舞い行かない事にした』
『ずっと好きだった幼馴染みとクラスで再会した』
『生真のこと嫌いじゃないから、浮気はしたくない』
『だから別れよう』
『友達に戻りたいとかは言わない、恨んでくれても良い、本当にごめん』
その後はブロックされていますという文章が淡白に表示しされていた。
生真への配慮もありつつ、彼女自身の気持ちも伝わってくる簡潔でわかりやすい文章だ。
熱のせいで回らない頭でしばらくその文章を眺めて、とりあえず感じた事は一つ。
「お昼、誰に頼もう」
ぼんやりと呟いた。生真の頭には最初の文章しか入って来て無かった。もしくは、それより下の文章から目を背けていたのかも知れない。
ふと、もう一度インターホンが鳴った。
窓の外は季節外れの大雨と悪天候。
予報を確認する限りでは一日中続くようだ。この体調不良はインフルエンザの他に気圧の関係もありそうだ。
寝室を出てふらつく足取りで階段を降り、何の確認もせずにドアを開ける。
ドアの前に居たのは、えげつない美少女だった。
ふわりとした長い髪をポニーテールに結んだ少女は、日向綾芽と言う。
彼女は洒落たスクエア型の眼鏡越しに、大きな瞳を細めて呟いた。
「酷い顔」
中学校の卒業式ぶりに会って最初の言葉にしては随分と辛辣だが、生真は言い返す気力も無かったし雨も強かったので無言で家に入れた。
「お邪魔します」
見舞いに来たとは思えないような呆れた顔の綾芽は、初めて入った筈の家で迷いなく足を進めてキッチンに入る。そして持っていたレジ袋から、がさがさと色々な食材を取り出した。
「なに、してんの?」
「見て分からない?」
どうして普通に疑問を投げかけただけなのに、軽く煽られなければ行けないのだろうか。
ソファに身を投げて、キッチンに立つ綾芽を呆然と眺めていると、彼女は様子の生真を見て大きなため息を吐いた。
「どうせ何も食べてないだろうから、作ってあげようと思って色々買ってきたの」
どうやら色々と見透かされていた様で、呆れた様に細めた瞳で生真を見て、彼女は淡々とそう言った。
「……助かる」
生真はそれしか言えなかった。
その後、調理を進めてくれる綾芽を見ていたら、彼女が制服姿である事に今更気が付いた。
家に帰らずに来ているのだから、学校であったことも覚えているだろうと思い、先ほど自身の彼女から来ていた連絡について話そうと声をかけた。
「さっき、伊澄から連絡来たんだ」
「ん? とうとう振られた?」
なんだ知ってたのか、と思って生真は口を閉ざした。
すると、綾芽は何故か生真の方を二度見した。
「えっ……アレ、本当にそうだったんだ」
「なに、その反応?」
「さっき伊澄さんが、誰かは知らないけど男子生徒と同じ車に乗って帰ってのを見たから」
どうやら知っていたと言うより、生真の彼女が男子と一緒に帰る姿を確認したようだ。
そして、からかう材料として使ったつもりだったらしい。
残念ながら、本当に振られているのだが。
「……ずっと好きだった幼馴染みと再会した、って」
「へえ。ちょっと地味だけど顔は良かったかな。幼馴染みとか、風海じゃ勝ち目なさそう。どんまい。心を強く持たないと治る病気も治んないよ。体調戻っても彼女は戻って来ないけど」
果たして綾芽は慰めたいのか貶したいのか、生真には答えが見つかりそうもない。
「ま、そんなに落ち込まなくて良いんじゃないの。高嶺の花と偶然仲良くなっただけで身の丈に合ってなかった訳だから」
どうやら彼女に慰める気持ちは無いようだ。
生真が病気で弱っている所じゃなかったら、きっと嘲笑っていた事だろう。
「高嶺の花、って言うなら、君もだよ……」
「分かってるなら、入学式に来てくれた親と一緒に帰らないで、わざわざ買い物してから家までお見舞いに来てくれたその高嶺の花さんに、もう少しちゃんと感謝したら?」
言われて見れば、ちゃんと礼を言ってなかったかも知れない。
「ありがとう、日向。本当に……感謝してる」
「素直な風海って変、もっと捻くれてるでしょ」
それなら自分は一体どう振る舞うのが正解なのだろう、と愕然としていると、綾芽が側にあるテーブルにスプーンと碗を置いてくれた。
「……お粥、苦手なんだけど」
生真は作ってもらった上で言うのも申し訳ないと思った物の、一応口に出した。
「知ってる。ちゃんと食べやすい様にしたから」
何かで話したことがあったのだろうか、知られているとは思わなかった。もし話したことがあったとしてもよく覚えていた物だ。
重い体を起こして碗の中を見ると、ネギと鰹節が細かく刻まれて入った卵粥だった。
「……いただきます」
気乗りしないまま粥を口に運ぶと、白粥が苦手な生真でも食べやすい様に、味噌と鰹節で優しく味付けされていた。
「美味しい……」
「そ。ところで薬あるの?」
「……寝室に」
「部屋、私が入っても大丈夫?」
「見られて不味い物は、無い……かな」
「あっても見逃してあげるよ、流石に」
物言いは辛辣で普段と変わらない軽口を叩いている彼女だが、基本的に勤勉で誠実、それに現在の状況から分かる通り、とても面倒見が良い。
加えて運動神経が良くて頭も良い、俗に言う器用万能だ。
十代とは思えない抜群のスタイルはグラビアアイドルを想起させるほどで、ルックスもピカ一と来た。
さっき話していた様に、生真にとってはまさしく高嶺の花であり、偶然仲良くなって付き合っていた元彼女の伊澄栞奈と同じくらい、手の届かない相手の筈だった。
綾芽とは中学三年生の時に初めて同じクラスになり、最初の席替えで隣の席だった。
関わりはそれからで、気付いたら彼女の辛辣な物言いを身に受けながらも、受験勉強の世話になるまでになっていた。
ふと、薬を机に仕舞った事を言ってなかったな、と思って立ち上がろうとしたら、綾芽が思いの外早く戻って来た。
丁度食事を終えた生真の側に薬を置き、お粥を作っていた鍋の隣でずっと沸騰させていたお湯を、グラスに入れて持ってきた。
「白湯、まだ熱いから冷めたら薬飲んで」
わざわざカルキ抜きするなんてまめな奴だな、と思いながら見ていたら、彼女は空になった碗を片付けつつ、今度はリンゴやレモン、ハチミツなんかを容易してまた何か調理し始めた。
思えば綾芽と栞奈、どちらも偶然、奇跡的に手の届いてしまった高嶺の花だ。
こうして家に来てまで看病をしてくれるこの美少女も、高校生活でその内、さっき別れを告げてきた彼女の様に手の届かない所へと消えて行くのだろう。
ぼんやりと綾芽の後ろ姿を眺めていたら、彼女が呆れたような表情を生真に向けた。
「さっきから何? ずっと見られてると流石にやり辛いんだけど」
「……制服に、エプロンって、背徳感ある」
「何らしくない事言ってんの? 熱でもあるんじゃ……あるか、熱。そう言えば何度あるの? と言うか測った?」
「最後に……測った時は、38度4分」
「体温計部屋にあったよね。持ってくるからちょっと待ってて」
薬を取ってきた時に見つけていたのだろう、綾芽はすぐに体温計を持って来てくれたので、生真は大人しくそれを脇に挟んで熱を測る。
そうしている間、綾芽は何故か隣に座っていた。
音が鳴ったので体温計を確認すると、そこには「41.8℃」と表示がされていた。
「……体温計って、何度まで計れるんだろ」
「馬鹿。風海、馬鹿でしょあんた。背徳感がどうとか言ってる場合じゃないから。さっさと解熱剤飲んで寝なさい、こんな高熱初めて見たから」
容易して貰った白湯で処方された薬を用法通りに飲み、部屋に戻ろうとソファから立ち上がる。
すると、途端に視界が真っ白になった。
「────!」
不意に綾芽が何か言ったような気がしたが、そんな事より足に力が入らない。それに視界と頭がぼんやりしている。
さっさと部屋に戻って寝たほうが良さそうだ。
「……急に立ち上がんないでよ馬鹿、フラフラしてるんだから、落ち着くまでソファで休んでた方が良いって分かんないかな。ほら、毛布持ってくるから」
どうやら生真は気付かない内に倒れていたようだ。綾芽に手を貸してもらいながらソファに横になると、彼女は寝室から毛布を持ってきて生真に掛けてくれた。
クッションを枕代わりにして目を閉じると、不意に額に冷たい感触がぴたりと張り付いた。
「風海、枕こっち使って」
ふと、首元に手が伸びてきた。
頭を支えられた状態で交換された枕は、少しひんやりとしていた。どうやら氷枕にタオルを巻いて持ってきてくれた様だ。
気持ちがいい、柔軟剤の香りはいつも落ち着く。
眠気はないのに、意識が遠のいて行くのを感じた。
それに身を委ねる事に若干の恐怖を感じていたが、不意に感じた温もりのお陰で、生真はゆっくりと眠りにつくことが出来た。
「……別れるにしたって、タイミングってあるでしょ普通。自己中な女」
綾芽はソファで眠る生真の頭を優しい手つきで撫でながら、彼の部屋で見つけたスマートフォンで見てしまった、伊澄栞奈からの一方的な連絡を思い出してぽつりと呟いた。
評価できるのはせいぜい、他の男を追いかける為にちゃんと別れを告げた事だけ。それも常識的に考えれば当たり前の事だ。
だが、これから高校生活が始まるというタイミングで病気になって酷く沈んだ気持ちになっている事が容易に想像できる状態の彼氏に、直接会うことも無く淡白なチャットだけで別れた事や結局お見舞いには来なかった事は擁護出来ない。
顔を合わせづらいとか、幼馴染みとやらの親に誘われたからとか、来れなかった理由は様々あるのだろう。それならば後日に来て話をつけるとか、それでもよかった筈だ。
綾芽は中学で付き合っていた生真と伊澄栞奈の姿を見ていたから知っているが、生真はせいぜい可愛い彼女が出来て嬉しいと言った印象で、寧ろ栞奈の方が彼に夢中だった。
だからきっと、彼女は自分の気持ちが揺らがない内に別れようとしたのだろう。
本人的にはベストタイミング、と言うより、すぐに告げなければならなかったのだと思っている。
あくまでそれは、遠目に見ていた綾芽の憶測に過ぎないが。
だからこそ綾芽は「自己中な女」だと感じた訳だ。
生真と栞奈が付き合い始めたのだって、クラスの皆がいる教室内で昼休みにさり気なく栞奈が「私たち付き合ってみよっか?」と生真に向けて言ったのがきっかけだ。
その当時は三年生、ゴールデンウィークの前だった。綾芽も二人と同じクラス、そして生真と隣の席になってすぐの事だったので、そのやり取りを間近で見ていた。
数人で恋バナ的な事を話していた時に、唐突にそんな事を言われた生真は「俺で良いの?」と他のクラスメイトと同様に驚いていたが、栞奈は「風海君じゃ無かったら言わないよ」なんて、遠回しですら無い告白じみた返しをしていた。
クラスメイトのほぼ全員が見ていた中での事だったので、カップル成立の認知は一瞬だった。
今思えばそれはある種、栞奈の策略の様な物だったのだろう。
そこまでした相手を一年と経たずに自ら捨てるのは、覚悟だけでなく勢いが必要だったのかも知らない。
だとしても、綾芽は「自己中な女」だと言う評価を変えるつもりにはなれなかったが。
綾芽から見た生真は、普段は大人しい一匹狼気質の目立たない男子だった。
同じクラスになるまでは一切興味を持った事が無かった彼に目を惹かれたのは、運動部には居ないくせに、こと運動に置いては類を見ないほどに万能な姿を見た時だった。
長い前髪に隠れた少女のような顔立ちで、真剣な眼差しをしていた彼の姿に惹かれた女子生徒は、何も伊澄栞奈一人では無かっただろう。綾芽だって例外では無かった。
だが彼は勉強が苦手だ。
体を動かしている時は異様なほどに頭の回転が速いくせに、椅子に座って数式と向かい合うと酷く頭の回転が鈍る。
それでも生真は、栞奈と同じ高校に通う為にかなり上の偏差値の高校受験を目指し、同級生の綾芽に教えを請う事までして来た。
今度はそんな彼の一途さに惹かれて、思わず綾芽まで志望校を変えて同じ高校に受験した。
そうして無事に合格し、やっと迎えた入学式の日に、この始末だ。
これを「自己中」と言わずして、何というか。
結果、ただでさえ体調を崩していた生真は精神的なダメージのせいか、体調不良が酷く悪化している。
この調子では気分も体調も元に戻るまで、かなり時間がかかる事だろう。
「……伊澄さんもその幼馴染みも私も、風海と同じクラスなこと、今のうちに伝えた方が良いのかな」
病気が治ってから伝えたら、また気持ちを落とす事になるだろう。かと言って落ち切っている今伝えても、体調不良が長引きそうだ。
そんな悩みと共に生真の寝顔を覗き込んで、綾芽ははぁっ、と小さく息を吐いた。
「ちょっと落ち着いたら伝えるか。早い方が気持ちも整理できるだろうし、また悪化したら私が支えれば良いし」
生真を撫でながら再度呟き、ソファから立ち上がる。彼の柔らかな髪の感触に少し名残惜しさを覚えながらもキッチンに向かい、途中だったリンゴとレモンのコンポートを作る手を進めるのだった。
やっぱり、先のお話を想像したくなる様な短編が好きです。ラブコメっぽくはない気もしてるけど(笑)。
このお話が面白かったら、☆やコメント等をよろしくお願いします。人気あったら連載するかも、と言うのはいつも通りです。