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…大丈夫?

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「アンジュ、おはよう。今日は…いい天気だよ」


 部屋のカーテンを開け、窓の外を眺めて、彼にそう話しかける。

 俺の問いかけに返す声は聞こえない。


 アンジュは目をつむったまま、眠り続けている。

 だから俺は彼の手を握って、生きていることを確認し、何とか自分を保っている。

 彼が生きていれば、それだけでいい。

 でも…欲を言えば目を覚ましてほしいし………俺を、覚えていて欲しい。






 家族に話をした次の日、父と母は家に医師を呼び、アンジュの身体に栄養剤を注射した。飢餓状態だったアンジュの身体に、初めにするべきことはそれだった。

 俺はそこまで考えが回っておらず、二人の機転にとても感謝した。

 それから定期的に医師が来てくれるように、手配してくれた。

 入院させた方がいいのだろうが、アンジュのそばをひと時も離れたくないという俺の意志を、両親は汲んでくれた。





 俺は大学を休学した。

 いつ目を覚ますか分からないアンジュの元を、離れることができなかったから。少しでも目を離して、その隙にアンジュが消えてしまったら………よくない想像ばかりしてしまうのだ。

 そんな俺を見かねて、両親が休学の話を持ち掛けてくれた。





 毎朝、俺のベッドで眠るアンジュに話しかけ、一日中彼のそばにいる。

 本当にたまに、外の空気を吸いに、散歩に行く。

 そんな日々を繰り返すだけ。毎日同じことの繰り返し、とても長く感じた。








 半年が経ったころ、ミュエルがこちらにやってきた。


 ちょうど散歩をしに、外に出ている時だった。背後に彼が現れた。

 ただ以前のように俺に話しかけることはせず、ゆっくりと俺に近づくと、恐る恐る顔色をうかがってきた。ミュエラに何か言われたのかもしれない。


「…何?」


 彼の登場には、さほど驚かなかった。感情が死んでいるみたいだ。

 ミュエルが後ろにいたことも分かっていたのに、後ろを振り向くのが面倒くさくて、彼が近寄ってくるまでスルーしていたくらいだから。


「あ、いや、元気かなって」


 しどろもどろになりながら、彼はそう言った。

 それを俺に聞くのは、あまりに不躾だとも思ったが、ミュエルなりに考えた結果の言葉だったのだろう。少し、不器用な彼を可愛いと思ってしまった。


「普通…かな。………話?」


 俺はできるだけ普通に答えた。変に心配させるのも嫌だ。

 それに俺が落ち込んでいたって、アンジュが目覚めるわけではないから。


「ああ、うん。ちょっと話したいことがあって」


「分かった。あそこの公園でいい?」


 ミュエルがコクリと頷いたので、俺は歩を進めた。






「ルイたちがいなくなった後、僕たち四大天使が女神さまに呼び出されたんだ」


「四大天使?」


「あ、ああ。えっと…天使の中でも特に上位の四人のことで、僕と、ね…ミュエラと、あと二人いるんだけど」


 一生懸命説明してくれるミュエルをぼーっと眺める。そして続きを促す。


「…それで?」


「それで女神さまが、この世を去るって言って……」









**

『我は、この世を去る。この天界をそなたたちに任せたい』


『ど、どういうことですか。去るって…』


 僕の隣でミュエラがそう問う。戸惑っていた。

 僕も言葉の意味は分かったけれど、理解はできない。


『…我がいては、邪魔になるからだ』


『………』


 沈黙が流れる。


『全面戦争をしたこと、今更後悔しているなどとは言わないが、あれは間違っていたことだった。そして、それを実行したのは紛れもなく我だ。………この先、天界を変えるとして、そこに我がいてはダメだと、そういう結論に至った』


『それは…もう決まったことなのですか?』


 リエルがそう聞く。僕に対する態度とは、全然違っていて腹が立つ。

 いつも、あんなに馬鹿にした顔で僕を見ているくせに。

 リエルのいつもの顔を思い出して、一人勝手に腹を立てる。


『ああ、この決断が変わることはない』


『………』


『天界をどう変えるかは、そなたたち次第だ。我は何も口出ししないでいく。…………穏やかなのだ、今』


『……女神さま、僕は難しいことは分かりません。でも、女神さまがいなくなるのは…嫌です』


 僕は少し前に出て、女神さまにそう意見した。


 あの戦争が、いいものか悪いものかなんて、僕には分からないし、女神さまがルイを殺そうとしていたのも知ったうえで、そのうえで嫌だと思ってしまったのだ。

 だって、名前を与えてくれて、僕を必要としてくれたのは、女神さまだったから。

 ただ道具として使われていただけなのかもしれない。愛情なんてなかったのかもしれない。それでも…そう思ってしまうんだ。


『それは…ミュエルが何も知らない証拠だ。でも我は、そのままのそなたで…いて欲しいと願う』


 僕が何か言ったところで、女神さまの意志が変わらないとは分かっていた。でも伝えたかったのだ、これだけは。僕が、女神さまに忠誠を誓っていたこと。


『我の話したいことは済んだ。何もなかったら、この部屋から出てくれ』


 女神さまはそう言った。


 初めに、フィエルが一礼して静かに部屋を出て行った。

 相変わらず、無口なやつだと思った。呼び出されてから出るまで、結局一言も話さなかった彼を、恩知らずだと思った。


 そして、次にリエルが深く礼をして、部屋を出て行った。

 ミュエラは一歩前に出て、


『女神さま、僕はあなたに仕えて、ここに居れることが幸せでした。弟と…離れ離れにしないでくださってありがとうございます』


 と言った。


『よい。…ミュエラ、ミュエル………ここに、そなたらを蔑むものはいない。…どうか、仲良くな』


 僕とミュエラは深く長いお辞儀をして、女神さまに背中を向けた。












「それから、僕たち四大天使が、天使たちに事情を話してまとめていって……ていうか現在進行形でまとめてる。姉さんが中心になってくれてるから、僕が代わりにここに来たってわけ」


「そっか……」


 天界も大変そうなのが伺える。ただ、ミュエラは頭が冴えているから、時間がかかっても上手いことやっていけるだろうと思う。

 天界も悪くないものになるのではないか、という期待が俺の中に芽生えた。


「……それで、アンジュ…は…」


「眠ったまま、ずっと」


「………そう」


 俺の答えに横に視線をそらし、悔しそうに言った。


「あ、これ。姉さんに渡せって言われたやつ」


 ミュエルはそう言うと、呪文を唱えて、あるものを取り出した。


「……何?」


 俺は彼からそれを受け取り、表にしたり裏にしたりして一通り眺めた後、質問した。


「天界に唯一残ってた、悪魔の本…だって。女神さまの部屋を整理してる時に見つけて、何か役に立つかもしれないからって。…あともう一つは、アンジュの…昔の日記、らしい」


「っ!」


「二冊一緒に置いてあったから、女神さまがルイに渡したかったのもしれないって姉さんが言ってた」


 一冊は、魔導書のような分厚い本。茶色い表紙に、金色で魔法陣が描かれている。

 そして、もう一冊は薄めのノートだった。角がとれて決して綺麗だとは言えない。使い込まれたノートのように見えた。表紙には何も書かれていない。


「ありがとう。ミュエラにもお礼しておいて」


「うん。…大丈夫?」


 それは、何に対しての大丈夫なんだろう。アンジュのことについてだろうか。それなら…


「大丈夫、じゃないけど…大丈夫」


「?」


 俺の答えに、彼は首を傾げた。難しいことを言ってしまったかもしれない。


「大丈夫だよ。ミュエルも、頑張ってね」


 彼に気を遣わせないように、そう言った。


「おう」


 そうして、ミュエルは天界へと帰っていった。

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