アンジュ起きて
3
(暑い…)
部屋のベッドの上で、俺は汗だくになっている。
夏が近づき、うっすい布団に変えたはずなのだが、暑くて仕方がない。その理由は、俺の目の前で俺にしがみつき、すやすやと眠っている天使のせいだ。この天使が家に来てから五日ほどである。
あの日、俺はアンジュを連れて家に帰った。
天使だということは言わずに、でもなるべく包み隠さずに事情を話した。すると、母は予想通り快く受け入れてくれた。父も母の意見に賛同し、妹たちは案の定アンジュの美貌に釘付けになっていた。
こうして、あっさりとアンジュは俺の家で住むことが決まった。だが俺の家に余っている部屋はなく、アンジュは俺の部屋で過ごすことになった。
当然ベッドも一つしかないので一緒に寝ているのだが、アンジュは寝相が悪いのか、しょちゅう俺の身体にしがみついてくる。まるで俺を抱き枕のように使うので、暑くてしょうがない。意外と力が強くて、簡単には抜け出せないし、困ったものだ。
「ん……ルイ…?」
俺がモゾモゾしていたのに気づいて、アンジュが目を覚ます。それと同時に俺にしがみついていた手が少しだけ緩くなる。
「おはよ。あのさ…ちょっと離れてもらってもいい?」
優しい口調で言ってアンジュの頭を撫でたが、アンジュは
「んんん……まだ寝るぅ」
そう言って、俺を引き寄せ、再び寝息を立て始めてしまった。
(どうしたもんか…)
数日前から長期休みに入っているので、二度寝をするのはいいのだが、綺麗な寝顔をこんなに近くで見ているとさすがに照れてくる。この美形には時間が経っても慣れそうにない。
「お兄―!アンジュさーん!起きてー!」
激しい足音と共に、部屋の扉を開けたのは俺の可愛い妹、ルカだ。それと同時に部屋の明かりがつく。ルカの後ろには申し訳なさそうな、もう一人の妹、ルナもいる。二人とも、今日も安定に可愛い。
「んんん~」
妹たちの声と、突然部屋が明るくなったことに、アンジュは顔を歪ませた。
「ルカ、ルナ、どうした?」
俺はアンジュに服を掴まれながら上半身を起こし、二人に優しく微笑みかけた。
「一緒に買い物でもどうかな~って!お兄も休みに入って暇でしょ?」
「あー俺はもちろんいいけど…」
そう言って俺は視線を落とした。俺はいいけど、問題はアンジュだ。アンジュは毎日この調子で、とにかく朝に弱い。今を朝と呼んでいいのか、微妙なほどの時間帯だが。
寝起きのアンジュは可愛いけれど、ぽわぽわしているので、すぐに出かけるのは難しいだろう。
「アンジュさん、まだ寝たいかな…」
アンジュの様子にルカが残念そうに顔を曇らせたのを見て、俺の決意は固まった。
(妹のために、何としてでもアンジュを起こす!)
「アンジュ、おーい、アンジュ起きて」
俺の服にしがみついたアンジュの身体を揺さぶる。部屋の明かりもついているというのに、この短時間にもう夢の中だ。全く起きないというわけではなく、一応音や声に反応はするのだが、そこから再び眠るスピードが尋常じゃなく早い。
お昼ご飯の時間になってやっと起きて、ぽわぽわしながらご飯を食べているうちにだんだん目が覚めていくという具合だ。
それに加えて、俺の服を離さないので俺もそれに付き合わされる。今までは好きなだけ寝かせてきたが、今日はそういうわけにもいかない。
「アンジュ!出かけるよ!」
「ん~んふふ」
アンジュは俺の声に反応して、腕を腰に回してくる。が、起き上がる気配はない。
「ちょっ、アンジュ…」
「ルカ、もう二人で行こう?」
「ん、そうだね。お兄、アンジュさんも邪魔しちゃってごめんね~」
「え、あ、ちょっ、ルカ、ルナ!」
俺が伸ばした手は空中で行き場をなくした。部屋の明かりが消され、扉が静かに閉じられる。
(俺としたことが…)
可愛い妹のお願いを叶えられないなんて、兄として情けない。それもこれも、アンジュが朝に弱すぎるせいだ。眠っているアンジュを睨みつけたが、幸せそうな寝顔を見てすぐにやめた。
「…僕は天使だから仕方ないだろ」
午後、お昼ご飯を食べ終え、目が覚めてきたアンジュに今日のことを伝えた。もう少し早く起きられないかと説得しようとするも、謎の言い訳をされてしまう。
「いやいや…」
俺は手を横に振って苦笑いをした。いくら天使だからとは言え、何でも許されるわけないだろう。
「ルイも、学校とやらは休みなんだろう?別に早く起きなくてもいいじゃないか」
寝ている時は天使のようにも見えるなんて思った自分が馬鹿だった。今、目の前にいるのは、間違いなく天使の皮を被った悪魔だ。
「おい、今何か失礼なことを考えただろう」
アンジュが俺をじっとりとした目で見つめてくる。俺は心を読まれた気がして、心臓が跳ねた。
「いや~別に」
「言っておくが、天使は目を見れば相手が何を考えているのか分かるんだからな」
「えっっっ⁉」
俺が心の底から大きな声で叫ぶと、アンジュは目を見開いて吹き出した。そのまましばらくの間爆笑した後、笑いすぎて出た涙を指で拭いながら
「まあ、嘘だけどな(笑)」
と言った。
(馬鹿にされた……)
「………ゃダメか?」
恥ずかしさで赤くなった顔で遠くを睨んでいると、アンジュがぼそっと言った。
「え……?」
アンジュを見ると、先ほどの態度とは打って変わって、下を俯いていた。サイズの大きい、俺の白いTシャツからアンジュの鎖骨が覗く。不覚にも心臓が速く脈打つ。
(いやいや、落ち着け、俺)
変に高鳴った俺の心臓を必死に落ち着けていると、
「……早く、起きなきゃ、だめか……?」
俺の心臓とは裏腹に、心なしか震えた声でアンジュが言った言葉は、今度ははっきりと耳に届いた。何やらとても深刻な様子だ。そんなに追い詰めるようなことを言っただろうか。もしかして、妹たちを思うばかりに少しきつい言い方をしてしまったかもしれない。
「あ、あーいや、別に無理して早く起きる必要はないというか、何というか……」
視線を泳がしながら言うと、アンジュが顔を上げた。いつものアンジュとは別人のような、儚げな、悲しそうな眼と俺の視線がぶつかった。
「ま、まあ?ルイに許可を取らずとも、当然のことだな。これからも遠慮なく寝かせてもらうからな」
一瞬だけ見えたその表情はすぐに消え、いつも通りのアンジュの表情で再び偉そうな口をたたき出した。
だから俺はその瞬間だけ夢を見ていたんじゃないか、幻だったんじゃないかと思い、深くは考えなかった。




