嫌なこと、忘れるくらい…さ
20
出来損ない。
口を開くたびにそう言われた。
ああ、僕は出来損ないなんだ…
(お腹空いた……)
床に寝転がった身体を少しだけ動かす。どれくらいご飯を食べていないだろう。確か、この前来たのが一週間前とかだったような…
この狭い部屋に、僕はずっといる。自分が今何歳なのかも、よく分かっていない。
部屋にはほとんど物が置かれていない。毎日暇で、溶けてしまいそうだ。でも、僕はここにいなければいけない。
動きたいけど、空腹のせいで力が思うように入らない。
毎日寝ているはずなのに、寝ている感じがしない。
前は一日に一回は帰ってきてくれていたのに…最近はどんどん帰ってくる回数が減っている気がする。
遠のく意識の中で、そんなことを考えていたら、玄関のドアが開いた。
「っ!!」
「……アルノ?」
足音と声が近づいてくる。僕は重い身体を起こして、彼女を見る。
「おかえりなさい、お母さん」
「ただいま、アルノ」
彼女は僕のお母さん。僕のためにいっぱい働いているから、中々家に帰ってこれないらしい。
寂しいときもあるけれど、お母さんは僕のために頑張ってくれているから、そんなこと言えるわけがない。
「ごめんね、遅くなって」
「ううん全然!」
「…お外には出ていない? いい子にしてた?」
「もちろん! ……でもどうしてお外に出てはいけないの?」
僕の答えに彼女は微笑みながら頭を撫でてくれる。
「いつも言っているでしょ、誰にも見せたくないからよ。私の可愛い子」
お母さんはいつもそう言う。外が気にならないわけではないけれど、こうやってお母さんが会いに来てくれるなら悪くないか。
「じゃあ、はいこれ。ご飯ね。お母さん、またすぐに行かないといけないからいい子にしてるのよ。誰かピンポンしても絶対開けちゃダメ、お外も出ちゃダメよ」
これもいつも言われることだ。
「分かってるよ、お母さん。お仕事頑張ってね」
「ええ…………ねえアルノ、あれ何?」
(あ、やばい)
さっきまで笑顔だったお母さんが急に真顔になる。
「どうして、窓の鍵が開いているの?」
夜、こっそり星を見ようとベランダに出たのだが、窓の鍵を閉め忘れていたようだ。
「これ、は……その……」
自然と声が上ずる。思ったように言葉が出てこない。
「お外には出てないって、お母さんに嘘ついたの?」
「ご、ごめんなさいごめんなさい」
ため息をついた彼女に、全身恐怖が走る。僕はひたすらに謝った。
でも、遅かった。彼女は手を振り上げ、次の瞬間僕の頬に痛みが走る。目から勝手に涙が溢れ、震える身体を必死に抑えた。
お母さんが怒ったのはこれが初めてではないけれど、何度怒られてもこの恐怖には慣れそうにない。
「アルノ、本当にダメな子ね。あなたは出来損ないなんだから、お外には出ちゃダメだってあれほど言っているのに! ………もういいわ」
「ごめ、ごめんなさい。お母さん、ごめんなさい。許してください」
愛想をつかされると思った僕は、必死に彼女に縋りついた。そんな僕を冷たい目で振り払い、彼女は玄関の扉を開けると、何も言わずに出て行った。
僕はすぐに窓の鍵を閉め、カーテンを閉めた。静かになった部屋で、僕は呆然とする。
怒らせて、しまった。僕にはお母さんしかいないのに。
ダメで、出来損ないの僕を愛してくれるのは、褒めてくれるのは彼女しかいないのに…。
(謝らないと…)
次、会いに来てくれた時、謝らなければ。お母さんが許してくれるまで何度も。
次の日、お母さんは来なかった。彼女が持って来てくれたご飯を少し食べた。
その次の日、今日もお母さんは来なかった。昨日残しておいた分を食べた。
三日後、今日もお母さんは来なかった。もう窓、開けないから帰ってきて…
四日後、今日もお母さんは来なかった。ご飯、もう少しでなくなりそう。
五日後、今日もお母さんは来なかった。まだ怒ってるのかな、それともお仕事忙しい?
六日後、今日もお母さんは来なかった。ご飯、なくなった。
七日後、今日もお母さんは来なかった。お母さん、お腹空いた。寂しいよ。
もう何日経ったのか忘れてしまった。お母さんは今日も来ない。もう…ずっと来ないのかもしれない。
……お母さん、会いたい。ごめんなさい、ちゃんということ聞くから…
「アンジュ」
ルイの声、とても優しくて安心する。目を開けると、心配そうに僕を見るルイがいた。
今日は休日だ。僕もルイも家にいる日。だから、油断して寝すぎた。
「大丈夫? うなされてたよ」
身体を起こすと、汗をびっしょりとかいていた。鼓動も激しい気がする。
ルイが僕の頭を撫でると、次第に呼吸が落ち着いていく。
「嫌な…夢、見た気がする」
夢の内容は思い出せない、でもそんな気がした。
「そっか……」
僕の頭の片隅に、何かしまわれているものがある気がする。何かは分からないけれど、思い出すべき、思い出したくない何か…
「じゃあ、今日はたくさん遊ぼう?」
「………」
「嫌なこと、忘れるくらい…さ」
ルイが微笑んだ。ああ、この笑顔が好きだ。心があたたかくなる。
僕を出来損ないなんかじゃないと言ってくれた彼を、僕は信じたい。
まだ信じることしかできないけれど…いつか、僕が僕自身を認めてあげられる日が来たなら、その時は…僕はルイに気持ちを伝えたい。
ルイがどんな姿であろうと。
彼が悪魔で、僕と対立する立場であろうとも…




