今…幸せ?
19
ミエラが倒れた。
原因が分からず、とても苦しそうに悶えていて、僕はすぐに病院へ駆け込んだ。でも、まともに取り合ってはくれなかった。それは、僕たちにお金がないから…
僕は仕事の合間に病院をまわり、頭を下げた。下げて、下げて、下げて…けれど、どこも反応は同じ。
だから、僕はお金を貯めることにした。
ミエラの食事代、その残りを全て医療費の貯金に回した。少しずつ貯めていけば、きっと良くなる、日に日に弱っていくミエラに焦りを感じつつ、そう自分に言い聞かせた。
奇跡を、信じた。でも起こらなかった。
どこも相手にしてくれない、ミエラの症状も悪くなるばかり。
「はい、これ今日の」
横たわるミエラに食事を差し出す。本当は付きっきりで彼女についていたい。でもそれではダメだ。働かなければ、望むものは何も手に入らない。
「……ミエル、ちゃんと休んでる?僕のことはいいから、寝てよ」
「姉さんが、そんな心配すんな」
「…でも、まともにご飯食べてないでしょ?」
「食べてるっつーの!」
そう言ったと同時に僕のお腹が大きく鳴る。タイミングも格好も悪すぎるし、恥ずかしい。
「ふふ、ごめんねぇ」
微かに笑った彼女だが、ずっと辛そうにしている。見ていられないくらい苦しそうだ。
「謝るなら、早く治せよそれ」
「………うん」
そんな日々が少し続き、その日もいつも通り仕事をしていた。
その時、僕の仕事場に一人の男が駆け込んできた。
見覚えのある顔。それは、同じように路地で暮らしていた男だった。別に僕はそれほど交流があるわけではないが、彼女は社交的だったから同じ境遇の人たちと仲良くしていた。
「おい! ミエラちゃんがっ!」
男の表情とその一言で、全てを察した。嫌な予感が全身を駆け巡る。
(そんなはず…ない)
仕事場の偉い男が怒号と共にこちらに来るのも無視して、僕は走り出していた。
走りながら息が上がっているのは、鼓動が速いのは、きっと疲れのせいだ。
そうだ、大丈夫。……大丈夫、大丈夫。
「ミエラ!」
僕が駆け込んだ先に、いつもと同じように横たわる彼女がいた。周りには、彼女が仲良くしていたであろう男たちが心配そうに、遠巻きに見ている。
僕はすぐに駆け寄り、彼女の手を握る。
「ミエラ、聞こえるか?」
普段、僕が話しかけると、苦しそうにしながらもすぐに目を開けていたのに、今日は中々開かない。朝はいつも通りに見えたのに…。
(嘘、嘘だ)
変な汗が僕の背中を伝っていく。ミエラは苦しそうにはぁはぁ言っていて、それで彼女がまだ生きているということに安堵できる。
「………ミ、エル」
微かに目を開き、こちらに顔が向く。息も絶え絶え、苦しそうに彼女が声を絞り出している。
「っ! ミエラ!」
「ね、えさん…で、しょ…?」
「……姉さん、今から病院行こう。お金、少しだけど貯まってるんだ」
僕はポケットに忍ばせていたそれを握りしめ、彼女に見せる。しかし、彼女はそれを制した。
「だ、めだよ……もう…」
ミエラが少しだけ微笑む。
「ま、待ってよ、そんなこと言わないで」
「ど…して、こん、なめに…あう…んだろ、ね。……なに、かわるい…こと、した、のかなぁ…」
そう話すミエラは、今にも息絶えそうで…
胸が、張り裂けそうだ。
「ねえ、どうしたらいい?僕……」
握った手に力を込めても、それに応じたものが返ってこない。
僕の問いも聞こえなかったのか、ミエラは弱弱しく腕を上げると、僕の頬に自分の手を当てた。
「ね…ら、いせでは…しあわ、せ……」
そこで言葉は止まり、彼女の瞳は閉じられた。
後ろで男たちのすすり泣く声が聞こえてくる。
(……は?)
まだ、まだだ。
僕は立ち上がり、街へ飛び出すと、自分が持っている限りの大きな声で叫んだ。
「誰か! 誰か助けてください! 誰か! 僕の…姉さんを……」
僕の大声に、横目で通り過ぎていく人たち。くすくすと笑いを漏らす人もいる。
(誰か……)
誰も、見ていない。見ているのに、手を…差し伸べない。
「あの、お願いします! 助けてください!」
「チッ汚ねーな、触んなよ」
僕が必死に縋りついた男も、舌打ちをして僕を突き飛ばした。
突き飛ばされた僕は、地面を見つめて握りこぶしを作る。
どうして…僕たちが一体何をしたっていうんだ。こんな目にばかり…
絶望を抱いて路地に戻ると、動かないままのミエラがいた。
目を逸らしたい。現実を…受け止めたくない。
僕たちは幸せになるために生まれてきたはずなのに、なぜあいつらと僕らでこんなにも差が生まれてしまうんだ。
嫌い…人間なんて大嫌いだ。みんな、死んでしまえばいいのに。
**
「ミュエル、起きて」
檻の中で気持ちよさそうに眠る彼に声をかける。
「………あ? ミュエラ?」
僕の声に反応して、瞳がゆっくりと開いていく。綺麗な、ルビーの瞳。僕とおそろいだ。
「こら、姉さんと言いなさいよ」
「僕ら双子なんだから、大して変わんないだろ」
「はぁ、反省のために入れられてるのに、呑気に寝ちゃってさ」
「だって……暇だし」
「………」
「何?」
「いや、僕らって…死んだときの姿そのままなんだろう? それって、僕とミュエルが同じ時期に死んだってことかなって思って」
今日、彼に天使のことをペラペラと話したせいで、余計な疑問が頭をよぎった。
「…どうでもいいね、人間の時のことなんて。ま、この美しい顔面だからチヤホヤされていたんだろうな」
チヤホヤされていたなら、どうして僕らはこんな若くして亡くなったんだろう。まあ、理由は様々あるだろうけれど。
僕の双子の弟らしいミュエルは、少々知能が劣っている。決して見下しているのではない、そこが彼の可愛い所でもある。
「それもそうか」
「ていうか、行ったんだろ。どうだった、153は…」
153のことを見下しているのに、気にはなっているようだ。その見下しているというのも、優秀じゃないのに女神に気に入られているという、ただの嫉妬なのだが。
「153には会ってないんだ、その代わりあの子に会ったよ」
「……悪魔か」
「うん」
「…どう、思った?」
「んーいい子だなって。153が好きになるのも分かるかな。ま、僕らのことはとても嫌っているみたいだけど」
「…悪魔なんかにどう思われようが知ったこっちゃないね。僕は僕の役割を全うするまでだ」
「そうだね、可愛いねぇ僕の弟は」
純粋な彼が可愛くて仕方ない。これも人間の頃の気持ちが少し残っているからだろう。檻の隙間に手を入れてミュエルの頭を撫でると、彼は恥ずかしそうに顔を赤くした。
「姉さんっ! 子ども扱いすんな!」
その言葉に、何かが重なった。それは、今より少し幼くなったミュエルのような…
「……ミュエル、今…幸せ?」
なぜかそんな言葉が口から出ていた。本当に自然と。
どうしてその言葉が出たのか分からないが、胸の辺りがあたたかい。
「は…? …………まあ、誰かのおかげで退屈はしないね」
ミュエルは不思議そうにしながらも、少しの間静かに考えこみ、そう言った。
「その誰かって、もしかして僕のことぉ?」
「う、うるせー」
本当に僕の弟は可愛い。
大丈夫だよ、今度こそ僕が守ってあげるからね。




