ぼくは戦争を知らない⑪
「いい天気になって良かったですね、先生」
「そうだな。おい、走るな」
八月のはじめ、夏休みの真ん中に、ぼくは先生にお願いして、先生のおじいさんのいる老人ホームに向かった。
六月にあの体験をしてから、先生は戦争についてぼくにたくさん教えてくれた。
七月には広島にも行った。
第八部隊のあった、舞鶴にも行ってきた。
「着いたぞ」
「へー、キレイなところなんですね」
老人ホームというよりは、ホテルのような外観だ。
ぼくは先生の後ろについていった。
「じーさん、入るぞ」
先生がノックとともに声をかけて、ドアを開けた。
部屋の中、畳の上に座ったおじいさんがゆっくりと振り返る。
「元気そうでよかった。じーさん、これ好きだよな。食べるだろう?」
先生は、おじいさんの前にあんパンを置いた。
「今日は、俺の教え子を連れて来たんだ。紹介するよ。羽咲可南っていうんだ」
おじいさんは表情を変えない。
確か、認知症を患っているって聞いたっけ。
「はじめまして、羽咲可南です」
挨拶すると、ぼくの声に反応したのか、彼がぼくの方に手を伸ばした。
「?」
握手を求められると思って、右手を差し出したのに細い腕にいきなり抱き締められた。
「うわ!」
「じーさん!なにしてんだ!」
「…生きていたのか…」
耳元に掠れた声が届く。
「え?」
「じーさん!」
先生はおじいさんをぼくから離そうとしている。
「先生、もしかして…この人」
「なんだ?」
その問いには答えず、ぼくはおじいさんに問いかけた。
「聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
声がさっきより、しっかりしている気がする。
「隊長殿は、自分の命と、国のための戦争…どちらを選ぶんですか?」
先生が目を見張った。
おじいさんは、抱き締めていたぼくの体を解放し、正面からぼくを見た。
「意味のない戦争をして、国民を惑わせている、国の政治を正したかった…」
「やっぱり隊長だ!」
「矢草可南だろう?おまえ」
「生きていたんですね!」
先生はやっと納得したように頷いている。
「じーさんだったのか」
「いや、しかし。あれからもう七十年以上は経っている。あのときの兄弟が今、こんな姿でいるはずがない」
隊長はぼくを見て首を振った。
「ぼくらは、戦争を今の時代に伝えるために、あの時代に行ったんだと思います。戦後七十九年を過ぎて、日本はまた変わって来てしまったから…」
「そうか、これで安心して…私も死ねるな」
「え?」
彼はぼくらが知っている隊長の顔をしていた。
「基地に残してきた、お前達兄弟のことを気にして生きてきた。妻も随分前に旅だったし、そろそろ若い者に、この座を譲ってもいいだろう」
「じーさん…」
隊長は先生の顔をじっと見て言う。
「すまんな。孫のお前のことはほとんど覚えていない。いつ頃からか、記憶が曖昧になりだしてな…」
「教えてください。あの後、隊長はどうやって生き延びたんですか?」
彼は目を閉じた。
遠い昔のことを思い出しているのだろう。
「あの日、あの地から飛び立った戦友や部下たちは、大空の花と散った。私自身も知らない土地に落ち、今の妻となる女性に助けられたのだ。あの戦争で、生きて帰るということは、当時とても恥ずべきことだった。吉田の姓を捨てて、矢草キヨ子と所帯をもった。彼女は何もかもを受け入れて、私と夫婦になってくれた」
「…生き延びることは、恥ずかしいことなんですか?」
ぼくは先生を見た。
「あの時代はそうだったのだよ。戦に行って、国のために死なずに、生きていることが犯罪だったのだ」
隊長が代わりに返事をしてくれる。
「そんな…」
「昔の話だ…。そんな彼女が旅立って、もう随分なる。私もそろそろキヨ子の元に行こうと思うよ」
彼は寂しそうに笑った。
「幸せになれよ、大空。そして可南」
「…下の名前で呼ばれると、恥ずかしいです…」
「はっはっは」
彼はあの日のように笑った。
たぶん、心から笑ってくれたんだと思う。




