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玄洋アヴァンチュリエ  作者: 天津 石
6/12

Ⅵ 細小波 イサラナミ


 夢を見た。

 不思議な夢だ。木々が茂り、柔らかい日が差す小道を歩く。暖かかった。

 小道の先に見えるのは、おぼろげな人影。おそらく女性であるそれは、こちらをちらりとり返ると、優しい口元で微笑んだ.。

 でもその人影はあっという間に霧に覆われて、今度はその霧が、視界を埋め尽くすのだった。

 ざり、という足音で、はっと目が覚める。

 真夏のじりじりとした熱気が湿った風に運ばれてきて、ふわりと頬を撫でた。

「無事か、君たち」

 神職だろうか。白装束の老人が、腰をかがめて呼びかけた。

「は、はい。でも、この子が!」

 暁はぐったりとしたまま、目を覚ます気配が無かった。

「女か――!」

 神職の男は一瞬、歯を食いしばるような素振りを見せたが、小さくため息を漏らすと、

「まあしょうがない、歩けるか?付いてきなさい」

 神職の男にうなずくと、暁の肩を担ぎ立ち上がる。暁は依然、気を失ったままだ。

 暁を背負い、石室を出ると、眼前には開けた参道と、見下ろす海が広がっていた。

「あれ……?」

 違和感を覚えるのに、時間はかからなかった。昨日、上陸してから目にした不気味な頭骨の柱や、骨がくくられたしめ縄は見当たらない。視界も開けているし、島の桟橋だって、すぐそこじゃないか……! 

「あの……!」

 思い切って発した声に、男が振り返った。

「港までって、こんな短い道のりでしたっけ?骨の柱や、長い参道も見当たらない」

 そう呟いた声に、神職の老人は細い目を見開いた。

「お主――」

 踵を返し、表情を強張らせた神職の手が、顔に伸びた。

 その親指が、僕の頬に触れる。ごつごつとした指だった。

 その老人は慎重に、目尻の下をゆっくりと引っ張って、男は僕の目を覗き込んだ。

「もしや見たな、黄泉を」

「ヨミって、どういう」

「穢れた身で島に上がれば、タキリヒメ様へ通ずる道は閉ざされる。参道は現し世ではなく黄泉へと続く道となるのだ。しかしまあ、黄泉帰りが叶うとは、お主も神に気に入られたな」

 神妙な面持ちから一転、神職は穏やかに笑った。だがそれからもう一度眉をひそめ、

「よいか、この島であったことは絶対に口外してはならんぞ。神隠しに遭いたくなければな」

 釘をさすように、静かに言った。

「……はい」

 応えるように、しっかりと返事をする。

 背負っていた暁を、乗せられた船の簡易ベッドに横たわらせる。暁の苦しそうな表情が、心を痛めた。

 船上で神職の老人に促され、御神体の島に向けて礼拝を行った。

 二拝二拍手一拝。願うのは当然、暁の無事だった。

「暁、しっかりしてくれ……!」

 海面を滑る船の上で、力なく呟いた。あのとき、暁を連れ戻していれば良かった。

神職の老人も少し振り返ったが、きまりが悪そうにまた前を向いていた。

「ともかく、病院へ急ぐぞ」

 船は進む。

 陸へ向かう船に乗る時間はとても長く感じたが、船を降りてからは対照的に一瞬の出来事のように感じられた。

 港で待機していた救急車に同乗し、サイレンの響く車内で暁の手を握り続けた。

「傷口に感染症の症状が見られましたが消毒により悪化の心配は無いです。念のため全身検査も行いましたが骨や臓器にも異常はなく、命に別状はありません」

 病院で処置を行った医師の報告に、ようやく安堵した。

「ただ、心拍数は少し落ちていますので絶対安静に。極度の疲労が見受けられますから、点滴を打ちながら数日間様子を見ましょう」

 重々しい表情で、隣で話を聞く佐一郎も頷いた。佐一郎からは、医者に暁の処置を行ってもらっている間にえらく大きな雷を落とされた。それも当然だ。自分の娘を危険な状態にしたのは彼女を止められなかった僕の責任だ。

「まあ、元はと言やあしっかり見ちゃれなかった俺がいけんちゃけん」

 何も言えず、ただ頭を下げる僕に、佐一郎も少し気まずそうだった。

「二人とも無事に戻ってきたんやし、これ以上言うこともあらんめえ」

 その言葉に救われた。それでも、暁が目覚めたら、しっかりと謝ろう。そう決意した。

 医師が言うには、暁への面会が叶うのは明日以降、とのことらしい。

 佐一郎の運転するピックアップトラックの助手席に座りながら、少し後ろめたい気にもなっていた。

 沖ノ島での出来事は口外することが許されていない。神職の老人――名を宇慶と言うらしい――の協力もあり、「沖ノ島をもっとよく見ようと船上から身を乗り出した暁が転落し、それを助けるために飛び込んだ僕も二人合わせて遭難し、海面に突き出た岩の上で荒波をしのいでいるところを神職の宇慶によって発見され、救出された」ということになっているらしい。

「よく暁ば守ってくれたな。ほんにありがとう」

 ハンドルを握りながら、佐一郎は芯の通った声で言った。

「ごめんなさい」ともう一度謝る僕に、「もう気にしなさんな」とかけてくれた声が、本当にありがたかった。

「疲れとーやろうけん、しばらく仕事は休みんしゃい。しっかり休んで、疲れば取っとくんも立派な仕事や」

 と佐一郎は笑う。

「……わかりました。でも!」

 顔を上げ、佐一郎の方を見る。

「暁の見舞いには、毎日行かせてください。それだけは、絶対にしたいんです」

 佐一郎は一瞬驚いたような顔をしたが、

「ああ、そん方がきっと、暁も喜ぶやろう」

 佐一郎は優しくほほえみながらそう言った。

 その日の夜は、テイクアウトしたファストフードを景子さん含めた三人で食べる、簡易的なものだった。疲れてしぼんだ身体にジャンクなハンバーガーやフライドチキン、そしてポテトがなんだか妙に染みて、食べているときに思わず涙が出た。

 寝室として間借りしている僕の部屋の隣、暁の部屋をおもむろに覗いてみた。あの時から変わらない部屋だ。本棚の隙間に依然挟まる地図をおもむろに眺める。

 彼女は、この地図を見て何を思ったのだろう。暁が目覚めたら、何と言うのだろう。

 もう一度宝島に行くと言うのだろうか。あそこまで意志を固めていた理由だけが分からなくて、少し悔しかった。

 次の日も、その次の日も、暁は目覚めなかった。通りかかった看護師さんに話を聞いてみるが、容態は安定しているのですぐに目覚めてもおかしくないのだという。

 何か、僕にできることは無いだろうか。今日もそんなことを考えながらバスに乗り込んだが、特に何か思いついたりすることはなかった。

「暁……」

 空は晴れていたが、今日は比較的乾燥していて、日差しが遮られている病室内では風が吹けば涼しささえ感じられた。

 本当に、ただ眠っているだけと言われれば信じてしまいそうなほど、暁は無垢な表情で寝息を立てていた。

 沖ノ島では、暁を止めるべきだった。嫌われたとしても、社務所にとどめておけばよかったかも知れない。

 責任も感じはするが、それよりも。

 暁に想いを伝えることが出来なかった。それが悔いとなっている。そしていま、暁の無事よりも自分のことを考える自分が、嫌だった。

 扉の方を振り返る。患者一人だけを収容できるこの個室は狭いながらも比較的、ゆったりとしていた。

 暁は口を開けばキツい口調で可愛げが無いが、黙っていれば間違いなく美人。

 それだけでなく、普段の傍若無人な印象に反して無垢に寝息を立てる幼い表情には、背徳感すら感じてしまうほどだった。

 もう一度扉の方へ振り返っては向き直し、暁の胸元から掛け布団を剥がす。

 細い首筋、華奢な肩、汗がにじむ少し開いた胸元、膨らみかけた胸。

 汗ばんでぴったりと貼り付いた患者衣が暁の身体の凹凸を忠実になぞっており、少女の甘い体臭がつんと鼻腔を刺激した。

 もう少しだけ、暁を近くで感じたい。心臓がバクバクと高鳴るのを感じる。そう思いながら、暁の胸元へ顔を近づけた。直後。

「今なら何しても起きないね」

 耳元で囁く少女の声があった。

「うわああっ!」

 思わず椅子から転げ落ちる。がしゃんと倒れた椅子。備品の棚に思い切り頭をぶつけ、大きな音が病室に響く。

 刹那、病室は強く吹き込んだ風の音をもたらして、再び静寂へと落ち着いた。

 ぶつけた頭を押さえながら顔を上げる。そこには。

 制服に身を包んで微笑む、暁の姿があった。

 制服だと?思わずベッドを見返す。

 そこには抜け殻のように置かれた患者衣が、ベッドにそのまま置かれていた。

 その少女は笑みを浮かべたまま、不思議そうに首を傾げてこちらを見ていた。

「暁、なのか?」

 彼女は何も言わず、にっこりと笑う。そこで確信した。こいつは暁ではない!

「君は誰だ!暁に何をした!」

 バクバクと高鳴る心臓を抑え込み、声を震わせて叫んだ。

「失礼だなあ。私、これでも一応、神なんだけど」

「神、だと……?」

 もう一度、病室に風が吹き込んだ。

「暁ちゃん、すごい怪我だったよね。死んじゃうところだったよ」

 今度は声が後ろから響く。振り向いて彼女の姿を捉えたかと思えば、それはたちまち霧のように溶けて見えなくなった。

「君からの願い、しっかり届いてたよ。凪くん」

 耳元で実体のない少女が囁く。

「君は、もしかして……」

「そう。みんな私のことをこう呼んでいる」

 霧より現れた少女は虹彩を妖しく光らせながら、口角を吊り上げてこう言った。

「タキリヒメ」


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