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第6話 アッシュバーン伯の逗留

 季節が進み、ブラックウッド領主邸の庭では夏の花が満開になっていた。

 昨夜から、領主邸にはギルバートの父であるアッシュバーン伯が十名ほどの護衛や使用人を連れ逗留(とうりゅう)している。


 初めて会ったアッシュバーン伯はギルバートより一回り小さいが、それでもステラに比べて十分に大きい。

 くすんだ金髪や小さめの目はギルバートに似ているが、割れた顎や太い鼻といった似ていない部分も多い。

 ステラはギルバートの面立ちが母親ゆずりなことに安堵した。


「ゴホッ、喉が焼けるようだ! おのれ毒かっ!?」


 アッシュバーン伯がブラックウッドで新しく造った酒を豪快に吹いて咳き込む。


「伯爵様、これは新しい製法で麦から造った蒸留酒です。

 従来のものより酒精が強いので、少しずつ飲むか、こちらの水で薄めて下さいませ。

 熟成が進んでいないのでまだ味や香りが馴染んでいないのですが、この野趣(やしゅ)を好む方もおります」


 毒ではないとステラが自分でも少し舐める。


「なるほどそういうものか。どれ、あらためて」


「ですからそんなに()のままグビグビと飲むものではないのです……」


「くぅ……喉や胃に落ちる熱も、鼻を抜ける香りもこれまでにないものだ。

 何年か寝かせれば角がとれ、また別の旨さが出てくるのだろう。

 気に入った!

 これは購入できるほど数はあるのだろうか? できればこれから醸造するものも予約したいのだが」


 伯爵が後ろに控える年嵩の男性に目で合図を送る。

 アッシュバーン領主邸の執事だというその男性は、承知しましたとばかりに恭しく頭を下げた。

 あとは彼と取引の詳細を詰めればよいだろう。

 うわばみであるギルバートの実家なら、今後の太客となってくれる可能性が高い。

 幸先のよさにステラはニヤリとした。


「お口にあったなら良かったで――」


 アッシュバーン伯に肩を叩かれ、ステラは少し身長が縮んだ気がした。


「父上、妻に乱暴なことをしないでください!」


 すかさず割り込んできたギルバートがステラを後ろに隠す。


「ああ、すまんな……あー」


 アッシュバーン伯がステラを見下ろし、困り顔をする。


「どうぞステラとお呼び捨て下さい。伯爵様」


「わかった。すまんなステラ、儂はこの通り武骨者ゆえ。

 妻や娘にもよく叱られるのだ。

 先に手紙で伝えた通り、今回はお前たちの様子を見に寄っただけだ。

 まだステラの顔も見れていなかったしな。

 明日の朝には()とうと思う。


 お前達の婚姻は陛下のご意向であるが、その実は儂とウーリー伯が夜会を騒がせたことへの罰だ。

 巻き込んでしまった二人には悪かったと思っている」


 アッシュバーン伯が頭を下げる。

 武人然としているが、目下の者にも謝れるのだとステラは少し驚いた。


「……それでどうだろう、二人はうまくやれているのだろうか?」


 頭を上げた伯爵が、ためらいがちに尋ねてくる。

 これではもし上手くいっていなかったとしても、そうとは非常に答えづらい。


 両伯とも自分たちの軽挙で子供の人生を大きく変えてしまったことに、深い負い目を感じているのだろう。

 領主館の増築や職人たちの受け入れがすんなりとできたのは、アッシュバーンとウーリーからの少なくない支援金や支援物資のおかげであった。


「父上、当初は思うところもありましたが、今では素晴らしい妻を迎えることができ、この縁に感謝しています。

 ステラは賢く美しい、得難い女性です。

 足りない私を補ってくれるだけでなく、じきにこの領に新しい風を吹かすでしょう」


 ギルバートがステラの腰を抱きながら言う。


「私こそ、たくましく優しいギルバート様と一緒になれて幸運でしたわ」


 ステラがギルバートに寄り添った。


 アッシュバーン伯が小さな目を見開いて、予想していなかった二人の仲の良さに驚いている。


「お二人は常々、仲睦まじくていらっしゃいますよ。

 私も陛下への報告の内容に悩まず助かっています」


 目付役のアルフレッドがニッコリと笑う。


 アッシュバーン伯は自分の末の息子はこんな感じだったかと戸惑う。


「……それはなによりだ。今宵も世話になる」


「明朝の出発とは随分性急ですが、何か急ぐご予定があるのですか?」


 腰を撫で、首筋にキスしようとするギルバートを諌めながらステラが尋ねる。


 アッシュバーン伯が小さな目をさらに瞠った。

 たしかに可愛らしい娘ではあるが。

 あの朴訥とした末の息子が、なんだあの緩んだ顔は。

 自分がいなければ今頃尻でも撫でているのではないか。


 アッシュバーン伯がゴホンと一つ咳払いをする。


「あ、ああ……最近、ここから近い領境の村で中毒者が出ていてな。その視察の帰りに寄ったのだ」




「中毒ですか?」


 アッシュバーン伯に詳細を訊いたところによると、(くだん)の村は銀鉱山の麓にあるとのことだ。

 ステラは銀が羨ましいと思いながら続きを促す。


 ここのところ、鉱山から流れる川を生活に利用している村民たちに健康不良が相次いだ。

 症状は手足の痺れや痛み、爪の変色や粘膜の炎症、感覚の鈍化など。


 川から離れた場所に住み、井戸を利用している村民たちに症状は出ていない。

 そのため原因は川の水で間違いないとみている。

 とはいえこれ以上はわからない。

 ひとまず川の水は使わないよう言いつけ、領都に戻って家臣たちと今後の対応を検討するとのことだった。


 なるほどと頷き、これまで似たようなことを見たり聞いたりしていないか、ステラが記憶を辿る。

 何もない宙空を見つめる緑の瞳に、徐々に赤色が混じっていく。


 訝しんで中腰になるアッシュバーン伯をギルバートが制する。

 これまでにも何度かあった。

 ステラが本気で思考する時、過去を辿る際、こうなるのだ。

 できれば事前に「これから集中します。目は赤くなります」と言ってくれればいいのだが、魔法を使う特別な感覚はないそうで、普段の思考の延長で自動で魔法が発動するようだ。


 一分くらいだろうか、ステラが思考の世界から帰ってきた。

 目はいつもの緑に戻っている。


「伯爵様、確実な話ではありません。あくまで可能性の一つとして聞いていただきたいのですが」


 ステラが説明する。


 銀などの金属を体に多く取り込んでしまうと、そのような症状が出ると遠国の文献で読んだことがある。


 ここ数ヶ月で、鉱山で山崩れが発生したのではないか。――しばらく前の嵐の影響などで。

 山崩れの影響で銀を多く含んだ新たな川筋が発生し、それが村で使っていた川と上流で合流しているのではないか。


 そのようになっていた場合は、新たに発生した川筋を埋め立てて潰したり、流れを別に逃がす工事が必要になる。

 少なくとも今年いっぱいは、川の水を飲食に使ったり、魚をとって食べない方がよい。

 川の水の使用を再開する場合は、少人数で少量ずつ使い始め、慎重に確認すること。

 川の下流を攫えばまとまった量の銀が得られる可能性があること。


 黙ってステラの話を聞いていたアッシュバーン伯が、ふむと頷く。


「忌々しいがさすがはウーリーの血ということか。

 あぁ、忌々しいというのはお前のことではないからな。

 ステラよ、感謝する。

 もらった助言のとおり、まずは川の上流で崩落がないか調べてみよう」


 ステラがニコリと嬉しそう笑った。


「旦那様のご実家のお役に立てたなら、なによりです」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 後日、アッシュバーン伯から手紙が届いた。

 

 ひとまず村の中毒症状は収まったこと。

 川の上流にある山腹で最近発生した崩落の跡があり、そこから水が流れて川につながっていたこと。

 工事を行い流れを変えたこと。

 川下で銀砂が多く取れたので、村の復興の財源に充てること。


 今回のことは原因や対処方法をまとめて国に報告し、今後同様の事故が起こった際には迅速に対応できるよう、国全体での情報共有を進言するそうだ。

 ステラは良いことだと感心したが、報告書の代表者欄には『ステラ・ブラックウッド』と記すとあり、愕然とした。


 謝礼として、ガラスの原料となる珪砂が大量に届けられた。

 アッシュバーン領では豊富に採れるそうだ。


 そして手紙の最後には、今後は父と呼ぶようにとあった。


 以降、アッシュバーン伯は会うたびにステラからお義父様と呼ばれデレデレとした。

 その度、ギルバートはぶつかるように二人の間に入って邪魔をした。


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