第3話 酒盛り
ステラとギルバートには酒好きという共通点があった。
ステラは甘く香りが良い果実酒、ギルバートはとにかく酒精の強いものを好んだ。
就寝前の静かな時間、二人はよく寝室のソファに並んで座り、酒肴と会話を楽しんだ。
初めのころはギクシャクとしていたが、お互いにこれまでの境遇などを酒の勢いを借りながら脈絡なく打ち明けあった。
本来は婚約期間やその前にお互い知っておくべきことを、二人は夫婦になってから確認しているのであった。
夫婦としてやることはすでにやっているのだが。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アッシュバーン領には兄上たちがいるからな、将来の領経営や兵団の訓練も問題ない。
兄上たちのところには甥がもう三人いるから、跡継ぎの心配もなし。
末子の俺はいてもいなくても良かったんだ。
だから、どうせなら外の世界が見たくて王都の軍学校に入って、卒業後はそのまま国軍に入ったんだよ。
軍学校を良い成績で卒業すると曹長から始められるから、一兵卒よりは自分の才覚次第で生き延びられる可能性が高いしな」
ギルバートが少し酔いで赤らんだ顔で、いつもより饒舌に喋る。
「旦那様は見るからにお強そうです。先の帝国との戦でもご活躍されたことでしょう」
「ああ、まぁそれなりに活躍したと思う。勲章ももらったよ」
「それはご立派なことです」
ギルバートは戦争での活躍で勲章を授与され、一代限りの騎士爵にも叙せられていた。
ステラは戦争や暴力が好きではないが、それでも国を守るために体をはった全身傷跡だらけの夫を誇らしく思う。
外から見てわかる欠損は右耳上部だけだが、足の指もいくつか失っていた。
「俺は頭が良いわけではないから指揮は並だが、個人の武でなら滅多なことでは負けないと思い上がっていたんだ。
だけど上から推薦を受け、近衛騎士団の入団試験を受けて思い知らされた。
まったく上には上がいるものだ。
結局、近衛には入れなかったな」
近衛騎士団は王族を近くで護衛する、武人としてこの国での最高峰である。
軍では出世すると兵を指揮する立場となり、自身は後方に下がることになるが、近衛騎士団は少数精鋭。
指揮官としての能力が必要なのは最上層だけで、基本的には個の武力と臨機応変な判断力が求められる。
「それはまた、ずいぶんと狭き門なのですね」
ステラは素煎りのナッツを一つかじった。もう一つ摘んでギルバートの口にも運ぶ。
ギルバートはそれをぎこちなく口に入れた。
「俺はこの体格だし身体強化魔法も使えるから、でかい獣や魔物相手とか、対人でも大味で力任せな相手だと遅れは取らない。
でも入団試験で剣を交えた近衛の上位にはとても敵わなかった。
彼らの足運びや剣さばきは、俺には早すぎて捉えられなかったんだ。
まあ、特に未練はないんだ。王家に忠誠を誓っている訳でもないし」
「まあ、旦那様、それはここだけの話にしてください」
貴族の多くは、大なり小なり魔力を持って生まれることが多い。
血に宿りやすい魔力を連綿と繋いできた結果だ。
逆に平民はほとんど魔力を持たない。もちろん例外もあるが。
魔力を身体の中で増幅して巡らせ、一時的に身体を強化するのは『内魔法』と呼ばれ、魔力を持っていれば割と簡単である。
魔力を体外まで干渉させるのは『外魔法』と呼ばれ、非常に難易度が高い。
魔力を純粋な力の流れとして外に出すだけでなく、火や水などの属性を与えて変換させるのはさらに困難であり、特別な才能と高度な訓練が必要となる。
そういった領域に手が届いた者たちは高待遇と共に国に囲われ、特別な許可なく国を離れることはできない。
有事の際、彼らの魔法の威力や範囲は、作戦立案において重要な要素となるのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「旦那様は軍でも功績をあげていますが、これまで婚約や婚姻の機会はなかったのですか?
上司の方などから、そういったお話もありそうですが」
ギルバートは現在24歳。
この国の貴族は15歳で成人し、そこから20歳くらいまでが結婚適齢期とされている。
「ああ、情けない話だが俺は全然もてなかったからな。
どうもご令嬢方は俺のデカさや傷跡……は結構後にまとめてついたんだけど、なにより目つきが怖いらしい。
軍の上官や親の言いつけで何人かと顔合わせしたこともあったけど、すぐに断りの返事が来たよ。
俺がどうしようと家の存続には問題ないし、いつ戦場で死ぬかもわからなかったから、家庭を持つつもりもなかったんだ」
ギルバートはボリボリと頭をかいた。
ステラが小さな手を、ギルバートの大きな手に重ねる。
「それはご令嬢たちに見る目がありませんでしたね。おかげで私が旦那様の妻になれました。運が良かったですわ」
「ステラは俺が怖くないのか? こうして目を合わせるとよく怯えられたものだったが」
「はじめは体が大きくて気圧されましたが、慣れてしまえばむしろ安心できますわ。傷は国を守った名誉の証です」
「目つきが悪いのは大丈夫なのか?」
「ああ、それは……目つきではなく、旦那様は目が悪いのですよ」
「目が悪い?」
「ええ、それについてはそのうち解決できるかもしれません。手を回しているのでもう少しお待ち下さい」
「うん? ……そうなのか? それじゃあステラに任せるよ」
ギルバートが空いている手をさらにステラの手に重ねてくる。
露骨なスキンシップはそろそろベッドに行こうのサインだ。
まだ慣れないけれど、嫌な気はしない。
興味を持たれないより余程良いだろうとステラは思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「王城に勤める父に代わり、ウーリーでは叔父が領主代行をしているのですが、その手伝いなどをしておりました」
「それって領地経営ってことか?」
「まあそうですね、簡単なものだけですが。
普段は帳簿付けや書類の整理など、
なにか問題が起きた際は叔父の名代として、現地に行ったりもしていました」
ギルバートの問いにステラが答える。
今日の肴はチーズとサラミだ。
「それは……貴族の令嬢としてはずいぶん珍しいのでは?」
「そうですね。申し訳ありませんが私は変わっているようで、そういったことが好きなのです。
両親は私が結婚するまでは、自由にさせてくれようとしていました。
また、ここ何年かは遠国から新しい技術が入ってきましたので、それ関連でも色々やらせてもらっていました。
そろそろここでの暮らしにも慣れてきたので、一度手紙を送ってみましょう」
ステラはソファの上で、ギルバートの肩に頭をあずけながら言った。
「そ、そうなのかー」
幸運にも巡ってきた体の位置――大きくはないが可愛らしい妻の胸の谷間を、目だけを動かし覗きながら、ギルバートはデレデレとする。
ステラは夫が自分の胸元をガン見していることに気づいており、内心でニヤリとした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ステラこそ婚約者はいなかったのか? 君なら引く手数多だっただろう」
ギルバートがステラの髪を指で弄りながら尋ねる。
ステラは現在20歳、ギルバートより4歳年下であるが、貴族の令嬢としては結婚適齢期ぎりぎりだった。
「以前は婚約者様がいました。ウーリーの東に接するアーンツ伯爵家のご長男です」
「それで…………どうなったのか訊いてもよいだろうか?」
ギルバートは如何にも気になるといった体で前のめりになっている。
「当時の婚約者様は娼館の女性に入れあげまして、女性側の思惑もあったようですが子ができたとのことです。
私との婚姻にあたり、その女性を妾として受け入れろと求められましたので、お父様の許しを得て婚約を解消しました。
私はもう結婚はせず、領の手伝いをしながら独りでいるつもりだったのです」
国の法では王族と公爵家以外、複数の妻を娶ることは認められていないが、愛妾は多くの貴族や裕福な商人などが堂々と囲っている。
また当主が認めれば、妾の子であっても養子として正式に貴族家に迎え入れ、正妻の子を押しのけて家督を継がせることも可能である。
正妻やその生家にとってはとんでもない話であるが、市井の女性にとっては割とよく聞く人生一発逆転の方法なのだそうだ。
軍人としてそれなりに娼館が身近だったギルバートは、ごくりとつばを飲む。
「伯爵家の長男か……殺したら面倒かな?
それとステラ、その、軍人というのは戦地に行く前後は荒ぶったり不安定なものでな、それを収めるために娼館に行く者も多いんだ。
あくまで一般論だけどな、ははっ」
「旦那様、私は家のために婚約を受け入れていましたが、以前の婚約者様に心を許したことはありませんでした。
娼館についても存じております。
後腐れなく遊ぶことを咎めるつもりはございませんよ。
それも過去のことならなおさらです」
「そ、そうか、あくまで一般論だけどな……はははっ」
ギルバートは下手くそに笑った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ステラは魔法を使えるのか? 俺は身体強化だけだが」
ギルバートが硬い魚の干物を豪快に噛み砕きながら尋ねる。
保存が効くとはいえ、海が遠いブラックウッドではそれなりの高級品である。
「大したものは使えません、旦那様。
私が使えるのは思考加速だけです。
しばらくの間、普段より頭が早く回り、過去の記憶を思い出しやすくなります。
話がゆっくりに聞こえたり、自分の言葉が早口になってしまうので、相手と話しながらだと使いづらいです。
それと……」
「それと?」
「私の魔法はたまに暴走するのです」
「暴走……するとどうなるんだ?」
ギルバートが一口酒を啜る。
「寝ている間に暴走するのですが、暴走すると……」
「すると?」
「――――――――――――」
ギルバートは聞いた内容を頭で反芻してみたが、あまり具体的なイメージはできなかった。
まあいいかと、ステラの小さな身体を引き寄せて首に抱きつかせる。
香水を付けていないはずのステラから柔らかく甘い匂いがして、ギルバートは思わずぐらりとする。
「そう言えば、『旦那様』とは他人行儀だな。今後は名前で、いや……ギルと呼ぶように」
「はい……ギル様」
ステラがそう答えると、ギルバートは「様もいらないんだがな」と言いながらステラを腕の中に囲い、小さく収まる妻のつむじに何度もキスを落とすのだった。