第2話 初夜
まだ朝の早い時間、東向きの窓から差し込んだ光でステラが目を覚ますと、太い腕を枕にしていることに気がついた。
腕の主は、知らないうちに夫となったギルバートである。
ギョッとしたステラは急激に眠気から覚醒し、掛布の下を覗く。
自分は裸で、同じく裸の彼に寄り添い寝ていたのだ。
まだ慣れないが、それでも嫌な気はしない。
夫婦として一緒に生活し始めたこの二ヶ月間、彼は自分を尊重してくれた。
不器用ながらであるが。
日光が顔面を直撃しているギルバートはそれでも起きる様子なく、ぐうぐうと低い寝息を立てている。
ステラは音を立てないようベッドの下から寝着を拾い、カーテンの隙間を閉めて寝室から扉続きの私室へと戻った。
「奥様、おはようございます」
暫くすると実家から連れてきた侍女のサラがノックの後で入ってきた。
「おはよう、サラ」
「奥様、昨夜はお一人でお休みでしたか?」
「ううん、さっき隣の部屋から戻ったの……」
幼い頃から面倒を見てもらっている彼女に今更隠すことはないけれど、ステラは何となく恥ずかしくて言葉尻が小さくなる。
「それはようございました。
では湯浴みの準備をいたしましょう。湯を運ぶよう声を掛けて参ります」
部屋を出ようとするサラをステラが止める。
「ねぇサラ、旦那様は満足なさってるかしら?
お務めとして応じて下さってはいるけど、私はチビで痩せっぽちだし……男性は豊満な女性に惹かれるものなのでしょう?」
踵を返したサラが膝を曲げ、ベッドに座るステラと目の高さを合わせる。
肩下までのステラのダークブラウンの髪を手で櫛りながら、サラは少し困ったような顔で言う。
「お嬢……失礼しました。
奥様は相変わらずご自身の評価が低いようですが……私が知る限り、あなた様は世界で一番お可愛らしいですよ。
どうか、もっと自信をお持ちくださいませ。
万一旦那様が新婚の奥様を蔑ろにして他の花に飛んでいくような輩なら、私が潰します。プチっと」
サラが指を握り込み、手首を内側に捻るような素振りをする。
「……もし本当に実行しようと思った時は、絶対に事前に教えてね、約束よサラ」
サラが護衛を兼任し、服の下に物騒な暗器を隠していることを知っているステラは、緑色の瞳を半眼にして言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二ヶ月ほど前。
ブラックウッド新領の領主邸に着いた日の夕食後、メイドたちから全身を磨かれたステラは、用意された薄い寝着の上からガウンをまとい、夫婦の寝室でベッドに座り夫となった男を待っていた。
生誕祭での夜会の後、王命によりアッシュバーンの末子であるギルバートと、ウーリーの末子であるステラは婚約云々を全て飛ばして夫婦となった。
新たに拓かれたブラックウッド領はアッシュバーン領とウーリー領の領境をそれぞれ三割と二割ほど取り上げて併合し、新たに子爵領として画定された。
領境近くにあった比較的大きめの町が、そのままブラックウッドの領都となった。
元の町の執政官は国から派遣された役人だったが、その役人が執務で使っていた館を新たに領主館を兼ねた邸宅とし、急いで改築・増築した。
元執政官の役人にはしばらくの間、新たに領主となったギルバートの補佐としてついてもらうことになった。
その後は追い出すことになるのかと気にしていたが、そろそろ任期が終わるらしく、王都に残してきた家族の元へ戻れることを楽しみにしていたので問題はないだろう。
領主邸の使用人は元から館に勤めていた者たちに加え、アッシュバーンとウーリー、それぞれの家から連れてきた。
両伯がより多く、より高位の使用人を入れようと争ったので収拾がつかなくなり、結局それぞれの家の夫人が調整することになった。
暫くして寝室に入ってきた男、夫となったギルバートを見たステラは改めて目を丸くする。
身長は190cm近くあるだろう。150と少しの自分では、背伸びをしても胸のあたりまでしか届かない。
縦にも横にも大きく、奥には分厚いという印象。
不要な贅肉などまるでなく、全身を筋肉の鎧で覆っているようだ。
潰されないだろうか。
これまでこの手の男性が近くにいなかったステラは気圧された。
くすんだ金髪は短く刈り込まれており、軍人然としている。
顔は全体的に整っており、太い眉の下の灰色の目は顔の大きさに対してやや小さい。
顎は四角いが割れてはおらず、そこはホッとした。
とても大きいが、割とかわいいのではないかと心中でステラは評した。
顔や首筋、手など見える部分だけでも大小たくさんの傷跡が残っている。
右耳は上部が半分ほど欠けていた。
大股でゆっくりと近づいてきたギルバートが灰色の目でステラを見下ろしながら、出会った時と同じように眉根を寄せた渋顔で言う。
欠けた耳が若干赤い。
「ステラ嬢、今日は移動の疲れもあるだろうし、来たばかりでまだ色々と分からず不安なことも多いだろう。
落ち着くまで寝所を別にしようと思うがどうだろうか?
この部屋で寝るならベッドは気にせず使ってくれ。俺はそこのソファで寝ようと思うが……」
ステラは目を巡らす。
寝室にはベッドの他、ソファやローテーブル、棚などの家具が設えてあった。
ベッドとソファは新品だが、それ以外は他で使っていたものを運び込んだのだろう。くたびれた感はないが、年を経た味が感じられた。
ステラはギルバートの目をまっすぐ見上げる。
「旦那様、私はもうあなたの妻です。どうかステラとお呼び捨てください。
貴族の妻としては一日も早く子をなしたいと存じます。
それに初夜に夫に捨て置かれたとあっては、身の置き場もございません。
痩せてつまらない体ですが、どうかご寵愛を頂けますよう」
言ったことに嘘はないが、ステラはいわゆる『苦手なものをとっとと片付けたい』タイプだった。
気が重いことは心のバネを効かせて先に手を付け、なるべく早く解消したいのだった。
ステラの目が覚悟を決めたものとなる。
ベッドを立ちながらガウンを脱ぎ捨て、薄い寝着をひらひらとさせながらギルバートへにじり寄る。
ギルバートは後ずさったが、やがて部屋の隅まで追い詰められるとぶつぶつ独りごちた。
「うーん……随分と小さいが、大丈夫なんだろうか?
だが……ここまでされてはさすがに引けん。
クソがっ! クソ王がっ! ええい、ままよっ!」
ステラは一転して迫ってきたギルバートに押され、ベッドに倒される。
熱に浮かされたような夫を見て、なんだか大型犬みたいな人だなと思った。