最終話 星
クロスボウから放たれた矢は、通常の弓ではなし得ない速度でギルバートの胸へと向かったが、対象に届くことなくその動きを止めた。
ギルバートは片手で、5mも距離がないところから放たれたクロスボウの矢を掴んだのだ。
とくに造作もなく、といった感じで。
その後、反対の手で眼鏡をクイッとした。
その場にいたギルバートを除く全員の時が止まる。
数秒後、周りの兵士たちが慌ててクライブを再度捕らえた。
クライブは目を見開いたまま唖然としており、特に抵抗はしなかった。
ギルバートは掴んだ矢をつまらなそうに捨て、ステラはその背中――実際は腰あたりに抱きつく。
アッシュバーン伯はあんぐりと口を開けていたが、しばらくして持ち直し、ギルバートの肩を力強く叩いたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
盗賊たちは王都まで運ばれた後、厳しい尋問を受けた。
呆然自失となったクライブやその子分たちは、しばらくしてバイラル帝国の工作員と買われた犯罪奴隷たちだとわかった。
帝国は当初、王国への侵攻を見越した偽の盗賊団による略奪行為を認めなかった。
やがてクライブから聴取した詳細な作戦内容と共に、王国は戦争の再開も辞さないと宣告すると態度を一変し、軍の一部が暴走した結果だったと公式な謝罪と賠償を提案してきた。
帝国と通じ、盗賊団を素通りさせたノースハースト辺境伯家は一族連座で処罰され、取り潰しとなった。
辺境伯領は長年に渡って帝国から国境を守っているうち、徐々に領内の有力者や商いを帝国に侵食され、いつの間にか実権を握られてしまっていた。
そして遠くの王家より、近くの帝国を選んだのだ。
辺境伯家が取り潰され、辺境伯領は王家の直轄領となった。
帝国から国を守る要所を正常化するため、王都から大勢の文官や兵士が送られ、領主には暫定で第二王子が据えられた。
また辺境伯領から近く、今回の活躍もあったアッシュバーン、ウーリー、ブラックウッドにも、状況が落ち着くまでの救援依頼があった。
他の貴族たちはアッシュバーンとウーリーが足並みを揃えることなど到底無理だと嗤っていたが、今のところは上手くいっている。
兵はアッシュバーン、政務はウーリー、農業や商いなどはブラックウッドが中心となって協力しながら、混沌としながらも回っている。
アッシュバーンとウーリーの関係は、どんどんと変わっていく情勢に伴い強制的に雪解けとなった。
「そもそもアッシュバーンとウーリーは、なんであんなに仲が悪かったんだろう?」
ギルバートの疑問にステラが答える。
「ウーリーの領主邸の金庫室には、歴代当主の手記が残っています。
どうやら五代前の時代まではむしろ仲が良く、お互いの子供を結婚させて縁を結ぼうとしたらしいのですが……」
「うん」
「それぞれの息子と娘も思いあっていたそうですが……自由に生きたいと駆け落ちし、身をくらませたそうです」
「うん?」
「それでお互い引けずに相手が唆したのだと糾弾し、その事実が忘れられ風化しても、ここまで来てしまいました」
「なんだか思ったより間抜けな理由だな……」
ステラとギルバートは苦笑しあったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王城の謁見の間にて、国王が鷹揚に告げる。
「ギルバート・ブラックウッド、並びにその妻、ステラよ、先の盗賊団討伐の功績を讃え、ここに鷲獅子勲章を授与する」
脇に控えていた貴族たちから歓声が上がる。
王国が建国されてから数百年の歴史の中、夫婦両名で勲章を賜った前例などない。
今回、ギルバートは武で、ステラは知で盗賊団の討伐を成し、ひいては帝国の侵略を事前に潰した。
貴族たちにとっては正直おもしろくないが、とても文句など付けられるものではない。
その後、ステラたちは小さめの部屋へと場所を移した。
謁見の間は、あくまで貴族たちへのパフォーマンスの場である。
細かい話は別で詰めるのだ。
「勲章の他、二人それぞれに望むものを申せ。可能な限りに配慮しよう」
国王が悪戯好きな子供のような顔をする。
勲章が贈られることは予め伝えられていたが、これは聞いていない。
ギルバートが戸惑っていると、ステラが静かに応えた。
「陛下、私の希望は、ブラックウッド領を賜った際の約定を一部変更して頂きたいのです」
「ふむ……それはどのようなものか?」
「はい、ギルバート様との離縁を許していただきたく」
部屋が静まり返る。
ギルバートが信じられないといった顔でステラを見る。口は半開きだ。
「ス、ステラ、何を言って。私はなにか許されない事をしただろうか……」
ステラはギルバートに顔を向け、申し訳なさそうに眉を下げた。
「この四年、できることはしたつもりですが、私は子をなせませんでした。
ギルバート様は私がいくら言っても、妾を迎えてくれようとしませんので。
もちろん今すぐに離縁をしたいという意図ではございません。
今後も子ができなかった場合、ギルバート様が私と離縁し、他の女性を正妻として娶ることができる選択肢が欲しいのです。
もしギルバート様が望み、新しい正妻様の許可も頂けるなら、その後、私はギルバート様の妾になりたいと思います」
かつて婚約者が妾と子供を作ったことで婚約解消をしたステラは、自身の考え方がずいぶん変わったなと思った。
「……………………」
下を向いて目を伏せたギルバートから、黒い気配が溢れる。
同席していた文官たちはその圧に当てられ、ガクガクと震え始めた。
近衛騎士がやにわに抜剣し、国王は冷や汗をかきながら辛うじて正気を保っている。
やがてギルバートが顔を上げ、良い笑顔で言った。
「陛下、それでは私もお願いしたきことがございます」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王都の大聖堂でステラとギルバートの結婚式が行われた。
国教であるミスティア教の最高位である教皇の前で婚姻の宣誓がされる。
教皇の前での生涯の宣誓、これで離縁などしたら、大陸中でとても居場所などないだろう。
英雄夫婦を一目見たいと、王都の住民たちも詰めかけた。
先だって二人が挨拶へ行った所、教皇は他所に旅ができることなど滅多にないと上機嫌だった。
王国からの謝礼寄与も莫大なものだったらしく、ほくほくとした表情をしている。
最近文字がかすれて読みにくいと言っていたので、特注品の眼鏡を贈ると伝えると喜ばれた。
教皇が小さく痩せた体躯にそぐわない、大きく、低く、遠くまで届く声で婚礼の祝詞をあげる。
「ギル様、まさか教皇猊下をお呼びになるとは……ここまでせずとも望まれる限り、私はお側におりますのに」
ステラが小声でギルバートに耳打ちする。
純白の絹生地に銀糸の刺繍が入った婚礼のドレスを纏う今日のステラは、誰が見ても目が眩むほどに美しい。
「ステラ、俺は今回の件、正直怒っているんだ。
今度離縁などと言い出したら、私室に閉じ込めて外から鍵をかけてしまうよ」
「それでは監禁ではないですか」
「俺も自分がこんなに独占欲が強いとは思っていなかった。
生涯、俺の妻はステラだけで、ステラの夫は俺だけだ」
顔を赤く染めた新婦に新郎が口づけし、周りは大きく湧いた。
教皇の魔法だろうか、婚礼の儀が成ったことを宣言すると、聖堂にはキラキラと光の粒が舞った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕暮れ時、一息ついた王城の執務室、国王が窓から茜色の空を見ながらふと呟いた。
「仲の悪い貴族家を無理やり結婚させたら、なんか思っていたより上手くいったな」
ここのところ、国王は周囲から持て囃されていた。
まさかの結果に自身が一番驚いていたが、こうも良い結果で賢王などと持ち上げられると悪い気はしない。
調子に乗った国王はそれからも同じようなことをしたが、ことごとく失敗した。
ついには内乱寸前となり、その責を問われ代替わりとなった。
ギルバートはその後も帝国からの侵攻防衛で幾度も活躍し、やがて真に英雄と呼ばれるようになった。
後に伝わる彼の二つ名は『眼鏡の巨人』、もしくは『矢掴かみ』である。
それまでは書類仕事の事務方に支持されていた眼鏡であるが、ギルバートの武勇が広まるにつれ、兵士たちにも使う者が増えた。
ステラは国の要請で王国中に通信網を巡らせた。
信号の暗号化や圧縮も成し遂げ、その体系だった仕組みは『情報学』として学問の一つに認められた。
星を観測するための天体望遠鏡を世に出したステラは、後にその名が星の光を意味する言葉にもなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数百年の後、裕福な商人が自身の商館の屋上で息子と星を見ている。
最新の天体望遠鏡を覗いてはしゃぐ息子に商人は得意げに教える。
「一番明るい星が叡智の星『ステラ』で、その隣で護るように輝く星が騎士の星『ギルバート』だよ」
「キラキラ光って綺麗な夫婦星だね」
「その周りをそれぞれに偉業を成した子孫たちの星が囲んで、全体でブラックウッド星座と呼ばれているんだ」
「父様、それは本当の話なのでしょうか?」
「さてな、遠大すぎて私には分からないな」
商人が息子の頭をくしゃっと撫でる。
息子は再び望遠鏡を覗き、その輝きに胸を踊らせた。
以上で完結となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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ちなみにステラが星の光を意味するというのは、作中の創作ではありません。
星や星の光を意味するラテン語の【stēlla】が先にあって、そこから英語圏で女性の名前に【Stella】が使われるようになったそうです。