第12話 ギルバート
アッシュバーン伯爵家の三男として生まれたギルバートは、幼少のころから同年代の子供たちより体格がよく、力も強かった。
6歳から剣を習い始めるとあっという間に上達し、10歳の頃には毎年アッシュバーン領都で行われる剣術大会の12歳以下の部で優勝した。
三人の兄姉は、年の離れた末子のギルバートをかわいがった。
兄と姉には厳しく接することのある父母も、ギルバートにはことさらに甘いのだった。
我慢することなく欲しいものを与えられ、誤ったことをしても叱責はない。
幼い頃は疑問に思わず当たり前に受け入れていたそれは、将来責任のない末子への粗略な扱いの裏返しなのだと、やがて青年になったギルバートは思い至った。
二人の兄は成人するとアッシュバーンの領政を支え、領兵団の活動にも精力的に参加している。
二人共、友好的な近領の令嬢を妻に迎え、それぞれ男児も生まれた。
姉も成人後すぐに他家へ嫁ぎ、男児と女児を生んでいる。
15歳になり成人したギルバートは、仮入団していたアッシュバーンの領兵団にそのまま本入団するか迷ったが、王都の軍学校に入りたいと家族に告げた。
王都の軍学校への入学は、魔法による強化を含め、ある程度の身体能力があれば問題ない。
体力試験はそれなりの足切りがあるが、その他は簡単な面接のみで筆記試験はない。
入学するのは貴族が一割で平民が九割。
ようは読み書きや計算ができない者がほとんどなのだ。
もちろん軍の士官で命令書が読めなかったり、兵站の計算ができないなど話にならない。
彼らの多くは入学後、地獄のような詰め込み補習が待っているのである。
軍学校の入学試験に合格し、宿舎で同期や先輩、やがてできた後輩と共同生活をしていくうち、ギルバートの意識は変わっていった。
周りの多くは平民であり、それ以外は低位貴族の三男以降だった。
そして平民の彼らの多くは家族が生活に困っていた。
軍学校では入学金や学費はかからず、逆に平民にとっては少なくない額の給金が学生のうちから支給される。
隣国と戦争をしている国として、兵を集める苦肉の策であった。
彼らのほとんどはそれを当てにして、厳しい訓練や授業に歯を食いしばって耐えている。
もらった給金のほとんどを家に送り、破れた服を何度も繕って着ている。
ギルバートは自分が何もわかっていない甘ったれなのだと思い知った。
飢えたことなどなく、好き嫌いをわめきながら、家庭教師の授業に文句をつけてきた。
彼らが腹を空かせながら畑を耕し、作物のため明日の天気を祈っていたその時に。
ギルバートは平民の同期たちから最初は遠巻きにされたが、特別扱いは不要だと根気強く伝え、休日には読み書きを教えたりしながら、やがて仲間として受け入れられた。
18歳になり軍学校を卒業したギルバートは卒業時点で曹長となり、そのまま前線へと送られ、いきなり一兵卒たちを指揮する立場になった。
戦場では勝つことも負けて引くこともあったが、その度に仲間が死んだ。
剣や槍がぶつかりあい、頭の上を矢が行き交い、着弾した魔法が周りを焼く。
昨日の野営で同じ焚き火を囲った部下が、今日は物言わぬ骸となっている。
戦禍に巻き込まれた村では敵国に食料や物資を根こそぎ略奪されて、村人は弄ばれ、殺され、積み重なっていた。
ギルバートは少しずつ精神が摩耗していく感覚を覚えたが、それでも自身の限界まで頭を回して部下に指示を出し、最前線で盾になり剣を振るった。
軍学校の教官から教えられた言葉が、最後の一線でギルバートを支えていた。
曰く、「己死すとも、己の後ろを守るべし」とのことであった。
ギルバートはその教官の顔はとっくに忘れていたが、身体中に傷がついてもまったく動じることなく、当たり前のこととして後ろの味方を守った。
軍学校にいた頃から、怖がられることも多かったが、それでも女性にやさしいギルバートはもてた。
三男ではあるが、貴族の子息だからという女性たちの打算も働いたのだろう。
それなりにつきあったが、特に戦場に出る前後は娼館の女性たちの世話になった。
彼女たちは常連である兵士たちの扱いをよく心得ており、戦に行く前の逃げ出したい心情には熱を持って奮い立たせ、昂ぶりすぎている場合は落ち着かせ、帰って来た者の心を戦場から取り戻した。
何度か戦場から帰ってくるうち、ギルバートは平民の女性と将来を誓い合うことになった。
軍に物資を卸している王都の商家の娘で、上官の勧めで一度食事をし、その後正式に交際することになったのだった。
ギルバートはその女性と結婚して生涯守ろうと思った。
愛だの恋だのはよく分からなかったが、情は確かにあり、それを育てていけば問題ないだろうと思った。
短い休暇の後、軍令で向かった次の戦場は地獄だった。
最近、昇進したまだ若い少佐の指揮の下、大隊規模で向かった山岳地帯では、周りを敵の弓兵と魔法兵に高地から取り囲まれており、一斉攻撃を受けた。
少尉に昇格していたギルバートは己の小隊を指揮し、攻撃を防ぎながら潰走する隊の殿を務めた。
大隊全体の半分が倒れる状況ながら、ギルバートの小隊は最後まで持ちこたえ、殿の役目を十分に果たした。
ギルバートが身体強化の魔法を全開にし、複数の矢が刺さった部下を両脇に抱えながら、自身も戦場を離脱しようとする。
――刹那、足元が爆ぜた。
目を覚ましたギルバートが目にしたのは、見慣れない天幕の天井だった。
しばらくはぼうっとしていたが、やがて足元が爆発したことを思い出す。
身じろぐと全身が痛むが、足は二本確かにあり、大きく四肢が欠損したわけでもないようだ。
そのまま微睡んでいると、やがて従軍の看護師がやってきた。
説明によると、ギルバートが地雷魔法を踏んでから一週間が経っているとのこと。
足の大部分は無事だが、右足の指が二本吹き飛んだそうだ。
幸い親指と小指は無事だったので、剣を振るう際の踏ん張りに致命的な影響はないだろう。
耳も片方の上部が欠けたが、機能的に問題はない。
抱えていた部下の安否を聞くと、そちらも回収され、ひどい怪我だが命に別状はないそうだ。
地雷魔法は先に撤退した味方の魔法兵が、恐怖で錯乱して仕掛けたものだった。
ギルバートはベッドに横たわったまま、ゆっくりと手を動かして胸元をまさぐる。
そこには将来を誓った女性からもらった鎖があった。
ギルバートは鎖に口づけし、目を閉じて泥のように眠った。
三月後、杖をつきながら歩けるようになったギルバートは傷病休暇を与えられ、王都に戻ってきた。
婚約者のもとに行こうとしたら、彼女はすでに別の男性と結婚したと教えられた。
どうやらギルバートは戦死したと聞かされたらしい。
送った手紙は届かなかったようだ。
地雷を踏み、身体が不自由になったであろうギルバートは娘の夫にふさわしくないと、彼女の親が握りつぶしたのかもしれない。
結婚相手は以前から彼女に粉をかけていた低位貴族の嫡男だそうだ。
ギルバートは黙って身を引いた。
婚約者だった女性にはなにも伝えなかった。
彼女は自分が死んだと思ったままだろうか。
貴族の嫡男が相手なら、自分と結婚するよりも裕福な生活ができるだろう。
人生とはままならないものだと思った。
自分は軍人であり、今回はたまたま助かったがいつ死ぬかも分からない。
実家はなにも心配はいらない。
ならばこのまま軍人として独りで生き、そして死んでも問題はないだろう。
先に逝った仲間たちの元に行けるなら悪くない。
それからもギルバートは何度も戦場に赴き、帰ってきた。
時に無謀な作戦に反対して煙たがられながら、確実に戦果をあげて昇進し、勲章も授与された。
推薦してもらった近衛騎士の入団試験では期待に応えられなかったが、自分の分はここまでなのだろうと割りきった。
やがて帝国との戦争が休戦し、ギルバートは国境付近の砦を守っていた。
そんなある日、父のアッシュバーン伯が王家主催の夜会でやらかしたらしく、なにがどうなったかよく分からないうちに、ギルバートは新領のブラックウッドの領主となった。
自領を割譲したとはいえ、三男坊が領主となる。
人によっては羨ましがられる話であろう。
だがギルバートには怒りがあった。
王だからといって、遊び半分で人の人生をそのように掻き回してよいのか。
まあ、父の責任も確かにあるし、家の取潰しとなるよりはましだろう。
父からは謝られた。長兄からは同情され、次兄には羨ましがられた。
母や他領に嫁いだ姉からはさんざん心配された。
一緒に領地を割譲されたウーリーの末娘もついていない。
小さい頃からウーリー家の悪行は飽きるほど聞いてはいたが。
ギルバートは軍を除隊した。
身内でささやかな宴が開かれる。
共に死線をくぐり、生き残った仲間たちと飲む最後の酒は甘くて苦かった。
ギルバートはステラより先にブラックウッド領の邸に着いた。
元は町長館だった邸の修繕や増築、使用人の確保、領主としての施政、やったことがないことばかりの目が回るような日々だった。
一月ほど遅れ、妻となったステラがブラックウッド領に着いた。
ギルバートは馬車から降りてきたステラを思わず凝視した。
美しいが、絶世の美姫というわけではない。
それでも目が離せなかった。
雷に打たれたようだった。
気づくとギルバートは膝をついていた。
ステラは賢く美しく、情が深い女性だった。
領主邸の女主人をきちんと務めたうえで、領の経営にも積極的に力を貸してくれる。
小さく、柔らかく、そして暖かい。
ステラから贈られた眼鏡をかけてから世界は鮮明になり、今では誰にも負けないはずだ。
周りにサポートされながらだが、少しずつ領主としても慣れてきただろうか。
状況に流されてというか、流されざるをえなかった今であるが、ステラと一緒になるべく上手くやっていければいいと思う。