第10話 ウーリー伯の逗留
夏の昼下がり、ブラックウッド領主邸にステラの父親であるウーリー伯が到着した。
「二年と少しぶりか、久しいなステラ」
ひょろりと背が高いウーリー伯が出迎えたステラを抱擁する。
「お父様、王都でのお仕事は良いのですか?」
ウーリー伯は普段王都の屋敷に住み、王城で財務大臣を務めている。
「ああ、当面の大きな仕事は終わらせたし、小さなものは部下たちに任せてきたので一月ほどは大丈夫だ。
領主代行からの報告書を読むだけでなく、たまには私もウーリーをこの目で見たい。
それにお前の顔も見たかった。どうだろう、息災であっただろうか?」
「お父様、私はご覧のとおり元気ですし、ギルバート様にも大変良くして頂いております」
「うむ、ブラックウッド卿、お初にお目にかかる。
ウーリー領が領主、ハロルド・ウーリーである。
娘を大事にしてくれているようだな。感謝する」
ステラを離したウーリー伯が、ギルバートに向き直って礼を告げる。
ギルバートを見るその目は鷹のように鋭い。
「初めましてウーリー伯爵。
ご息女の夫となりましたギルバート・ブラックウッドと申します。
どうか私のことはギルバートとお呼び下さい」
ギルバートが慇懃に騎士の礼をする。
「ふん、ブラックウッド卿よ、私は卿をステラの夫として認めた訳ではない。
私たちの浅慮な振る舞いのせいで、大きな迷惑をかけたことは詫びよう。
だが、それとこれとは別だ」
切れ長の目をさらに鋭くして、ウーリー伯がギルバートを睨む。
「……認めて頂けるよう、これからも精進いたします」
ギルバートが師の前の弟子のような表情をして頭を下げた。
ステラがギルバートに寄り添い、ウーリー伯のこめかみに青筋が立つ。
「お父様、手紙にもありましたが、セージ村の被害はどうなのですか?」
応接室でステラが尋ねる。
セージ村はウーリー領の辺境に位置し、今回ブラックウッド領としてぎりぎり接収されなかった中規模の村である。
ステラも視察で何度か赴いたことがあった。
最近、村の近くに広がる森の浅い所で小型の魔物が大量に発生した。
餌となる小型の魔物が増えた結果、普段は森の奥にいる大型の魔物まで浅い場所へ出てくるようになったそうだ。
「うむ、このあと向かうが状況は良くない。
狩人組合にも緊急の討伐依頼を出してはいるが、とても手が足りないだろう」
ウーリー伯が出された茶を一口飲み、眉間を揉みながら答える。
「お父様、可能なら帰りに再びここへ寄っていただけますか」
「ああ。ここは村からも近いし構わぬよ」
次の日、ウーリー伯は連れてきた護衛たちと共に朝早く発った。
今回セージ村の近くの森で大量発生した小型の魔物『魔狐』は、大陸全土で一般的に見られる魔物だ。
体の大きさは通常の狐と変わらず、雑食で普段は自身より小さい野ネズミなどの動物や虫、果物などを食べている。可能なら人も食べるが。
牙は鋭いが特に戦闘能力が高いわけではなく、一匹二匹なら一般人でもナイフで追い払える。
しかし大量に発生すると十匹〜二十匹ほどの群れを作り、リーダー統率の元、高度に組織的な行動をとるようになる。
こうなると非常に厄介で、強者であっても四方八方からの波状攻撃で削られ、やがては殺されてしまう。
ウーリー伯を見送ったステラは考えを巡らせる。
魔狐のような小型の魔物が大量発生する原因は、大きく分けて二つ。
一つ目は自然的なもの。
人には予想できない自然の因果で餌が例年より豊富だったり、天敵の数が少なかったり。
逆に餌がいつもより少ない場合も強い魔物から追い出される形で、浅いところに多くいたりもする。
二つ目は人為的なものである。
誰かが外部から大量に連れてきたり、天敵となる魔物だけを狙って討伐したり。
今回は普通に考えれば自然の成り行きであり、餌が増えたか天敵が減ったかのどちらかだろう。
ブラックウッド領では今のところ、魔物の異常発生については報告は上がってきていないが、領境に近いところでの話なので楽観はできない。
二日後、ウーリー伯が再度ブラックウッドの領主邸に寄った。
護衛を含め、先日よりも疲れているように見える。
「お父様、首尾はいかがだったでしょうか?」
「良くないな。罠をはって一網打尽にしようとしたが、警戒心が強くほとんど逃げられたよ。
こちらに死者や重症者が出なかったのが僥倖だった。
被害が大きくならないうちに、セージ村の村民を別へ避難させるべきだろうな」
「まぁ」
「ウーリー伯爵、ご提案があるのですが」
ステラの隣に座っていたギルバートが遠慮がちに発言する。
「……何だろうか?」
「ブラックウッドの領兵団にも討伐支援を依頼してみませんか?」
「なに?」
低い声を出したウーリー伯の目が光る。
「我が領の領兵団はまだ立ち上げたばかりなので、遠征や魔物討伐の経験を積むにも良いかと思いまして」
「魔狐とはいえ、油断したり実力が伴わなければ死人もでるだろう。
慮外に領主となり、浮かれて遊び半分か?」
「……私は口が達者ではないので、行動し、結果を出すことで認めて頂きたいと考えております。
報酬は頂きますが、討ち取った数に応じてで構いません」
ウーリー伯が眼鏡の奥のギルバートの目を正面から見据える。
真っ直ぐに見返してくるギルバートの灰色の目は透徹としていて、不思議と誠実さを感じさせた。
「ふむ……ならば試しに頼んでみるとしよう」
三日後、準備を終えたギルバートは新設された領兵団を従え、セージ村へと向かった。
今回のとっておきは、ステラが設計した新しい設置式の罠だった。
地面に這わせた輪に足を入れた獲物を吊り上げ、無力化するものである。
既存の物より素材や色が工夫されており、輪の部分がより細く、より地面と一体化して見えづらくなっている。
また、異物感を感じさせないよう、煮沸したあとに取り寄せた地元の土に埋め、臭いを移している。
ギルバートが率いたブラックウッド領兵団は抜群の実績をあげた。
設置した罠は次々と魔狐を吊るし上げ、群れとしての行動を事前に潰した。
罠を躱して素早く走り回る個体には士官の指令のもと、四方から矢や槍が突き刺さる。
残った魔狐たちが即席で作った新しい群れによる立体的な攻撃も、壁になったギルバートが蹴散らし、大きな怪我人もなく全員が自分の足でブラックウッドへ帰還した。
後日、セージ村を再度視察した後でブラックウッド領主邸に寄ったウーリー伯は悔しげに言う。
「なかなか腕が立つようだ。さすがはアッシュバーンということか。
おかげで魔狐の数は大きく減り、あとは我々だけでも対応できるだろう。
村民も避難せずにすんだ。
正直助かった。報酬には色をつけておく」
「ステラにもらったこの眼鏡のおかげでよく見えましたので。
授けてもらった罠もうまくはまりました。
そう考えると、全てステラの功績です」
ギルバートは誇らしげに眼鏡をクイッとする。
「それも聞いている。
ステラ、その新しい罠についてこちらには教えてもらえないのか?」
「お父様、こちらに内容を纏めておきました。今回の実践で有効性が認められましたので。
実物もいくつかお渡ししますわ」
ステラが設計資料をウーリー伯の従者に渡す。
「うむ、助かる。
ステラ、ギルバート、こちらは助けてもらった身だ。礼は尽くそう。
今後、なにか困ったことがあれば言ってくれ。できる限り力になる。
お前たちは家族だからな」
ウーリー伯がしかつめらしく言う。
ギルバートが嬉しそうに表情を崩した。
ステラはギルバートに身を寄せ、背に手を添える。
二人の距離が近い様子を見て、ウーリー伯はこめかみをビキッとする。