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『××色の巡る世界で』

冬色の心景

作者: 雨偽ゆら

「絆を信じれば、記憶は灰にならない……」


 真っ白い息を手の平に吐きながら、墓石に向けて独りごちる。

 唯一無二の親友の一人にして、最初で最後の想い人。ボクにとって最も特別な存在が彼だった。

 冷えきった指先で、墓石の文字をなぞるように撫でる。


「あ」


 間の抜けた声の後に、彼の視線を追った。雪だ。

 大気中の塵やゴミが入り交じり、灰色に濁った氷の粒が降ってきた。

 空気が汚れている都会では一面の銀世界は夢のまた夢……絵空事にすぎない。

 ボクらの世界で、一番人間の醜さが浮き彫りになる季節だ。


 亡霊という立場に甘んじているボクだからこそ、人の堕落や怠惰に視線が留まりやすい。

 彼はボクのせいですっかり堕落し、今年の春まで人生を棒に振っていた。

 ボクが消えてからの数年は部屋と心の扉を閉ざし、布団を被ったままひたすら自問自答を繰り返していた。

 どれだけ叱咤し、悲嘆し、嘲笑したとしても、耳を塞いだ相手には届かない。幽霊ならばなおのことだ。


 しばらくして、彼はボクに話し掛けるようになった。

 最初は他愛のない話。今日の天気はどうかとか、鳥の囀りが聞こえてくるとか、夕刻の鐘が鳴っているだとか……段々と外の世界について語ることが増えた。


 けれども彼は妹と違ってボクの姿を見ることも、声を聞くことも叶わない。

 彼は彼の世界のボク――幻覚と話しているんだと悟った。

 彼は精神とボクらとの記憶を分離し、幻のボクに与えたのだ。

 幻が心を宿したことで彼は一応の安定を得られたようだった。


 やがて学校に通えるようになったものの、外の世界への興味は消え失せ、人間関係を築くことを極端に避けていた。

 自分はただ学校と自宅を往来し、無駄に知識を蓄積するだけの機械だと言い聞かせるかのようだった。

 現世に取り残され、ただ無意味に生きることしかできない彼は心の時間が停止した。


 代わり映えしない生活の中で、彼は言葉に怯える少女に出会った。

 それは単なる偶然か、それとも運命だったのか……少女はボクが言葉の魔法をかけた女の子だった。

 すっかり大きくなった少女はとうにボクの身長を超えており、時間の経過を身に染みて理解した。

 少女は彼の中にあるボクに話し掛け、彼の心を僅かながらに動かすことに成功した。


 目に見えて彼を変えた存在は、人の目に映らない少年だった。

 ボクのように物理的に見えないわけではなく、影が薄くて人の記憶に残りにくいのが特徴の少年――魔法使いと話していた男の子だった。

 少年は彼の心の扉に鍵を差し込み、彼が記憶と共に封じていた感情という花を探し出した。

 目が覚めたら顔を洗うように、ごく自然に、当たり前のように。


 少女と少年の悩みに触れることで、彼はどんどん人間味を取り戻していった。

 そして――ボクの死を受け入れ、墓参りに訪れてくれるようになった。


「都会の雪は汚いな。お前もそう思うだろ?」


 墓石に少しだけ積もった雪を払いながら彼は苦笑した。


「俺の世界が灰色に染まってく。あの頃みたいだ……」


 自分の口癖すら忘れていたのに、ボクの口癖に重ねるように呟いた。

 親友である彼女が楓色の世界を歩んでいたように、彼は灰色に濁った世界で過ごしていた。

 まるで永遠に続く冬のように、過去と未来という名の道が雪で遮られ、現在に踏み止まることしかできなかったのだろう。

 けれども少女と少年に会うことで、世界の色は違う色になったようだ。


「さて――」


 墓参りを終え、彼は片付けをして立ち上がった。


「もうみんな集まってる頃だろうし、俺らも行くぞ。……うん、そうだね」


 それは繰り返された幻覚との対話。

 世間一般からすれば異様な光景だけれど、ボクを忘れないための儀式のようで愛おしい。

 幻覚だとしても、彼の心象を映す鏡として、いつまでもボクは現世に存在することができる。

 たとえ紛い物だとしても、ボクへの想いが造り出したことには変わらない。


          ☆☆☆


 彼が向かった先はとある一軒家だった。

 とても平凡な住宅街にある、木造平屋建ての庭付きの家。

 縁側と同じ提灯がぶら下げられていた玄関には、リボンとベルで飾られたリースが吊るされている。

 和風な外観には似合わない、カラフルに輝く電飾も飾られている。


「邪魔するぞ」


 彼が引き戸を開いて敷居を跨いだ瞬間、『パパパーンッ!』と破裂音が耳を劈いた。紙テープが身体に纏わり付き、周囲には紙吹雪が舞っている。

 クラッカーを鳴らした犯人はしたり顔で「あーっはっは!」と高笑いしている。


「ずいぶんと遅かったじゃないの!」

「ちょっと寄り道してたんだよ」

「言い訳は見苦しいだけよ?」


 彼に突っかかっているのは彼の先輩だった。

 彼を変えた――いや、彼に現実を突き付けたただ一人の人物だ。

 先輩だけが、誰も彼もが腫れ物のように扱う中で、遠慮という言葉を知らないほどの清々しさで幻覚の存在に切り込んだ。

 自身が少数派であるが故に、変に気を遣うことに嫌気がさしていたんだろう。

 先輩がいなければ彼は現実から目を逸らし続け、幻覚を亡霊だと勘違いしたままだったことだろう。


「まったく……みんな首を長くして待っていたんだからね」


 先輩に促されるまま居間へと進む。すると、見知った顔が揃っていた。

 ボクのことが見える唯一無二にして最愛の妹。

 ボクの死を目の当たりにしたことで、楓色の世界に囚われていた親友。

 言葉に怯えながらも彼の関心を動かした少女。

 人の目には映らなくても彼の表情を取り戻した少年。

 現実を突き付けることで彼に幻覚だと知らしめた先輩。


 もうボクが見守らなくとも、彼にはたくさんの仲間がいる。

 それが嬉しくもあり、寂しくもあり、混ざれないことが悔しくもある。


「俺の世界は騒がしくて眩しいほど、色んな色が入り交じった世界になったな」


 彼は亡霊であるボクと決別した時、世界の色を『色んな色が混じっている』と答えた。

 それが父の望んだ答えなのかはわからない。

 ボクにとってもその言葉はしっくりときたけれど、他人の答案用紙を写しただけじゃ赤点のままだ。

 ボクが見た世界だからこそ導き出せる、ボクだけの答えを探すための時間は――あと僅かしか残されていない。

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