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RAN 異界鬼神譚 -邂逅編-(休載中)  作者: 雪之丞
1章 邂逅
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5話 大事なお話

 ランと出会ってから五日。屋上で彼と話して以来、特に変化のない日が続いた。昼はいつも通り(あおい)と昼休みを過ごしたし、帰りは二人加わって四人でわいわいと帰路につき、帰宅するとまずは母の手料理を食べ、それから風呂に入って部屋に戻る。そうすると、しばらくしてランが窓から帰ってくる。どこに行っていたかと訊ねても、訊かないでくれと言うように無言で濁された。だが、怪我をしたりとか、何か派手なことをしたりして帰ってくることはなかった。

 そろそろ今月も半ばにさしかかり、藍は母から月に一度の小遣いを貰えたので、学校帰りに駅ビルに寄って服を物色した。もちろん彼のためだ。ボロになってしまった白いシャツと彼が着ていた時の印象を元にサイズを選び、黒い半袖のシャツとダークグレーのジーンズを購入した。彼の穿いていたブルーのジーンズは丈が短かったので、一つ上のサイズを選んだ。着替えていた時にチラと見えたウエストが細身だったので、合うか多少気になったが、緩すぎればベルトをしてもらえばいいと思い切った。

 ああ、早くも小遣いをこんなに遣ってしまったと多少後悔したが、心のどこかで浮かれている自分を否定することもできなかった。

 この日の夜、ランが帰った頃合いを見計らって、プレゼントだと言って服の入った紙袋を手渡した。彼はキョトンとしていたが、しばしの沈黙の後、ゆっくりと受け取って小さく礼を言った。……たぶん礼を言ったのだろうというくらい、短く、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で。

 翌日の朝、登校前に彼に提案した。

「ねえ、今日カフェでも行かない?」

 自分では、友達とお茶するくらいの軽い誘いをしたつもりだったが、こういう時、ランはいつも数秒間、静止沈黙するものだから、変なことを言ってしまったんじゃないかと焦ってしまう。

「……ああ」

 返事が聞けたことに安心して、藍は理由を続けた。

「学校が少し早く終わるし、みんな放課後は部活なの。……それに、これまでちゃんともてなしてあげられてなかったからさ」

 なんだか言葉の後半は貧乏くさい台詞だなと思いつつ、それは正直な気持ちだった。事実、彼の食欲の無さに頼ってしまってはいたが、客観的に見てもあまりに質素な食生活をさせていた。それは家族にも知らせていない以上仕方のないことなのだが、どうにかできないかとずっと考えていた。

「何が食べたい? 考えておいてね。じゃ、今日は駅ビル前に十六時待ち合わせで」

 気恥ずかしさから逃げるように、藍はランを部屋に置いて出ていった。昨日与えた服を着てくるよう言いそびれてしまった。


 約束の時間すこし前。

 最後の時限が終了していざ帰ろうとしたところ、担任に呼び出され多少時間を食ってしまった。今週は遅刻気味で登校したり、小テストの点数が振るわなかったりで、いつもと違う様子を心配されてのことだったが、藍としては今まさにそれどころじゃないから放っておいてくれと、どれだけ口に出して言いたかったことか。

 普通に歩いても間に合う計算だったが、どうにも早足で行かないと気が済まなくて、電車の乗り換えも駅に着いてからも駆け足で移動した。なにせ、ここのところは大人しいが、基本何をしでかすか分からない相手だ。なるべく早く会っておいた方がいい。

 土曜に入った駅ビルの入り口で、彼を見つけた。着ていた服ですぐにわかった。思わず彼女は顔を綻ばせる。

 駆けてくる藍に気がついたようで、柱にもたれかかりつつランも振り返る。

「ごめん、待った?」

 若干、息切れしながら問いかけると、彼は眠たそうな目で、いや、と答えた。その目が暗いレンズの向こうにあったので藍は、おや? と目を見張った。

「それ、どうしたの?」

 問われて、ランはグレーの色付きメガネを取り外した。

「ああ、これは……拾った」

「拾った……」

 思わぬデジャヴに返事に詰まる藍。それ以上は問うまいと思った。

「……ま、いいや! 行こう! このビルの一番上、静かで美味しいところがたくさんあるよ」

 藍は苦く笑いながら先を歩いてビルの中に入って行く。ランもグラスを掛け直しその後をついていった。

 傍から見れば、女子高生と大人の男性が二人きりなどいろいろ疑わしいシチュエーションだが、兄だと言ってしまえば何のことはない。

 それでも藍は人目につくのを避けたくて、エレベーターで最上階のレストランフロアに行くことにした。

 ランはポケットに手を突っ込んで壁にもたれながら、扉の上方にある階を示す電光が、二階、三階と移り変わっていく様をぼんやりと眺めていた。彼の服装は、真剣に選んだ甲斐あって見事にぴったりだった。サイズの合っていなかった以前のシャツなどからは察することのできなかった彼の体格が、今度はそこにあるまま見て取れる。

 だが、我ながら選んだものが少しスタイリッシュすぎたか。これであんな色付きのグラスをしてくるものだから、余計におしゃれの度合いが増して、自分の冴えない制服姿だとどうにも釣り合わないような気がしてくる。そう思ったからか、無意識からか、彼女がさりげなく半歩離れたのを、ランは気がついていただろうか。一言も交わさぬまま、目的フロアへの到着を知らせるアナウンスがスピーカーから流れた。

 エレベーターを降り、藍が先導して歩く。心なしか、相手に隣を歩かせまいと早歩きになっていた。

 一方、ランはといえば、物珍しそうにフロアに並ぶレストランやカフェを一軒一軒観察しているようだった。それと同時に、様子のおかしい相方のことが気になり、スッと体を彼女の脇へ滑り込ませる。

「——どうした? 俺、何かしたか?」

 ビクッと思わず飛び退くほど藍は驚いた。慌てて吃りながら答える。

「あっ、いやいや! 違うの! ランは何もしてないよ。ただわたしが……わたしのことだから、気にしないで!」

 それから誤魔化すように背を向けると前方を指差しながら、あそこのカフェに行こう、とさっさと歩いて行ってしまった。

 そのカフェのエントランス。店員と店内の女の視線が気になってかなわなかった。気にしすぎといえばそうかもしれないが、彼の長い脚だとかうっすら見える青い眼だとかが、おそらくルックスの良い外国人タレントでも彷彿とさせるのであろう。「こちらです」と席に案内するウェイトレスが、自分ではなくランに向かってしきりに愛嬌を振りまくのが鬱陶しかった。

 窓辺の二人用テーブルに向かい合って腰掛ける。……そのまま、藍は気持ちを改めようと試みたが、その間完全に無言になってしまった。

「お決まりになりましたら、お呼びくださいませ」

 ウェイトレスがメニューと水の入ったグラスを運び、一連のマニュアルを終えうやうやしくお辞儀をしてエントランスに戻っていく。

 最初の一言はランからだった。

「……あるのか?」

 藍は、少し迷って、なにが? と訊ねた。

「……お金だよ。俺は持ってないよ」

 あっけらかんと言われて拍子抜けしたが、思い直して答える。

「ああ、大丈夫。お小遣い貯金してるから」

「……そうか」

 ちょっとした会話だけで空気なんて簡単に変わる。藍は拍子抜けしたついでに気分を取り直し、笑顔に戻ってメニューを広げ料理を物色し始めた。

「なに食べたい? なんでも良いよ」

 ランも、藍に倣って目の前にあるメニューをめくる。

 カフェレストランだから、コーヒーや紅茶などの飲み物からパスタやサンドイッチといった軽食まで揃えている。中でも目を惹くのは、トップに大々的に添えてある期間限定メニューだった。色とりどりのベリー類が盛り込まれた分厚いパンケーキ。ランは目に入ったそれをじっと眺めていた。

「決まった?」

「…………」

 藍は、迷っているのかな、と相手の目線の先を覗き込む。

「美味しそう……食べる?」

 彼女はラッキーだと言わんばかりに表情を綻ばせながら言う。同時に、こういうのが好きなのかなと、ランが持つ意外性を発見したみたいでとてもわくわくした。

 じゃあ、と彼が返事するのを待たずにウェイトレスに声をかける藍。飲み物は、と訊ねられて、彼は適当でいいと言ったのでこの店オススメのカフェラテを注文した。彼女自身はといえば、学校帰りで空腹だったのもあり、ディナーメニューのパスタとドリンクのセットでカルボナーラとジンジャーエールを頼んだ。

 メニューを返し、厨房に向かうウェイトレスを見送ってから窓の向こうへ目をやる。このフロアは七階だが、見える景色は拓けていて、もっと高い階層にいるのではないかと錯覚させる。

 すると、机の上で組んでいた手の甲をツンツンと指先でつつかれた。

「話しておこうと思う」

「へ……?」

「……話そう。俺のこと」

 決心したように出だしからはっきりと告げられた声に、またも拍子抜けする。

「……あ、うん。お願い」

 言われた意味がわかって安心した彼女は、改めて好奇心の笑顔を浮かべた。

 ——どんなことを言われるんだろう。どこまで話してくれるんだろう。信用してくれたということなのか。そう思うととても嬉しかった。

 ランは、深呼吸ひとつして真っ直ぐに彼女の眼を見据えた。空気を読めずニヤニヤしてしまったことを恥じて、彼女は肩をすくめた。

「俺は、この世界の人間じゃない」

 思った通りの出だしから入った。藍はふっと思わず口角が上がってしまうのを悟られないよう顎を引いた。

「人の間で、マホロバとか、ファンタジーとか呼ばれるものがあるだろう。異世界の象徴みたいなものだ。そういうところから来たと思っていい」

 だってそういう見た目してるよ、と心の中でツッコんでみる。

「……とは言っても、そういうものはこちらに馴染みがないわけじゃない。空と海と大地がそれぞれ住人を有し独自の世界を持つように、俺が生まれた世界もその延長にある。見た目が違ったり、こちらでの常識が通じないだけで、何にも変わりはないんだ」

 いつになく穏やかな表情と口調で話す彼に、自然と真剣な気持ちになる。

「ただ、俺自身が異質であることは認めざるを得ない。言ってみれば、特別な役割を任された存在だ。——こちらの世界には、その役割を果たすために来たはずなんだが……どうやって来たか、何をするために来たのか、思い出せない」

 彼の視線が少し俯いた。藍はどう相槌を打てばいいか困って、結果的に黙ったまま次を待っていた。

「〝力〟も使えなくなってしまったし……けれど、なんだかお前のことは——」

 ウェイトレスが、「お飲み物をお持ちしました」と言ってカフェラテとジンジャーエールをテーブルに置く。唐突にその声とグラスの音が頭上から響いたものだから、藍は乗り出し気味だった姿勢を後ろに引き、ランは口を噤んでしまった。空気の読めないウェイトレスは、すぐに料理を持ってくると言って戻っていく。

 しばらく緊張感と沈黙が続いた。じっとグラスを見つめていた藍は、氷がじわじわと溶けて水がジンジャーエールと交わっていく様子に、せっかくの味が薄まってしまう危機を感じて手をつけた。それを見たランもカフェラテのマグをもたげると、その表面に浮かぶコーヒーとミルクの色が綺麗に渦を描いた泡に一瞥を加え、音を立てずに一口啜った。

 そんな彼の一挙手一投足を、ストローを口に咥えながら、相手がカフェラテに集中しているのをいいことに惜しげも無く見つめていた。そんなふとした瞬間、この人物を画面越しに遠くから見ているようで、相手の吐息さえも感じる場所に自分がいるなんて、とても信じられなかった。

 マグを唇から離した時、カフェラテだとその口元に泡がつくのはよくあることだが、彼はそれを指を揃えて拭うと、そばにあったペーパーの束から一枚取り出して泡のついた指先を擦った。

 この人の口調のぶっきらぼうさや表情の硬さ、たまに見せる目つきの悪さはさておいて、概ね物腰は柔らかい方だ。挙動もおとなしく、テンポはゆっくりとしている。異世界から来たにしても、多少マナーはあるみたいだし、見た目の良さが相まって余計に上品な印象だった。しかしそれでいて、たまに野性味のある仕草をするのは、これまたギャップというものであろうか、藍は面白くて目が離せないでいた。

 そうこうしているうちに、ウェイトレスが注文の料理を運んで来た。

 藍は、とりあえず食べよう、とシルバーの入った小さなカゴを相手の前に差し出し、自分もそれらを取ってパスタにありついた。

「……それで、その〝力〟って、どういうものなの?」

 クリームを絡めたパスタを頬張りながら、藍は明るい口調で問う。ランはまだベリーの山が乗ったパンケーキを物珍しげに眺めていた。

「ああ……」

「……食べなよ。生クリーム溶けちゃうよ」

 藍は正直いって自分がそれを欲していたのもある。もったいないと主張したいが、相手はおもむろにナイフとフォークで端っこを控えめに切り取って食べ始め、言い出すタイミングを失った。

 食事を進めつつ、ランが一度シルバーを置いて回答を始める。

「俺の役割というのは、世の中のあらゆるエネルギーの均衡を保つことだ。そして、そのための〝力〟を持っているということになる。世界は、一瞬も狂わずに時間が進むわけがなく、どこかで必ずバランスが崩れる時がある。エネルギーの流れを通してその(ゆがみ)を見つけ、原因を探る。放置しておいて差し支えなければそのまま触れないし、矯正が必要ならば武力行使する」

「……闘うの?」

「ああ。膨らみすぎたエネルギーは周辺を巻き込んで増殖し、破滅を招く」

 ファンタジーかよ、と未だに信じきれていない藍はそれでも興味があった。

「具体的には、あなたの〝力〟、どんなことができるの?」

「……話したところで、実際に見なければ理解できないだろう?」

 呆れたように答えられ、それもそうか、と藍は押し黙る。

「基本的にはエネルギーの吸収と放出。膨れたエネルギー源から余分なものを吸い取って、代わりに減退している部分へ流し込む。ベースの役割はこれだけで十分に果たされる」

「……大変そうだね」

「そうでもないさ。空気の流れや大地の鼓動に神経を集中していればいいだけだから」

「うーん……でも、疲れそう」

「……そんなことないさ」

「ふーん……」

 否定ばかりで返され煮え切らない気持ちに眉をしかめる藍に対して、ランは面白そうにフッと笑ったようだった。

「……でも今は、吸収ができない」

「え?」

「吸収ができなきゃ放出もできない。無理やり押さえつけられている感覚だ」

「あの……あの足の速さは〝力〟のうちじゃないの? ほら、屋根から屋根へ跳んでっちゃったりできるじゃない。……そういえばテレビでも足技が凄かったって……」

「それは、俺がもともと持っている力だよ」

 表情は笑っていないが、眼鏡越しにどことなく愛おしむような眼差しで見られ、藍は胸のあたりがこそばゆく感じられた。

「……じゃあ、どうやったら取り戻せるの?」

「それをずっと探っている」

「……役割は今はお留守番でいいわけ?」

「よくないさ。早く戻さないとまずい。だが問題は、こちらに来たのが俺だけじゃないってことだ」

「……?」

 やや不穏な空気が流れる。

「よく『白黒つける』っていうだろう? これを大々的にやる〝(まつり)〟があってな。そこで俺は白だとしよう。大将がいて、そいつの駒がたくさんいる。その駒たちを率いているのが俺だ。で、敵は黒だ。黒の親玉ってのは怖い奴で、自分の駒を使って白に所属する俺たちを殺しにくるわけさ。中でも白の駒たちのトップは切り札で、真っ先に殺せるか否かってのが奴らの戦況を左右する」

 つまりだな……と続けようとするランを、藍は危機感を覚えて遮った。

「待って待って!……つまり……あんたを殺しに——」

 急に周囲の視線が気になって見回したが、特に誰もこちらを見ていないようだった。

「……殺しに来る……ってこと?」

「ん」

「そ、そう簡単に肯定しないでよ……!」

「いや、本当さ。いまの俺が出せる脚力だけじゃ奴らの誰にも対抗できない。だから問題なんだ」

「問題……その敵もこっちにいるっていうこと?」

「そうだな」

 まだイマイチ掴めない部分があるが、藍は努めて頭を回していた。

「どんな……」

 ……形だろうか。どんなものを敵と呼んでいるのだろうか。いろいろ考えたが、どう訊くのが最適か計りかねた。

「敵の形は特に決まっていない。普通の人間にも化けるし、空気に溶け込んでいたりもする。あいつらは負の感情やエネルギーを纏うから、人ならば他人を妬み、憎み、蔑むし、空気ならばその気配を持った人が寄り集まって不幸を起こす」

「へえ……」

「そういう感情や空気は本来、人間のように理性を持つ生き物ならば少なからず必要なものだ。適度な負荷が掛かって、人間的に成長していくものだろう? 奴らはそこにつけ込んで負のエネルギーを増幅させ、正常な感覚を蝕む。結末として、精神の闇堕ちを通して世界を混沌へ持ち込むことを目的としているんだ」

 言っていることはどちらかというと哲学的に聞こえる。まるで教訓としてのたとえ話のようだ。

「……〝力〟が戻ったとして、『黒』の人たちにどうやって対抗するの?」

 藍は目の前にある食べかけのパスタのことを忘れ、おそるおそる訊ねた。

「……殺すのさ」

 その低い声に寒気が走った。ずっと彼の顔を見ていたはずなのに、いつ変わったのか、その目は覚えのある殺気の塊となりこちらに向いている。……いや、正しくはここにはいない遠くの敵を見据えているようだった。

「……駒っていうのは、時に相手を倒すことも役割として担っている。白に属するもの……とりわけ大将は不殺がモットーだが、実際そんなに甘くはない。汚れ役かもしれない。けれど必要なことだ。俺は均衡を破り、世界を危機に陥れる連中は残らず殺すよ」

 自分を殺しに来るものたちの話とは比較にならないほど、その気迫には信憑性があった。冗談や奇談をしているのではなく、いわば〝ガチ〟——本気なのだ。

「……わたしには……」

 藍は、困惑気味に俯いて、小さく呟いた。

「わたしには、何ができる?」

 犯罪率も高くなってきたこの世の中で、正常な人間ならば簡単に相手を殺すとか言ってはいけない。殺るか殺られるかなど、いつの時代の話だろう。そんなことも心の片隅に、自分がこの人の犯そうとしている行為を戒めるべきなのか、それとも加担して役割の達成を手伝うべきなのか、半信半疑が残っているままでは下手なことは言えないと思った。

「……何もしなくていい」

「……へ?」

 殺意のこもっていた瞳は、平穏で眠たそうなブルーに戻っている。

「人に見つかるリスクを冒しながら、宿と食事を提供してくれている。それだけで十分だよ」

「…………」

「むしろ世話と迷惑をかけてしまっていること、すまないと思っている。まずはどこかで、独立して過ごせるようにしないとな」

 現実的な色味を帯びてきた話題に、思わず頰が緩む。

「でも、お金とかないとどうにも……」

「ツテはあるよ。連絡するすべが無いが、知り合いはいる。何度かこちらに来たことはあるからね」

 あ、そうなんだ、と藍は再び冷めかけたパスタを頬張る。相手のパンケーキに乗っていたクリームはもう元の形を保っていないほどに溶け崩れてしまっている。

「そいつに会えれば、少しはまともな生活になりそうなもんだ」

 藍は咀嚼しながら頷いたが、まだ不安が残っていた。

「……でも、やっぱり何か手伝いたいよ」

 自分でも、何もできないことくらいわかっていたし、こんな突拍子もない話を聞かされてまだ把握しきれておらず、手伝ったところでろくなことにならないかもしれないとも思っていた。でも、そういう言葉が出てきたのはおそらく、心のどこかに棲みついてしまった好奇心と、早くも湧いてしまった彼への妙な愛着があった故だろうか。

「……なら、武器を探してくれないか」

 ほんの少し考えてから、彼は言った。

「武器?」

「ああ。こちらに来た時にどこかに落としてしまったらしい。無くても〝力〟が戻ればなんとかなるが、あった方ができることは多い」

「なるほど……どんな武器なの? 形が分からなきゃ探せないけど……」

「鍔のない刀だよ。まあ、壊れているかもしれないから、綺麗に見つかれば儲け物だ。探しものがあれば、お前もいい暇つぶしになるだろ」

「ひ、暇ってわけじゃ……」

 彼は話をしていた時の前傾姿勢を解いて、ナイフとフォークを手にパンケーキの味わいを再開した。まだたくさん残っているのに冷め切ってしまったであろう、哀れなクリーム浸しのパンケーキは、いつの間にか残り一枚もないほど食されていた。

 ——あれ? いつ食べてた?

 藍が突然おろおろと落ち着かなくなったのを見計らったように、ランはシルバーを手元に置きつつ言った。

「食べていいぞ。俺はもういい」

 予想外の言葉に、些細な欲望を見透かされたようでとても恥ずかしくなった。が、なんとなく、自分に嘘をつくとまた怒られそうな気がしたので、遠慮なくもらうことにした。

「あ、ありがとう……いただくね」

 精一杯の笑顔で相手のプレートに手を伸ばす。自分のパスタもまだ完食していなかったが、もう冷めているし、どうでもよくなっていた。

 ……と、プレートに伸ばしたその右手に、温かいものが触れる。

 藍はびっくりして引き寄せかけていたその手を止めた。そして、手の甲に感じる相手の肌の感触に、そのまま身動きが取れなくなってしまった。

「あ、あの……ラン?」

 彼は左手で包み込むように藍の手に触れていた。でも、その目線は下方に向き、虚ろで焦点が合っていない。

「……やっぱり、思い出せないな」

 彼はそう呟いて手のひらを退けると、眼に光を戻しそばにあった水を一口含めた。

 放心状態の藍は、自分の顔が死ぬほど赤らんでいるのではないかと、この時はまったく声も出なかった。



6話へ続く

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