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RAN 異界鬼神譚 -邂逅編-(休載中)  作者: 雪之丞
1章 邂逅
4/44

4話 優しさの片鱗

旧9〜10話結合しております。

旧9、10話は削除します。内容は変わりません。

 まもなく日付をまたぐ頃合いの時間、すでに消灯しベッドで横になっていた藍の耳に、窓がカラカラと開く音が届く。

 ——帰ってきたかな。

 友人たちが帰ってから二、三時間は待っていたが一向に帰宅する気配がないので、仕方なく寝る準備をして横になり過ごしていた。疲れもなくはなかったが、気になりすぎてすんなり寝入ることもできず、数分ごとにスマートフォンの画面を開いては時間を確認していた。

 もぞもぞと布団から起き出して窓の方を見る。

「おかえり」

 すでに見慣れたあの青い眼が見えたので、暗がりでもすぐに彼だとわかった。

 藍は、ベッド脇の小さなランプをつけようと手を伸ばす。

「……いい。寝ろよ」

 いつになく声色が優しく感じられた。しかし口調も低い声もたしかに彼のものだった。藍がランプから手を離すと、彼はゆっくりと近寄ってきてベッドのすぐ脇に座り込む。

「遅かったね。どこ行ってたの?」

 まだ眠くなれない藍は、横になろうとする彼の頭に声をかける。しかし反応はなく、彼は向こう側に体を傾けてすぐに寝息をたて始めてしまった。

 無防備な寝姿は、彼がここにきて何度目だろうか。まるで宿を見つけた野良猫のようだ。

 指先でその髪に触れる。わからないくらいに、そっと。しっとりとして、それでいて滑らかな触り心地。藍は、まるで長毛の獣に触れているような気持ちになって、延々と毛先をいじっていた。


 翌朝。先に目を覚ましたのは彼だった。

 藍は、ガサゴソという衣擦れの音と差し込む陽の光に促されて渋々目を開けた。彼の髪をいじっていた格好そのまま、ベッドの脇に片手と頭をはみ出して眠ってしまっていたらしい。

 うっすら瞼を開けると、彼の寝ていた床に白いシャツが転がっている。そのシャツはところどころ生地が破れ、赤みがかった汚れが付いている。

 ——血?

 うーん。たしかに血痕にも見える。と思って、背筋が凍りつく。

「……ラ、ラン!?」

 ばっと体を起こしてみると、彼は見慣れないぴっちりとしたスーツを、扱いにくいのかグイグイと押したり引いたりしてようやく爪先まで脱ぎきったところだった。

「ん?」

 キョトンとしてこちらを振り向く。

 藍は再び、別の意味で背筋が凍った。

「ちょ、わわわわ、わあああ!」

 支離滅裂な低い悲鳴を上げながら、藍は被っていたブランケットを彼に向かって投げつけた。そのほかにも、枕だとか、椅子にかけてあったカーディガンだとか、色々なものを目を瞑りながら彼の方へ放り出した。

 仕方ない。裸だったから。

「おい、どうした」

 無頓着過ぎはしないか。仮にもここは一応女子の部屋。なんでそんな格好をしているんだ……? 寝ぼけていたはずなのに、一瞬にしてすっかり目が覚めてしまったじゃないか。

「どうした?……じゃないよ! 服着て、早く!」

 さまざまな布を被せられ、彼の白い身体は首から上を残して覆われてしまった。

 ドアの向こう、階下から声が響く。

「藍ー、どうしたの? 叫び声がしたけど……」

 母だ。藍は焦る。

「あ、えっと……大丈夫! 虫……ク、クモが出たの! いま潰した!」

 あら、そうだったのねー、と母は何事もなかったように階下へ戻っていく。

「はぁ……」

 朝からすっかり疲れてしまった。改めて変態な居候君の方を振り返ると、彼はやはり首を傾げながら、俺はどうしたらいい? と訊ねるようにこちらを見ていた。

 記憶に印象深い殺気立った怖い眼ではなく、眠たそうな、何も考えていないような半開きの眼。まるで同じ人物とは思えない表情の差だ。普段もあまり表情筋が柔らかい方ではなさそうなのに、不意に恐ろしくなったり、穏やかになったり、奇妙な奴だなと思う。

「と、とにかくなんか着てよ。これ……シャツ、どうしてこんなに汚れてボロボロなの? 夕べ何があったの?」

 ところどころ血のついたシャツを見やりながら訊ねる。続いて、声を震わせながら問う。

「怪我したの?……それとも誰かに怪我させたの?」

 彼は視線を逸らした。口元を引いて、困ったなというように自分の背中を彼女の方へ向ける。藍は、直視しないよう顔を逸らしつつ、横目で露わになったその背を見た。

 白くて細い背中の数か所に、治りかけの切り傷が見えた。擦り傷らしきものも見え、まだいくらか赤らんでいる。

「昨日、ちょっとな」

「ちょっとな、って……おとといみたいな一件、マジで勘弁してよね……」

 藍は、昨日の女子会の際に見た動画を思い出しながら、ああいうアクロバットは画面越しならまだしも、実際に目撃するとただ事ではなくなる感覚を想像して身震いした。この人には、テレビの中のアクションを素でやりのけてしまいそうな危機感がある。いや、すでに夕べの時点で何かやらかしたらしいことに愕然とした。

 そういえば、と彼は口を開いた。

「お前の、電話か……? それ、ずっと鳴ってたぞ」

「え、ああ……スマホね」

 はたと気がついて、今日が月曜であることを思い出した。鳴っていたのはアラームだ。画面に表示されていたのは……登校のため家を出る時刻だった。

「ひぇっ? うっそ……!」

 やばい! と焦るままに言い捨て、じっと見つめる居候君に構わずパジャマを脱ぎ捨てる。

 ——まったく、どっちが無頓着なんだか。

 布にくるまったままボーッと見つめる彼を差し置いて、藍は高校の制服にすっかり着替えてしまうと、その場にあった学校鞄とスマートフォン、時計を手に取って、激しくドアを開け飛び出していく。バタバタと階段を降りていく足音が遠くなる。——ものの数秒後、今度は足音が近くなってドアが再び激しく開けられた。

「ラン、わたし学校に行くの。連絡取れないけど、今日はおとなしくしててね! お母さんも多分ここには入らないと思うけど……万が一来たら隠れるか、窓から出て。なるべく早く帰るから」

 まるで飼い犬に念を押すような口調で一気に言うと、返事を待たずに彼女は行ってしまい、バタンとドアの閉まる音とともに静寂が訪れた。


 リビングのテレビ。リポーターの声。女性がインタビューに答えている。

「——では、その男性にいきなり試着室に連れ込まれ、初めはその人が強盗かと疑ったのですね?」

「はい、そうなんです。そうなんですけど、そのあと入ってきた二人組が本物で。彼、飛び出して行ったと思ったら蹴りであっという間に二人とも倒しちゃったんですよ」

「へぇ、その場で?」

「はい。でも一人がしぶとく立ち上がって、外に行ったかと思ったら……今度は車が突っ込んできて!」

「……その車は、お店の外で大破していたものでしょうか。いったい何が起こったんですか?」

「たぶん、あの人がやったんだと思うんですけど、正直、なにをどうしたのかは分からなくて。彼、店の外に出て行って、車の前でこっちに向き直ったんです。……気がついたら車が動かなくなって、犯人も気絶してました」

「その男性というのは、どこへ?」

「車を止めたあと、すぐにどこかへ行ってしまいました」

「何か、言葉は交わしましたか?」

「いえ……わたしもすっかり腰が砕けちゃって、声も出なかったので……」

「そうですか。顔は見ましたか」

「それが……お客さんとして来た時は帽子を深くかぶってましたし、強盗をやっつけてる時も動きが速すぎて見えなくて……」

「帽子というのは、手に持っていらっしゃるそちらですか?」

「はい。あとで警察に届けないと……」

 その後で、警察の面々がインタビュアーと女性の間に割り込み、映像は途切れ、スタジオのアナウンサーへ切り替わった。

「なお、この店の被害は一着のスポーツウェアのみとのことですが、その点も店員によって証言の食い違いが見られ、事実確認を行っている最中とのことです——」


 屋根の上。東に見えていた太陽は昼に近づくにつれ遥か上空に昇り、快晴の空で白く燃え続けている。

 ——感じられるだろうか。

 ランは、屋上の中心に走る縁に立ち、天高く右手を伸ばす。太陽はその掌と甲、手首、そして腕を照らすが、感じるものはただ陽光の眩しさと暖かさのみだ。

 ——この光にある力の流れを感じなければならない。

 しかし、覚えている感覚に近いものは今、微塵も戻ってくる気配がない。

 耳元を吹き抜けていく風に対しても、ある方角からある方角へと移動していく空気というだけ。

 ——風も太陽もダメならば、大地はなおさらだろう。

 じっと、コンクリートの灰色に覆われた道路を見つめ、過去に焦がれるように歯をくいしばる。

 ——辛抱だ。いつかどこかで答えがわかるはずだ。


 ……——


 どうしてこうなった。

 屋上。階下では他の生徒に見られる。

 貯水タンクの足元、二人して肩を並べ腰を下ろし仲睦まじく——……なわけなかった。

「どうしてあんたがここに……?」

 苛立ちと焦燥にかられ眉間に皺を寄せつつ、藍は傍の人物に問いかける。

「忘れ物を届けに来た」

 うん、それはありがとう。と、うわべだけの礼を述べると、本題に入ろうかと言わんばかりに真剣な面持ちで彼女は相手を睨み据えた。

「どこからどうやってついて来たの? しかもそんな格好で」

 相手——ランは、グレーのタイトな全身スーツに、紺色のカーディガンを羽織っている。

「それあたしのだよね?」

 カーディガンを指差しながら問うと、さも何が悪いのかといった無垢な面構えで、さっき投げてきたじゃないか、と彼は答える。

「じゃあ、それは? どこで拾ったの? 新品みたいだけどさ……」

 今度は彼のスーツを指差して問う。

「ああ……貰った」

 藍の表情が強ばる。

「もらった……?? どういうこと?」

「昨日助けた女にくれないかと頼んだら、うんと言ってくれたので」

「助けた……?」

 藍は、嫌な予感は本当だったと、内心愕然とした。

 朝、遅刻ギリギリで朝礼に間に合い、クラスに飛び込んだ。その時から、クラス内のあちらこちらからこの週末の出来事を噂する話し声が聞こえて、始終落ち着くことができないでいた。その話し声の中には、あの商店街でのひったくり捕獲劇以外にも、そのすぐそばにある駅ビルの一角で強盗未遂事件があったらしく、その双方に居合わせ、犯人を退治した人物像が似通っていたらしいという噂もあった。

 推測できることではあったが、信じたくはなかった。何故なら、その人物の実質住処になっているのが自分の部屋なのだ。誰もこのことを知らない。もし知られれば、絶対面倒なことになるし、目立つことは免れない。なんとか隠し通したかった。

「ああ、そっか。それ、あのスポーツショップのなのね」

 藍は、彼が着ているスーツの胸元に見覚えのあるロゴが付いていることに気がついて、全て悟った。

「やっぱりあんただったのね。あはは」

 不敵な笑みを浮かべて俯く彼女を、いけないことをした風には微塵も思っていない相手は目を丸くして見つめている。

「結構めんどうなこと起こすね? あんまり暴れられるとわたしは面倒見れないよ?」

 彼女は怒りに震えながら諭すように語りはじめる。

「あのね。こういうの、本当はそれなりのお金を払って得るものなの。たまたま強盗が店に来てそれを防いだからって、どさくさ紛れに貰えるもんじゃないのよ」

 相手は無表情でじっと聞いている。

「テレビじゃ、唯一の被害は一着のスポーツウェアだって言ってたらしい。……つまりそれでしょ。ダメだよ……まだ嘘か本当かって揉めてるらしいけど」

  一呼吸置くついでに彼女は、はあー……と大きな溜息をつく。

「しかも特撮顔負けのアクションだったとか、正体はスタントマンだとか、格闘家だとか色々噂されてるし。ほとんどあなたの話題でクラス持ちきりだったんだよ」

 昼休みの時間も、語っているうちに早々と過ぎていく。これで分かってくれるだろうか。……さっきから無言で聞いているだけで反論してこないから少し不安になる。

「——金を持っていなかったから、状況を利用した。あの女はちゃんと許可したぞ。それから、あいつらを打倒しなければ店は破壊されていたし、死人も出ていたかもしれない」

 淡々と反駁するランに、藍は一言も返せなかった。その通りだ。彼は合理的に動いているだけだ。

「……それに、強盗は偶然じゃない」

 最後の一言は、より耳元の近くで囁かれた。そしてその一言だけ、彼の声が他の音をさしおいて浮き上がった。藍は振り返りつつ、妙な胸騒ぎを覚えた。

「えっ——」

 言いかけて、チャイムの音が校内に響く。昼休み終了十分前を告げる予鈴だ。

 こんなことをしている場合ではない。彼がどうやってここまで来たのか謎だったが、このまま帰していいものか。こんな格好で街中をうろつけばいろいろな人の目に触れる。

 いつも昼食を共にするアオイにも苦しい言い訳をして出て来なければならなかった。


 ——そう、午前の授業の終わり頃。窓辺の席に座る藍は、視界の上方に妙な影を見た。ふと見上げると、二つの足らしきものが空を翔けるのが目に入った。一瞬、誰かが校舎の壁で遊んでいるのかと、知らせるべく斜め後ろの葵を振り返りそうになった。だが、よく考えるとその足が纏う靴に見覚えがあったのだ。とっさに藍は息を呑んだ。あいつだ、と確信して黙ることに決めた。

 このクラスの上は一つ上の学年の階になっているが、そこにいる生徒には気づかれなかったのだろうか。もしかしたら、科目によっては教室は使われていない時間だったのかもしれない。そう願って、授業が終わるとすぐに窓を開け屋上を見上げた。案の定、真上から覗くあいつと目が合って、藍は呆れ返った。

 そこで、いつものように昼食に誘ってきた葵にうまく言い訳して屋上まで登ってきたのである。

 屋上で対面するなり怒鳴ってやろうとしたところ、ランは、すっと何かを手渡してきた。これがまた、藍の弁当だというから驚きだ。彼女は今朝、慌てて出てきたために母が用意してくれていたそれを忘れていたのだ。


 さてその弁当も、ついに手をつけられずに昼が終わってしまおうとしている。どうしていいかわからず一人で逡巡していると、見兼ねたようにランが立ち上がってぼそりと言う。

「俺は帰る」

 慌てて藍も立ち上がる。

「いや、待って。どうやって帰るの? ここから駅まで歩いて電車乗り継いでうちの最寄まで行くのよ?……ていうか、逆にここまでどうやって来たの?」

 ランは振り向いて、おもむろに右手の人差し指を立て唇の前に添えた。

「他の連中に聞こえるぞ」

 彼は静かに続ける。

「それ、ちゃんと食べろよ」

 屋上の風は地上よりも激しく吹く。彼の顔は靡く髪で半分隠れてしまっていた。藍の肩下まである髪もまた、しつこく顔にまとわりついている。心なしか、彼の声に呼応するかのように風は強みを増している気がした。

 手元の弁当を見つめ返事をしあぐねていると、彼は風に流されるように身体を背け、軽く屋上の床を踏み込んでから音もなく高く跳び上がった。そのまま林立する建物の屋根と屋根を跳び次ぎ、あっという間に遠ざかっていく。

 人間離れした動き。それなのに、藍は驚きもせず恍惚としてその様を眺め、この僅かな時間、無になって時の存在を忘れてしまっていた。



5話へ続く

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