第36話 変革
堀北との早朝の勝負が終わり午前最後の4限目前の休み時間になった。なったといっても教室の騒がしさは変わらない。
交換制度がはじまった初日、学校内は混乱を極めていて、一部では暴力事件まで起こったりしたらしく教師陣はその対応に当たりつつもペナルティ落ちやら判定会議やら慌ただしいようで午前中はずっと教室で自習ということになった。初日からこんなんでうちの学校は大丈夫なのだろうか?
あれからクラスでの俺の生活は良い意味でも悪い意味でも大分変わった。
原因は言うまでもなく、俺と堀北とのやり取りだ。
俺とアイツのやり取りは今ではクラス内どころか学校中に拡散していた。
というのも支給スマホからアクセスできる生徒専用サイトのトップに今朝の部室でのやり取りがきちんと動画化されてアップされていたからだ。
そんなことが可能な犯人は部室設置の監視カメラ映像を入手できる唯一の人物である五十嵐生徒会長だけだろう。会長はこの学園の影の支配者といわれるだけあって、いつの間にか部室のカメラ画像を入手、編集してアップしていたようだ。2時限目中には上がっているという仕事の速さもさりながら俺の肖像権やらプライバシーやらを完全無視するという点も相変わらずだよ。
俺は後で会長に猛抗議してやろうと心に決める。
会長なおかげであの快適な部室が実現できているわけだが、それとこれとは話が違う。今回ばかりは今度発売される前期のアニメBDBOX総入荷してくれるまで許さないつもりだ。いや、それでもぬるい。壊された俺のプロコンも買い替えて貰っちゃおう。それくらいは全然許容範囲なはずだ。俺の広報の甲斐あってようやく部活に昇格したんだし、追加予算の融通も効くだろうしな。予算決定権も会長にあるし。
まぁそんな会長の計らいのおかげもあってクラスの雰囲気が変わったというわけだ。
まずは良い意味の変化として、俺は今まで休み時間とか基本的にゲームしてるかスマホでネットみてるだけだったんだが、いろんな奴が俺に話しかけてくるようになった。
とはいえ、浅野や鈴木なんかは俺に聞こえるようにあえて音量を上げて俺の動画を再生して俺のことをいじってくる始末だから良い変化ばかりではないけれども。
そんでもってクラス内の一番大きな変化といえばうちのクラスのカーストトップだったリア充の堀北、菊地が揃いも揃って特別措置を喰らったことだ。
クラスの人数は2人も少なくなった。なんだかんだでアイツらはムードメーカーなところがあったからいなくなればクラスの雰囲気はてっきり暗くなるのではないかと危惧していたんだが、むしろクラスは以前よりも活気づいていた。アイツら中心に騒がしかったクラスから各所で騒がしい感じに変化している。
アイツらどんだけ嫌われてたんだよ…。そう憐れみながらクラスを見渡すと以前との違いがよくわかる。
なるほど、今までは中心のムードメーカー的存在の声がでかすぎて堀北グループに所属しながらも堀北たちのご機嫌を窺っていたキョロ充も、堀北グループに所属できない下位カーストの連中も堀北・菊地2人の言動を注視するあまり黙っていることが多かったけれど、今はその必要もなくなったからそれぞれが好き勝手にしゃべれるようになったというわけだ。
ちなみに堀北の親友である菊地は俺の知らないところで昨日の時点で同行強制違反をしてペナルティ落ちしていたらしい。理由は堀北と同じく交換彼女のスペックに不満があるというものとのことだ。制度を使ってあわよくば小梢への鞍替えを狙っていた連中が揃いも揃ってという感じである。
こういったクラス内の事情はつい先日まで教室ボッチで情報弱者の俺の耳には一切入って来なかったんだけども、今は話しかけてくる奴が増えて、色々教えてくれるおかげでそんなクラス内の事情も知ることができている。
これまで俺はクラスメイトの誰と誰が付き合ってるとかすら詳しく知らなかったというのにアレとアレが付き合ってるとか、あそことあそこが交換になっているとか今は全部耳に入ってくる。クラスメイトのそういう情事とかを聞くと何故か妙にモヤモヤするというか不思議な気持ちになってくるな。
そんなことを考えていると今もまた俺に話しかけてくる奴が現れた。
「なぁ兼平の交換彼女ってあの法条さんなんだろ?」
「そうだよ」
そう聞いてきたのは俺のすぐ後ろの席の上條だ。色々情報を寄越した代わりに法条のことを教えろといったところだろう。
「いや、法条さんっていつも暑苦しい連中に囲まれてて全然姿が見えなかったんだけど、さっき兼平の中継に写り込んでるの見てさ、ビックリするくらい可愛くてビックリした」
「プッ、なんだよそれ。結局ビックリしてんのかよ。法条がどうかしたのか?」
「いや、、、よくよく見たらすごい可愛くって。なんか支えてあげたいかわいさっていうのかな、そういう雰囲気出ててさ。俺も例の会に入会したいなって思ったんだよ。あれに入らなきゃ全然接触もできないし」
「ああそういうことか。確かにあの会に入らなきゃ姿すらまともに見られないからな」
俺も朝、ふうちゃんをクラスに送り届けた際に分かったんだが、ふうちゃんは小坂含む親衛隊20人弱くらいと一緒に教室に入っていった。
あの様子じゃふうちゃんのクラスの男子はだいたいがふうちゃんの親衛隊と考えて間違いない。ごくごく一部、滝川とか他に恋人がいるリア充勢もいるようだが、そういう連中も含めて朝からお勤めしていたふうちゃんをみんなで仲良く出迎えていて、あのクラスは男も女もほぼほぼふうちゃんのファンといった感じだった。改めて考えるととんでもないクラスだ。
しかも親衛隊員は残り40人以上いる。連中は俺のクラス以外に綺麗に散っていった。そういう意味ではふうちゃんの親衛隊が一切いない俺のクラスもある意味凄い。
もちろんその理由は一つだ。
俺がその原因である人物の席の方をチラッとみると、案の定、その人物と目が合ってニコッと笑いかけてくる。確かにこんなことしてくれるヒロインが教室にいたら他のクラスのアイドルにうつつを抜かすわけがないよな。
逆に隣のクラス、イケメン大村がいるクラスに多めに入っていったのはその逆もしかり、ということなんだろう。
そんなこんなでうちのクラスは今まではあまりふうちゃんに注目していなかったようだけれど、どうやら朝の部室バトルライブ配信のおかげで認知度が一気に高くなったらしい。ふうちゃんは決してカメラの中央にはいなかったはずなんだが可愛い子っていうのはチラッと映るくらいの方が逆に気になるしな。だいたいカメラマンは小坂なんだ。今、ネットにアップされているほぼ俺と堀北しか映ってない無機質な定点撮りの部室監視カメラ映像と違ってこのクラスで放映されたライブ配信映像の方ではふうちゃんのラブリーな姿がばっちり映っていたに違いない。くそー、俺もなんか見てみたくなってきたぞ。
そんなわけで俺は今まで水無瀬派だった上條が法条派になろうとしている理由をなんとなく察した。
「そうそう。例の会に興味はあるんだけど、あれ入るには小坂とかいう奴の認可がいるらしいし、そこんとこどうなのかなって思ったわけよ」
ふうちゃんの親衛隊はふうちゃんのファンであれば誰でも入れるというわけではなく会員制だ。俺も今日、連中に認められて会員になれたが、入会条件は良く分からないというのが正直なところ。ふうちゃんの可愛さからするとふうちゃんに憧れる男子はもっともっと多くいそうだけれど、下手な奴が入って来ないように厳選しているようだ。
「小坂の認可は正直、俺もどうやってとれるのかわからん。色々判定基準はあるんだろうけどな。直接聞いてみたらどうなんだ?」
「紹介なしじゃ門前払いを喰らうから頼んでるんじゃないか」
「マジかよ。どこの会員制高級クラブだよ。小坂と折衝するまでにもハードルがあるのかよ。
ま、考えてみればそういう制限をかけないとひっきりなしになりそうだし、ある意味当然かもしれないな」
「そうなんだよ。頼むよ、あの様子じゃ仲いいんだろ?」
「そだな。仕方ないな。それなら…」
「ねぇ、何の話?小坂くんの紹介が必要とかなんとか聞こえたけど、それなら私がしてあげよっか?」
俺が放課後に引き合わせてやろうとしたところでさっき目が合った美少女がこっちにやってきていた。水無瀬は中腰で俺らをのぞき込むようにしながら俺らの間に割って入ってくる。クラスの雰囲気だけじゃなく俺への当たり方まで変わったのはおそらくこの水無瀬の影響だろう。
小坂の紹介という点も現在小坂の交換恋人をしている水無瀬に頼む方が早いといえば早いだろう。けれど、上條は突然の水無瀬の乱入に大慌てといった様子だ。
「いやいや!こっちの話!ももちゃんに関係ある話しじゃないから気にしないで」
「あ、ああ!男同士の話だよ。ま、気にしないでくれ」
「?
そう?なら良いけど」
水無瀬が残念そうにしながら席の方へ戻っていくのをみて上條はため息をつく。
「た、助かったよ、兼平。話合わせてくれてさんきゅー」
「まぁさすがに気持ちはわかるさ。
小坂については放課後に紹介してやるよ。アイツにはちょうど放課後部室に来いと言ってあるし、今日は水無瀬と俺の部室で合流することになるらしい。そのとき奴をちょっと外に連れ出して紹介するって感じでいいか?」
「ああ!スゲー助かる!さんきゅー!」
上條はそう言って俺に握手を求めて大喜びだ。
上條とは席も近いというのにこうして話すのは本当に久しぶりだ。
1学期の間はコイツが俺に敵意というかライバル意識をモロに俺に向けてきたこともあって絶縁状態だった。理由は俺が水無瀬と仲が良いから。上條は1学期末の告白フェスタのときに水無瀬にエントリーしていたはずで、水無瀬に惚れている人間の一人だった。
二学期に入ってからは水無瀬は隣のクラスの大村に持ってかれてしまったわけで、俺と上條は互いに水無瀬から選ばれずの残念組になったから、敵意を向けられることはなくなった。今は上條も新たな恋でも探そうとしているところなんだろうが、よりによって今度はふうちゃんの親衛隊入り、つまりはアイドルヲタクを目指すというのか。
コイツ、なんだかどんどんリア充から遠ざかってる気がするな。水無瀬の思わせぶりトラップにかかった俺と同じく自分の恋愛は当分こりごりといった様子で色々こじらせちゃってるようだ。
それはともかく、朝の一件もあって俺らの関係は完全にリセットされたということだろう。
俺もコイツと友達になるのはやぶさかではない。
むしろゲームでもリアルでもストレートにライバル意識を向けてくる奴は結構好きだったりする。水無瀬が好みのタイプな時点で俺とこいつは趣味も合うのかもしれない。それにふうちゃんのことも単純に外見だけというより、あの守ってあげたくなる純粋な内面からにじみ出てくるかわいさに気づいているあたり相当できる。俺を一方的にライバル視していたのは伊達じゃなさそうだ。
そんなコイツがふうちゃんの親衛隊になろうという相談を俺にしてるときに水無瀬が登場して大慌てしたわけだが、その理由は俺にはよくわかった。
水無瀬に告白までした上條がふうちゃんのファンになるための相談を水無瀬にできるはずがない。水無瀬本人はおそらく全く気にしないだろうし、むしろ振った相手が次の相手を探すというのは歓迎しそうな事項でもあるけれど、上條側からしたら告白した手前、そんなことは相談できないだろうし、同じ男としてそういうプライド的なものはわからないでもない。
俺が陰でフォローしとくしかないな。
「すまん、ちょっとトイレ行ってくるわ」
俺は席を立って斜め後ろを一瞥してから教室を出る。
トイレとは真逆の方向へ廊下を進み、部室棟に向かう渡り廊下に繋がる階段前の踊り場という、休み時間中は全く人が来ない場所で待っていると、すぐに目的の人物も追い付いてくる。
相変わらずアイツはそっちの方を向けばいつも目が合うし、わずかなアイコンタクトをしただけですぐに察してくれるとんでもない奴だ。こういうときには本当にありがたいのだけれど、コイツのこういうところはときどき俺のことが好きなのではと勘違いしそうになるから困りものだ。
俺に追い付いてきた水無瀬は俺の背中をぽんとタッチしてくる。
「どしたの秋人くん、呼んだ?」
「ああ、呼んだ。
教室じゃ話せる内容じゃないからな…」
「ん?もしかしてさっきの内緒話のこと?あれならなんとなく事情は察してるし、そっちに合わせるよ!
放課後10分くらい由依と話してから合流しようかなって思ってたとこ!」
「はは…相変わらずの察しの良さだな。
それも用件の一つだったけど、それだけじゃなくて教室の雰囲気がすっかり変わったことについて聞きたいんだけど。
これ、水無瀬の仕業だろ?」
「・・・・・・なんのこと?」
水無瀬は一瞬黙った後、視線を斜め上に泳がせてしらばっくれる。そっちがその気ならやってやろうじゃないか。
逃げようとする水無瀬を壁に追いやった上で、壁に手を付いて逃がさないようにする。さすがの水無瀬も普段水無瀬に良いように振り回されてる俺がまさかこんなことをするとは思いもしなかったらしく耳を真っ赤にして激しく動揺し始めた。今までは俺もこんな大胆なことはできなかったが、制度のおかげでこの一週間で相当女性に対する免疫が付いてきたから水無瀬に接近するくらい余裕だ。
俺は水無瀬がパニクっている隙に本音を聞き出すべく尋ねる。
「いやいや、上條含めて今まで俺のこと嫌厭してた連中がこぞって話しかけてくるとか、いくらクラスで嫌われてた堀北を俺が退治したからってそんな都合の良いことまで起こらないって。おかしすぎるだろ。
水無瀬、俺が朝、こっちに戻ってくるまでに一体何したんだ?」
「ううっ…。秋人くん、こんなの反則だよぉ。
ちぇ…せっかく内助の功的な感じにしときたかったのにばれちゃってたか」
水無瀬は視線をそわそわさせてもじもじしながらようやく白状した。
水無瀬は唇をツンと突き出してすぼめていて不満そうだが、その顔はちょっとだけあざと可愛い。その上、周りに誰もいないのもあって俺を下の名前で呼びながら内助の功とか仲の良い夫婦を表す言葉を使って俺を動揺させてくるおまけつき。
って、俺ってば水無瀬に何やってんだよ。我に返った俺は慌てて付いた手を壁から離して背中を向けて距離を取る。
「わ、わかるに決まってるだろ。水無瀬は俺の親友なんだし、この学校の中じゃ一番付き合いの長い相手なんだから。お前のことは良く分かってるんだ。どうせ俺のために色々働きかけてくれたんだろ」
「ふふふ。よくわかってるかぁ。そうだよねー!私たち仲良しだもんね!
うりうりー!」
どうやらいつの間にか攻守交代したらしく、今度はこっちの番だといわんばかりに水無瀬は背中を向ける俺ににじり寄って肘で背中をうりうりとつついてくる。そういえばこういうじゃれあいも一学期はよくしてたけど、二学期に入ってからは全くしてなかったな。
昨日のダブルデートを機に俺らの関係もギクシャクしたものから少しずつ元通りに戻りつつあるらしい。俺が向き直ってその肘を受け止めると水無瀬は肘鉄をやめて真剣な表情をしてから優しく微笑んだ。
「うん。私の方で説明していろいろ誤解解いておいたよ」
「やっぱりそうだったんだな」
「うん。でもそれだけじゃないよ。
秋人くんの話が皆に間違いなく響いたんだと思う。私もそうだし、多くの女の子が今日の秋人くんと堀北くんのやり取りをみて安心したもの…。だから今のこの状況は秋人くんが作ったんだよ。私はそれをサポートしただけ」
「…俺は別にそんな凄いことは何もしてないけどな」
「またまた!とぼけても無駄よ。私にはすぐにわかったもの。
秋人くんが堀北くんにしたあの話、あれが一体誰に向けてした話だったのか」
「・・・・・・。」
「ほら、黙るってことはやっぱりそうだったんだね。ホントわかりやすいんだから。
自分から言わないなら私が言ってあげる。
秋人くんは自分で仕組んだことなんだからライブ中継されていることはわかってた。だから普通はカメラの前で余計なことは言わないよね。
けれど、秋人くんは皆が見てる前で問題発言をした。あれを言えばカップルたちの半分くらいを敵に回すかもしれない発言を。
秋人くんはわかっていたのに私たちのためにあえてあれを言ったんだよね?」
水無瀬は俺を真っすぐに見据えて俺の真意を確認してくる。
チッ。どうやら付き合いの長い水無瀬にはわかってしまっていたらしい。
あのときの俺は、今まで学校内で目立つことをしてこなかった俺としてはらしくないといえばらしくない発言、いや、一方的な持論の展開をした。俺が先生に頼んで堀北を問答無用でバッサリ斬ってもらうこともできた。けれども、俺がカメラが回っているところであえてあんな語りをした理由は一つだった。
俺は今日まで恋人交換制度という制度を甘く見ていた。
色々な相手と付き合えるという出会いにもドキドキするし、どんな風に楽しませてやろうかと考えるのも楽しいと良い面ばかりを意識していた。
けれども、朝の学校を見て、それは間違いであること、甘い考えだったと気付かされた。
この制度が見せた現実はそんな甘っちょろい夢物語じゃなく、酷く厳しい現実だった。
あるカップルの間では、お互い両想いでラブラブだったというのに制度によってある日突然引き裂かれ、制度に対する怒りが爆発していた。今朝、制度に納得いかない連中が教師に詰めかけるその姿は場合によっては暴力沙汰にも発展しかねない程の危険なものだった。いや、実際に暴力事件は起こっている。
しかもそれだけじゃない。交換恋人はとんでもないリスク要素で不安要素だと知った。交換恋人が何をしてくるかわからない、これから相手とどう過ごせば良いのかわからない、そういった不安が周囲に渦巻いていた。
交換恋人の相手は全く知らない見ず知らずの相手で、趣味嗜好も本恋人とは全然違う相手。そんなのといきなり付き合えと言われて皆が対応を戸惑っていた。ある意味当然だろう。
しかもその相手はきちんと付き合わないと0点を付けられ、ペナルティを受けるかもしれないハイリスクな相手でもある。
そういうわけで致し方なく制度に参加したとしても、今度はこれは浮気にならないのかと不安を覚えるだろうし、そういう意味で本恋人からの視線も気になるだろう。しかも、自分は自分で本恋人の様子も気になる。
そういうパニック状態が本恋人、交換恋人みんなごっちゃになって先生に詰め寄るという朝の混沌に表れていたし、先週の仮シャッフルのときに寺本が一瞬見せた不安げな顔、今日の後輩ちゃんの泣きそうな表情、あれもまたこの制度に対する不安の表れだろう。
制度の影響はそれだけじゃない。そういう不安に便乗して制度をうまく利用して、食い物にしようとする堀北のような奴らもいる。
俺は今朝、そういったこの制度の真実、現実を目の当たりにしたわけだ。
この制度は当初皆が見ていた楽しそうな妄想とか夢とか希望そういったものは全然皆無なクソ制度だということが1日にしてはっきりわかってしまった。
この制度で苦しんでいる奴が大勢いる、それがわかった俺は、苦しんでいる人たちを少しでも安心させられるよう、ライブ配信されていると知りながらもあえて2つの新しい視点を皆に提供することにした。
一つは、交換恋人に取り組むことは浮気ではないし、本恋人との付き合い方の一つの形だという視点だ。こういう考えが浸透すれば、交換恋人との交際に対する不安や戸惑い、少なくとも交換恋人と過ごすことへの抵抗感は薄まるだろう。そもそも交換恋人自体全くNGといった今朝みたラガーマンみたいな奴もいなくなるんじゃないだろうか。
そしてもう一つは、この制度を悪用しようとする奴は堀北のように必ず堕ちる例を見せるということだ。スマホで録音して先生に叩きつけるという手口を見せることで堀北のような0点付けると脅すような行為は迂闊にできなくなったに違いない。
俺はこの二つの視点を提供するためにあえてらしくないことをしたというわけだ。寺本や水無瀬といった俺の大事な友達、それだけじゃなく、後輩ちゃんのような俺の知らないところで苦しんでいる子がもう現れないようにと。
どうやら水無瀬にはそんな俺の意図も全部伝わっていたらしく、俺が戻ってくる間に皆にそれを補足説明してくれていたらしい。どおりで浅野が俺に親し気に話しかけてくるわけだ。アイツもこの制度の犠牲者で苦しめられた人間だっただけに俺の真意もわかってくれたといったところだろう。
「まったく、ホントに参るな。なんでもお見通しということか」
「ふふ。何でもお見通しだよ。
これくらいは協力させてよね。ほっとくと秋人くんはすぐになんでも被っちゃうんだから。
私、もう一学期みたいなのは嫌だよ。
朝、秋人くんが来る前にそう言ったら上條くんとかも含めてみんな賛同してくれたよ。由里とか佐智代とか制度に振り回された人もみんな賛同してくれた。だからうちのクラスはもう大丈夫」
「そっか。今では水無瀬もすっかりうちのクラスの中心人物だもんな。さすがだよ」
どうやら水無瀬は俺が一学期にクラスメイトから受けた仕打ちを黙って見てるしかできなかったことを相当悔やんでいたようだ。今度こそはと色々動いてくれたらしい。まだやる気でいる水無瀬に俺は首を横に振って止める。
「けど、もうこれ以上は頼むから首を突っ込まないでくれ。
理由はあのときと同じだ」
「あとは、他のクラスもって・・・え?」
「そう言うだろうと思ったけど、もういいんだ。これで十分だよ。
水無瀬は自分の方、小坂との交際をがんばってくれ」
「そ、そんな…どうして?」
「どうしてって言っただろ。前と同じだって。
俺は水無瀬が心配なんだ。水無瀬はこのクラスで唯一信頼できる俺の大事な大事な友達なんだ。
だから俺はそんな水無瀬が傷つくところを二度と見たくないんだよ。
特に今回に相手は危険なんだ。下手に刺激するとどうなるかわからない。だから頼む…」
俺が真剣に頼み込むと水無瀬は少し黙った後、大きくため息をついた。
「もう…。
わかったよ…。もうホントに強情なんだから。
けど、1人じゃどうしようもなくなったら私を頼ってよね。私もそのために今までがんばってきたんだから…」
「ああ。都合が良すぎることを言ってすまないが、今回みたいに俺一人じゃどうしようもなくなったときにはまた協力してほしい」
「うん!もちろんよ!
ふふ、私、都合が良い女の子なの。だから秋人くんのお願いは何でも聞いちゃうよ。
秋人くんはそういう女の子嫌い?」
「バ、バカ。何言ってんだ。だいたい水無瀬が都合の良い女なわけないだろ。それに俺はそういうのはちょっと」
「あらら、ハーレム作るとか言ってた人とは思えない発言だねー」
「言ってないわ!それにハーレム作ろうとしてるのは俺じゃなくて小梢の方だ!
水無瀬まで佐藤みたいなこと言わないでくれよ。てか、わかっててからかってるだろ」
「ふふ。さてねー。あっ、そろそろ時間だし戻らなきゃ」
水無瀬はくすりと笑ってからウィンクしてくる。やはりからかっているだけのようだ。そもそも水無瀬はこれだけ俺の意図をわかっているわけだからそこの部分は一切勘違いしていないはずだしな。
こんなにも一筋縄じゃいかない人間のどこが都合の良い女なんだかな。まったく。
俺は密会がバレないよう水無瀬に先に戻らせてゆっくりと教室へと戻った。どうせ自習なのだから多少遅れても問題ない。
そう思ってのんびり一人廊下を歩くと、意外と休み時間が終わっても教室戻らない奴らがちらほらいる。午前中自習で教師も出払っているというこのチャンスに本恋人と密会してるって感じのもちらはら見える。
そんな様子を見ながら廊下をぶらつくと少しだけ嫌な視線を感じる。
ネットに上がっている俺が堀北に語った内容に対しては色々な感想が寄せられていて、賛否両論といった感じだ。賛成派のメッセージは総じて暖かいものだが、反対派のコメントは…。
俺の話に真っ向から反対しているのは誰なのか、言うまでもない。
今、この学校内で最も怒り狂っている連中。
恋人交換制度反対派だ。
彼らのごく一部だろうけれども、中には過激な奴もいるようだ。そいつらから寄せられるコメントは、「クズ」だの「氏ね」だの酷いものばかりだが、中には「コロス」といった不穏なものまで紛れ込んでいる。酷いコメントは五十嵐会長によって定期的に削除されているはずなのに、まだ目につくということは相当お怒りのようだ。
俺の話は、恋人交換制度に不安になっている人たちの不安解消の一助にはなっているものの、一方で、制度肯定・推進派の発言でもある。
となれば、反対派からすると俺は格好の的というわけだ。制度に強固に反対し、制度を押し付けてくる学校や国へと歯向かっていた奴らのヘイトを一気に俺が持っていくことになった。
俺はあのとき映像が配信されている以上、ここで制度を肯定するような発言をすれば、水無瀬が言うようにカップルの半分くらいを敵に回すかもしれない、そういうデメリットを背負い込むことも覚悟の上ではあったのだから、この反応はある意味想定通りでもある。
けれど堀北のような敵のやり口なら色々理解はできるし対処もしようがあるが、これから俺の相手になる連中は一体どういう手で仕掛けてくるのか俺にも想像ができない。
しかも俺を憎んでいる奴らは反対派の中でも過激な連中でもあるだけにどんな危険が待っているかもわからない。当然こんな問題に水無瀬を巻き込むわけにもいかない。
だからこそ水無瀬にこれ以上頼るわけにはいかない。
そもそも反対派の主張は至極当然のもの。むしろ、彼らもまた制度の犠牲者だ。
俺からしたら彼らは堀北とは違って積極的に戦いたい相手じゃない。今は反対派の声の方がでかすぎて、制度にきちんと取り組めずに困っている人たちがいるから俺がやむを得ず賛成派の旗印になりはしたけれども、反対派の方も何とかしてあげたいというのが本音だ。
彼らの主張も正論だと思うだけに俺には反論する材料もなければ反論する気もない。彼らの批判も甘んじて受け入れるしかないと思っている。
(ま、とにかく、言っちまったものは撤回できないし、しばらく大人しくしつつ、今はふうちゃんを幸せにすることに集中しよう)
俺は心の中でそう宣言する。
けれど、一方で、俺は小梢が言っていた話し、交換制度の先にあるものを意識した方が良いといった話しも気になっていた。
この制度が行きつく先は一体何なのか。
なんとなくその予想はつく。
この学校、いや、この国は、制度に逆らう人間をプロパー人口0の再建地域に送り付けるというえげつないことをし始めている。
少なくとも国も学校も本気で社会を変えに来ていることは間違いない。この本気度からすると国立研究機関のこの学校での実証実験が終わればすぐに全国でも同じ制度又は少し改良された上で実施されることになる気がする。
そんな中でこの学校では1学期には告白フェスタ、2学期には恋人交換制度と制度はどんどん悪い方へとエスカレートしてきている。
これで3学期には実験が終わって全部元通りになる、だなんてあまりにも甘い考えだろう。
恋人交換制度のその先にあるもの…。何パターンか考えられるが、考え得るものはどれもとんでもない内容ばかりで嫌な予感しかしない。
けれどその時に備えて、反対派の今後のためにも俺は彼らに少しでも譲歩できるところを引き出してあげないといけないのだろう。




