第9話~小宮山 里彦#6~
2人で行く先を美術館に決めた。
以前、構内に張り出された『ムンク展』のポスターを彼女が見ていたのを覚えている。
学内で無料配布されていた割引券を見せて
「一緒に行かない?」
と聞いた。
すると彼女は嬉しそうに
「うん!」
と答えた。
あぁ、良かった。約束ができた。
俺は2人の関係が前進している確かさをほのかに感じ、嬉しさで笑みがこぼれた。
待ち合わせは美術館前。広々と緑地が広がっている。緊張のあまり30分前に着いてしまった。
この日、告白することを決めていた。
シチュエーション的には…美術館後、お茶して、その後、外へ出て…そこでと思っている。
イメージトレーニングのように、頭をグルグルさせながらニヤけたり、険しい顔をしたり、頭を抱えたりしている俺は客観的に見て、変態に映るかもしれん。
そんな時、
「小宮山くん!」
声のする方へ目を向けると、神戸さんが手を振りながら小走りに駆け寄ってくる。
な、なんて可愛いいんだっ!鼻血出そう…
黄色いパステルカラーのアンサンブルに花柄の膝上スカートがいかにも春らしい。
「待った?」
「ぜんぜん。早く着いちゃったけど、神戸さんも早くない?」
「だって、緊張しちゃって早めに行こうと思ったら、もう小宮山くんいるんだもん」
同じ気持ち!これって…
わずかな期待が、告白の後押しになりそうだ。
館内に入ると、偉大な画家の展覧会、週末という事もあって、多くの人が鑑賞している。
ムンクの代表作は知っているが、個展をちゃんと観るのは初めてだ。
彼女は一つ一つの作品に足を止め、熱心に見入っている。
すると一つの作品の前で俺を振り返った。
「ねぇ、この絵とても素敵だね」
《星月夜》というタイトルの油彩画だ。
ムンクの作品というのは、人間の内面が強烈に描かれたものが多いが、その作品は夜空とその下に広がる風景を描いた美しい異彩を放つ作品だった。
「本当だね」
2人でその場に並んだ。夢みていた空間が今、此処に在る。
こんなに近くになれた。
でも、心の距離はどうなんだろう。
『マドンナ』というタイトルの作品から愛しい人への愛が滲み出ているのを感じた。
俺はこの絵を描いたムンクの心情と重ねるように見入っていた。
*************
ひと通り作品を見終わり、時計に目をやると13時近くになっていた。
「お腹すいたよね。お昼にしようか」
そう彼女に言った。
「そうだね」
この美術館内に小洒落たレストランが数件あるのをリサーチしていた。
その中のフレンチレストランへ入った。洋風な書斎のような内装だ。
ランチメニューにあるビーフシチューを彼女が、俺はフィレフテーキをオーダーした。
ちょっとお高めなランチだけど、こういう機会には奮発してもいいだろう。
告白は食事をしてから外でと思っている。
迫ってくる時間に緊張が高まってくる。
料理が運ばれてくるまでの時間はより一層、緊張を掻き立てる。
「展覧会どうだった?」
彼女に感想を聞いた。
「うん、絵に込められた心情やメッセージがヒシヒシ伝わってきた。油彩にしても幅広い描き方があって凄く刺激受けたし、観に来て良かった」
「良かった。この展覧会のポスター見てたもんね。大学で」
「えっ見てたの?」
「あ…うん。気持ち悪いね俺」
「ううん、知っててくれて嬉しい」
良かった。良いほうへ受け取ってくれた(笑)
料理が運ばれてきた。
2人でおいしい食事を堪能している。こんな時間を共有できるなんて思ってもみなかった。
食事を終えて美術館の外へ出た。周りは緑に囲まれていて広大な公園のようになっている。
「まだ時間大丈夫?」
「うん」
ドキドキしてきたぞ。その時が近づいてきている。
緑道を歩き、ベンチへ腰かける。
「気持ちいいね」
彼女は昼下がりの木漏れ日を浴びながらそう言った。
「そうだね」
「ねぇ、これってデートだよね」
え!?えーーーー!!!
突然、彼女が口火を切った。心臓が跳ね上がり、鼓動が早くなる。
こ、言葉が出てこない!
「違うの?私はそう思ってるけど」
予想外の言葉にシミュレーションしていたことも吹っ飛んだ。
「私、小宮山くんにずっと憧れてたんだ。授業でも毎回、評価されていて才能ある人なんだなって尊敬してた。ずっと話しかけたかったけど私、臆病でなかなかきっかけ掴めなくて。でも、二科展へ入選した時に話しかけようって決めたの」
思いもよらない言葉の数々に俺は聞き入っていた。
入選した事が公表された時に彼女とよく目が合ったのは、そういう意思からだったのか…。
「だから話ができた時、すごく嬉しかったの」
はにかみながら、そう言う彼女の目が少し潤んでいた。
先を越されてしまったな。自分が先に想いを伝えようとしたけど。だけど彼女の心理が見えた。
愛おしい。なんて愛おしい。彼女の顔を見つめた。
そして…
「俺…ずっと君が好きでした。付き合ってください」
唐突にそんな言葉が零れた。
「…はい」
彼女の目から涙が零れ落ちた。
心地良い5月の風が通り抜けた。